先手に配された十二人がバルスを先頭に左手に短弓を携えそれぞれの馬に跨った。一人ひとりの顔の見分けはつくけれど、俺の目の力では的にした丸が遠霞している。右手を振り下ろし開戦の合図をすると、弓兵たちは左右に割れ俺たちを包み込む動きを取った。発進の命を出さずにアシュが続けざまに放った矢で二人のメディア兵がのけぞり動きを止めた。鉄鏃の代わりに重い木片を付けた矢を身に受けると、目の中で光が弾けるように痛み、その後数日は痣が消えないことになる。
俺が右方向に戦車を捩り、側面をさらす形で直進させると、六本の矢が後を抜けていった。弓師たちの読みより戦車が速いのだろう。左から展開してくるメディア兵と擦れ違いながらアシュは二矢を放ち、背後から追ってくる者たち五人を次々と捉え脱落させた。残る三騎に対しては鞭のように戦車を進退させる中で勝負をつけたアシュはすぐに全員を集めた。
「外から見ていた二隊三隊の者たちははっきり気づいたと思う。戦車上の射手は後を取られても追っ手に向き合って矢を放てる。騎兵も肩越しに打てるが、ずっと的を定めにくい。まだそれを知らぬから少しの油断があらわれたということだ。二隊目の者は我らが矢を拾い集める間に作戦を練り直しておけ」
一矢も放たなかった者、一矢を残している弓兵から残り矢を受け取り、調練場に散らばる矢を探すアシュと俺を、王子と傍らに侍る八人が揃って高架台の最前列に並び、言葉を交し合う様子もなく見下ろしている。高官らしいもう一組の三人は顔を寄せ頷きあっているようだ。俺が膝下の兵の武力をことさら誇示していると思われるのは必定だ。若いメディア兵が目を見張る動きを展開するほど、カドネツァル王子は奪われたものの大きさに歯噛みすることになる。
戦の行方は流れ矢一本で回転する。勝利を掴みかけていた手がいきなり敵の手に変わる早さは妖魔の誑かしのごとくだという。アッシリアとの会戦は三度の望月を待たずに始まる。拮抗する敵に当たる前にメディア王子が同盟国に内紛混乱の囁きを洩らしていったとはやはり解せない。そもそも魂胆などなかったのかもしれない。かの邦では、無名無官の若輩を称揚してみせることが相手邦への尊崇で、ナポボラッサル王は敬意とそのまま受け取ったが、カドネツァル王子は自分を軽く遇されたと感じた。度量を示すつもりのあれやこれやの言葉は王に倣っているだけの借り物で、己の狭量を突きつけられ度を失ったのかもしれない。
「王子として生まれたゆえ、指先ひとつで事も人も我が物となる、思い通りとなる。簡単すぎる。父はそうではなかった。私もそうであってはならぬ。必要とあれば私に異を唱えよ。獅子狩りは丁度よい。私が王子であることを認めぬ獅子は決して容赦してくれないからな」そう話した翌朝、王子は俺を斥け、キナムと俺は王宮の居場所を失った。旅の備えで天幕に移る日だったから不都合はないが、俺の行くところすべてに王子の苛立ちが臭っている。青衣の八人が今どのように考えているにせよ、王子に異を唱える者はいなかった。生焼けの煉瓦で神殿は築けず、半煮えの男に王国を統べることはできないと思うが、王子の心内を覗き決めつけるのは俺の傲慢さであろう。思いが顔に表れると云われた俺だ。狭量を暴き、恨み憤激を引き出してしまったのは俺の浅慮。さしずめ俺は手負いの獅子だが、俺は獅子のようにではなく、野兎のように、砂蛇のように、鶉のように首を竦め身を潜めてキッギア将軍の許へ逃げ込まなければならない。猪の牙なれば、愚かな最期となっても自分ゆえだったが、獅子狩りの後矢で果てたとあっては、無念の歯噛みで冥府が俺の住処となろう。悋気は死してなお生き残る。冥府の彷徨人の多くは舌を呑み込むほどの悋気の叫びのまま逝った者たちだという。悋気は永劫の冥府へ真直ぐ繋がっている。悋気で屠られた者もまた同じ沼でもがくのだろうか。
開戦の合図を受けると、第二隊は一気に駆け寄せてきた。手綱を握らず矢を番えたままの突進だったが、決着は第一隊の時より早く、俺たちの間近を襲ったのは、戦車の縁を滑った矢と、拳三つ分の頭上を走った矢がそれぞれ一本だけだった。
「一車に対して大隊同士の戦法を仕掛けて功を奏するのは難しかろう。三百の敵があれば、三百の掃射が十分生きようが」
戦車に乗ったまま作戦の是非を説くアシュに「畏れながら」と痛みを堪えながらの顔つきでアーバが言った。「いつも使う鉄鏃なれば、外さぬ矢が何本かあったはずかと。この場で使えぬことは承知でお尋ねいたします」
王族だからなのか、アーバの口調には臆するところがない。アシュは下車して矢を二本拾い、アーバに差し出して言った。「その通りだ。それゆえお前たちには二本ずつ渡したのだ。一矢使えば矢先を見つけられよう。お前の矢継ぎの速さは見事だった。しかし指は矢を覚えていたはずなのに、その速さに頼って息を乱した」
アスティヤデスに似たところは一切ないアーバの目が隠しようもなく輝いた。
「そしてもう一つ、この調練場は戦車の方に利がある。凹凸が一切なく平地だからな。戦車はガレ場にはまったく向かないし、隘路や溝にも阻まれる。お前たちのように応変に手綱を捌けなくなる。戦車の利は二人ということだ。お互いを護りあって乱軍の間を縫い回れる、それも御の腕次第。今のディリムに私の命を預けたくはないので、お前たちの矢を浴びるのは我らにとっても格好の機会なのだ。知を尽くせ、この戦いは自分に二本しかないと考えるな。二十四本を使って一本が必中すればよいのだ」
俺はアシュの思いを壊さぬようメディアの言葉を選び伝えたかった。その口調は、アシュを引き継いで俺を鍛え上げたキッギア将軍を思い起こさせた。将軍は容赦ないが見下すことはなかったのだ。俺もまたこの若者たちのように小さく頷きながらキッギア将軍の言葉を聞いていたのだろう。メディア騎兵たちが見せる己の未熟を愧じるゆえの気負いと王子から直に選び出された小隊にいることの誇りの香りをアシュは好んでいる。騎兵たちもまた、バビロニア王国随一のキッギア将軍の一人娘と知って畏まっているのではなく、アシュから発せられる苛烈な武の眩さに圧倒されているのだ。
ウル ナナム
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