御身の第一の指が愛でしもの、それは流れ、
ユフラテの流れ。とこしえの生命ゆえに。
御身の第二の指が愛でしもの、それは麦穂、
豊かなる麦穂。約束の力ゆえに
御身の第三の指が愛でしもの、それは大空、
青き黒き天蓋。身罷りしものたちの思い出ゆえに。
御身の第四の指が愛でしもの、それは大角、
白き牡牛の冠、額に潜む夢ゆえに。
御身の第五の指が愛でしもの、それは弦、
古の七弦琴。同胞の血で購った凱歌ゆえに。
御身の第一の左指が呪いしもの、それは彼の地の南門、
言葉なき市、不実の巣、御身の火矢にて破砕せん。
御身の第二の左指が呪いしもの、それは彼の地の東門、
巫術はびこる市、凶夢の巷、御身の車輪にて斥けん。
御身の第三の左指が呪いしもの、それは彼の地の西門。
苦吟絶えぬ市、恐怖の牢獄、御身の鼓にて解き放たん。
御身の第四の左指が呪いしもの、それは彼の地の北門。
清き水喪われし市、善心なき広場、御身の拳にて裁きを下さん。
御身の第五の左指が呪いしもの、それは彼の地の糞門。
猜疑渦まく市、眠り奪われし寝所、御身の歌にて浄化せん。
雨降らしの星が没するとき、御身北へ歩み出さば、
我ら軍旅の行李を整え、御前に額づかん。
我らが旗印は御身の腕、御身の声、御身の眼差し、御身の涙。
すなわち我らは比類なき神軍。
すなわち我らは丈高き香柏の番人。
すなわち我らは劫初の井戸の守り人。
すなわち我らは唯一の花の見者。
すなわち我ら恐れぬ者、つくる者、充たす者、憧れる者。
御身口を開くとき、我ら勲求めて駆ける者となるだろう。
汝ら今こそ見よ、東の空を、獅子座の大鎌を。
駆け続けよ。
汝ら、明日には見よ、鷲座の出現を。
さらに駆け続けよ。
そしてさらに、葡萄収穫者の星とともに駆け続けよ。
駆け続けよ、そして櫂を取れ。
櫂を取れ。
「よくぞ詠ったな、ディリム」
俺は恐懼した。神に名を呼ばれたと思ったのだ。頭に大きな掌を感じ、俺は目を開けた。目を開いたつもりだったが何も見えず、光の鞘の中に俺はいるようだった。顕現したナブー神に俺は包まれている。耳許で風が鳴った。
「声の力とは驚くべきものだ。お前の讃はこの神殿だけでなく城壁の外にも響きおよび、天象も大地も心ふるわせたにちがいない。我らはまたとない恩沢を受け取ることになろう」
ナボポラッサル王はナブー神像のごとき偉丈夫だった。俺が知るもっとも背の高い男は父の商隊の黒き人だが、王ははるかに丈高く逞しく、御座船の帆柱とも見えた。王の声はおだやかで、夜闇の底で額を合わせている気がした。
「ハシース・シンはお前のことをタシュメートゥー神の愛でし若者と言った。大口、大戯けも遠慮なしのハシース・シンだが、此度は申し分ない推挙であった。私には収穫の託宣を受ける儀式が残っているが、もはや気をもむことも無用だ。とはいえ、涙流すまでは慎まねばならぬ。ディリムは十分寛ぐがよい」
答礼しようとして、俺は喉が腫れ上がっているのに気付いた。まこと城壁の外にまで讃が迸り出ていったのなら、俺の喉など焼けてしまうだろう。歩み去ったナボポラッサル王に続いて、我が邦の、同盟国のそして交易地の貴顕らしき男女が次々と俺に声をかけ、玉を置き、布をかけていく。はじめて耳にする異国の言葉も数多あった。うねり流れる布のあでやかな色、豪奢な織に俺はすっかり幻惑されていた。
「隠さずに答えよ」
跪いたまま礼を返していた俺に男が言った。死を宣するのに劫もためらいのない声があるとすれば、この男がそうだ。俺は顔を上げた。この上なく冷酷だが嘘のない男の顔が俺を見つめている。
「なぜだ。なぜお前は国の名を挙げなかったのだ。呪うべき邦土の名を彼の地などと言いおって。今このとき、我がバビロニアが呪うはアッシリアであるのは紛れもないこと」
「わかりません」土中に埋められているようなしゃがれ声が洩れた。竦んでいると思われたくなかった。
「無礼は許さん。お前が詠った讃のことだ。言葉を預かったとでも申す気か、西国の預言者同様に」男は鼻先が触れるばかりに顔を寄せてきた。
「申し上げた通りです。詠ったのは私ですが、私がつくった讃ではございません。また、どなたかに授けられたものでもないのです」
「櫂を取れ。信じられんことだが、私も気づいたら声を合わせていた。皆、王に倣ったわけではない。自ら和したのだ。熱狂すれば痛みも恐れもつかの間忘れる。私は熱狂に与する者ではない。にもかかわらず、我知らず巻き込まれた。危ういことだ。滅びに至るまやかしの高揚ということだ」
「あなた様には信じられないことかもしれませんが、私自らが練り上げた歌や讃と、この度詠った讃は出処が違うのです。口を貸したとは言いますまい。ひとたび私の口から出た言葉はどちらでも繰り返せます」
「彼の地といえば、それはどこをも指していることになろう。となれば、お前は暗にバビロンの民を貶め弾劾しているやもしれぬ。ハシース・シンの学舎にいる者なら哀歌も知り尽くしておろう。シュメールの古語にも通暁しているはず。そういう輩にしかできぬ技だ」
「我らが敵アッシリアと我が邦地バビロニアをひと混ぜにするなどありえぬこと。それはわざわざ誓うまでもございません」
声を出すのが精いっぱいのまま答えながら、怒りが込み上げてきた。憎しみは努めて抑えるべきだけれど、怒りが募ったら放てばよい。しかし、この喉では怒ることも叶わない。
「私だけではない。今のお前の話に誰が納得できる」
罪を暴くというより、浮き彫りのごとく罪を切り出そうとする男の前で俺は反駁のしようがなかった。何と答えても、男はそんなはずはないとの一点張りだろう。この男は決して大声で喚くことはしない。詰め寄る口調でこの人は怒りを装っているのだ。俺はといえば、決して怒りを溜めおくことができない。