指笛が鳴り、船が小刻みに揺れた。二昼夜の断食のせいか、胃の腑も共振れする気分だ。俺はいま一度振り返りバシュムの丘を見た。夜明けにはまだ間がある。丘から見送ると言ったグラが合図の灯を点すかもしれないと俺は思っていた。あの日ラズリ様が語った父エピヌーの話をグラはどこまで聞いたのだろうか。いつの間にかグラが俺の脇に坐っていたのだ。「エピヌーは得体のしれない者となった」とまでラズリ様は語った。娘が聞いて穏やかであろうはずはない。あるいは以前から知っているために左岸の父の家を離れて祖母のもとにいたのだろうか。あの日から俺は一度もグラには会っていない。すでにバビロンの鍛冶屋に嫁がされたのかもしれなかった。覚師とともに太守に直答するラズリ様であっても、父娘のことに祖母は口を挟めないのだ。
天空の脱ぎ落して行く夜闇で川面に寒気が染み通る。時折寛衣の裾を震わせる風が渡ってくるけれど、汀に連なる松明が揺らめくことはない。御座船に先行する九艘の小舟が舫を解いた。小舟に配された漕ぎ手は皆俺と同じ年頃だ。銀糸で縫い取りされた短衣をまとって小舟を操った者たちの中から御座船の二十七人の漕ぎ手は選ばれ、さらにその中から王の軍船の舵を取る者が抜擢されると云われている。今日の誉れは出世の印章だと大半の水夫が信じているようだ。
「われらはいずれ海を繋ぐ。上の海から下の海までを」とナボポラッサル王は宣したという。我が御座船の漕ぎ手は華奢ではない。しかし、この国の水夫たちはまだ水と闘ったことはないのだ。八歳になる前に父と上の海まで行ったとき、俺は錫や梁材を求めて北の海へ向かう船乗りたちを見た。櫂に見紛うほどの太い腕の連中ばかりだった。
バシュムの丘を神域とした往古の者たちは海の民だったにちがいない。あの丘のどこかにそれを証する粘土板が埋まっているだろう。
ボルシッパの住民も夜明けを待たずに起き出している。この御座船とともに河岸を歩いてバビロンまで行こうとする連中だろう。犬どもも昂ぶって夜通し吠えたてていた。新年祭が始まった六日前からバビロン城壁の内外には各地からの旅人や商い人の天幕が張られ喧騒と熱気が充満している。風の具合によって人声や食い物の匂いまでがちぎれ流れてくるのだ。
戦乱の卵は遠からず孵る。殻を突く音が聞こえてから久しく、明日をも知れぬという思いが祭りへの熱狂をいっそう煽るのだ。怖れに咬まれることに疲れた者たちは自棄狂乱の態で戦を迎えようとしている。麦酒はふんだんに呑まれ、驢馬は例年に増して鞭打たれ、行きかう民の罵声殴打は数知れない。男たちは頻繁に娼窟に出入りし女たちは寡婦となる前から意中の男を誘う。僅かしか持たぬ者は使い尽くし、富める面々は闇雲に溜め込もうとしている。「生き残りの後裔は腑抜けばかりだ」と学び舎の者は吐き捨てるが、数十年前に味わった敗戦後の酸苦は思い起こすほどに強まるのだろう。アッシリアの逆さ吊りを目にした先の代の恐慌は孫子の夢をも引き裂くのだ。首竦めるのが習い性となったボルシッパらしいというべきかもしれない。ナボポラッサル王が強くなりすぎたからだと囁く輩までいるようだ。それはしかし、誤った見方ではない。ナボポラッサル王と一度でも渡り合ったアッシリアの将軍連は王の果断な駆け引きに翻弄された。幾度も謀殺を企て、都市群の切り崩しを図ってきたのはそれゆえだ。ナボポラッサル王自らが出陣したときは、この三年負け戦がないと聞いていたが、「敵にも味方にも退いているとは見せないからだ」と覚師は言い、「逃げ道を指し示して突撃と叫んだのも一度ではない。ときには真っ先に逃げたわけだな」と含み笑いを見せた。
王が自軍もまた欺かなければならないのは当然のことだ、と俺は思う。出世話と敗軍の流言は蝗の飛来のごとく一気に膨らみ、欲と恐れに抱き取られた者は必ず裏切る。同盟軍からも親衛隊からも身内係累からも全幅の信頼を受けること、そしてこの者たちの心変わりに動じない覚悟と度量が王たる者の要諦なのだろう。
「アッシリアはわれらにとって腕力のある異母兄弟のようなものだ。かの国から新たに得るものはない」とハシース・シンは言い、呟くように結んだ「次は一回限りの会戦となろう。敗軍は血の帯引いて城壁まで駆け戻る、それがニネベとなるかバビロンなのか」
戦いは両国の宿命なのだ。どちらかが倒れるまで、ないしは共倒れになるまで終わらない。両国人を区別するのは衣服や髪の結い方、俺たちにとっては耳障りな舌の叩きくらいで、裸で目を閉じていれば敵味方を見分けられない。
釣り合っている天秤、それが今のわが邦とアッシリアだ。わずか一粒の小石で天秤が覆る日が迫っている。夢を刻んだ粘土板の文書倉を封印するようにと、俺は十日前、覚師に言い渡された。長い間ボルシッパを離れることになるのだ。血の帯引いて城壁へ。俺自身の帰還が叶わぬばかりか、この地が再びアッシリアに貶められるかもしれない。
バシュムの丘の稜線が朝靄から滲み出てくる。丘は大海を押し分ける舳先のようだ。そこにグラはいない。丘にあるのは粘土板に遺された声だけだ。
俺は御座船中央の台座に据えられている神像に近づき、四人の衛士の後ろに跪いた。神像に随行するのがお前の役目ではないと覚師に告げられたのも十日前だった。王や侯国の太守らが居並ぶ主神殿で讃を奉献するのだと。グラの言った通りになったわけだ。あいつは言った。「あんたは五十の新しい名を捧げるお役を賜るのだわ」
あらかじめ讃をつくってはならぬ、と覚師は命じた。タシュメートゥー神に夢を捧げたように、その日その時口の端に上ってくるままにナブー神への讃を唱えるのだと。
曙光が射し、香が匂う。御座船に移される前の七日間、四つの花湯と三つの香風呂に浸されていたナブー神像。俺は目を開けた。感じ取れるのは白い光と乳香の香りだけだった。俺は言葉を注がれた。白い光と乳香の香りから。
御身は呼び起こす者、逝きし者。
御身の声、御身の目、御身の涙。
御身の第一の御子は空を行くお方。
第二の御子は耳の後ろに隠れるお方。
そして第三の御子はなべての尖筆と戯れる。
おお、クルギリンナ、クルギリンナ、
御身なる知恵の花、青き知恵の花クルギリンナ。
バビロンに集う我らは御身の僕、御身の叡智にひれ伏す者。
御身は言葉の樹、はじまりの聖都で燃え立つ火炎の樹。
バビロンに集う我らは御身の僕、御身の言葉に仕える者。
御身は言葉の泉、涸れるを知らぬ悲しみの泉。
バビロンに集う我らは御身の僕、御身の言葉に手引かれる者。
御身はすべてを見しお方、往にし方より来し方までを。
バビロンに集う我らは御身の僕、御身の物語を語り継ぐ者。