ウル ナナム

  • 32

    物持たぬ旅人にとって、ましてや年端のいかぬ子連れ親子にとって物乞いは生きていく術の筆頭だろう。私たちは一度もそうしなかった。集落や城市に入ると鍛冶や陶工の才覚を恃んで、流れの職人を拒まない座を選んできた。同行の旅人が組し易いとみれば、往々物乞いは追剥ぎに転じる。街道でそうした追剥ぎに襲われると、私たちは二人の子の前で容赦なく殺した。子らに傷一つ負わせないためにあの人が子の前に立ち、私が先手となった。二人の子が怯えて声を挙げたり目をつむって震えたりすることはなかった。胆力というほどのことではなく慣れだったろう。それほど私たちは見くびられることが多かったのだ。もちろん、何もかも二人で切り抜けてきたわけではない。大いなる援けに幾度も与ってきた。この世は不思議に満ちている。援けはいつも不思議な出来事だった。
    「これまでは追い出されてきた。この地からは自ら出て行かねばならない」とあの人は言った。
    吹き荒ぶ砂の向こうに滲む監視櫓の灯。あれは烈風の中にあっても燃え盛る松明だ。それでも、哨兵たちの目は飛び流れる砂で大いに晦まされているだろう。出発してしばらくは激しくもがいていたエピヌーも櫓に近づくとおとなしくなった。私たちは身を寄せ少しずつ這い進んだ。顔に塗った炭の匂いがした。
    真上から灯が当ったとき、スハーが私の腕輪に指を置いた。怯え竦んでのことではなかったのだ。幼き迷う者は行く道を心得る者、スハーこそ腕輪の力を知る者だった。長い間、砂の窪みに臥していたような気がしたけれど、どんな時が流れたのだろう。風は止んでいた。砂煙が澱んだままなので身の回りが辛うじて見えるだけだ。
    腕輪から指を離し、スハーはあの人の横に這っていって耳打ちした。そのやり取りは敵の陣構えを見定める将と副将を思わせたが、エリュシティを起こして砂を払っている様子は普段の二人に戻って仔兎が睦み合っているようだった。あの人はゆっくりとエピヌーの縛めを解いた。長子エピヌーは夢の名残に浸っているみたいに横座りのまま目をさまよわせていた。
    膝立ちのスハーとエリュシティが揃って皮袋の水を零していた。目をむいて止めようとするお前たちにスハーは銀の国の言葉で静かに言ったのだ。「私たちはあそこから出てきたのですから」
    振り返ったお前たちの目には、既に監視櫓も灯も映らなかったろう。
    スハーの声に迷いはなかった。半身は丸い頬と柔らかな声の幼き者、耳から後ろは天より遣わされた智者。お前たち二人は託宣を受けたかのように、異を唱えることなく皮袋の水を捨てた。そしてさらに、二人の子供に倣って麦粉も捨てた。口にする水なく、天に星なき夜、お前たちは迷う者に随いていくこととなった。自分より幼い者が父をたじろがせ畏怖させる力を顕すのを前にして、長子エピヌーは縄打たれたときには感じなかった屈辱を覚えただろう。長子を襲った途方もない憤怒をお前たちは知っていたか。そのことをも嗅ぎ取ってなのか、スハーが先だって歩くことはなかった。
    井戸を聴き当てる力とつながるのだろうか、あの人は一度踏みしめた土地を忘れない。大地は風と水によって日々剥がされまた覆われるのだから、足裏の記憶とは違う。人の顔は日々移っていくが、顔から生まれてくる声は変わることがなく、幼い声は長じても同じものだ。あの人は土地の声を聞いていたのだろう。丘全体の崩落で街道が消えても、大雨が三百年の樹を運び去っても、大地と空は見つめあいときに争いながら、同じ声を発する。さりながら、あの人は行く手を定めることができなかった。
    スハーは時折あらぬ方へと走り出し、エリュシティが後を追った。砂に紛れるほど遠ざかっても、エリュシティの青布だけはよく見えた。そのようにして、スハーは道を示したのだ。
    長子エピヌーはその振る舞いも憎んだのだ。ボルシッパの女たちをざわめかせたエピヌーの美貌は幼い憎悪の果実だった。美しい二親を釘打ちこむほど睨み続けたためだ。お前と夫が先を行く子らだけを見ていたときに。
    スハーに従って通った六ヶ所の水場には露営跡も獣たちの気配もなかった。私たちだけの水だったかのように。名のない地から脱け出し二十六日目に辿りついた村には二本のアカシアと五十九本のオリーブがあった。私たちは追い出される前にそこを後にした。スハーが導いたからだ。その村から六つの集落を経て百十四日でボルシッパの右岸に着いた。ボルシッパはあの人が消え入るだけの場所となった。到着から月の巡りが四つ。この地が私たちを受け入れたのかどうか決めかねる日数だ。あの人は裡から病に喰われてしまった。初めて会ったときのように髪をなくし、耳の痕が露わになった。
    人の生き死に一つひとつを天の神々が覗き込み手を下すことなどありはしないのだ。己の行く末を神に視られているなど思い上がりの極み。しかし天が徴をつける者たちはいる。そのような天の囚われ人、足跡を残す者たちは、当然のことながら死の日を選ぶことは叶わない。
    あの人が逝き、エピヌーが婿となって左岸に渡り、エリュシティたちが身まかった後、一人になった私は旅立った。名のない地から二十六日目の村の場所は、樹の燃え跡で見つけることができた。焼尽して久しいと思われた。私たちが去ってすぐだったのかもしれない。燃え落ちた村から子どもの足で二十六日分の道のり。驢馬駱駝を使えばいくばくもない。そのどこにハシース・シンほどの智者、ディリム・ディピの父ビル・ドゥほどの旅人が見聞したこともない場所が潜んでいるのか。隠されているものは必ず見いだされるはずだと私は思う。
    隠されているものなら見つけ出せるとお前は信じてきた。あの地の魔性が夫の早すぎる死を呼び寄せたともお前は疑い続けている。しかし、共にあの地にいたお前自身は永らえている。長子もまた栄えている。
    生き延びていることに何の理由もないのです。捨て置かれただけ。脱出に力あった者たちだけが早々と命を摘まれてしまった。あの広大な窪地が呪いのかかった辺土であることは打ち消しようがない。あの人が探った洞のどこかに、目にしてはならぬもの、触れることを許されぬものがあったはずだ。スハーもエリュシティも知らずにそこに迷い込んでしまったにちがいない。