街道の両側からは瀝青の高い炎、正面は十二台の戦車、たぶん後方は別の戦車隊が逃げ口を扼しているだろう。火の帯の勢いは強く、馬に目隠しをしても飛び越えさせることは難しいから、前か後ろのどちらかから突出してくるだろうと考えていたとき、荷車の一つが橋をかけるように火の川を跨いだ。二人の兵が荷車の上を渡りきったが、地に降り立つ前に矢を突き立てられた。三人目は荷車の上で、四人目が後方に射落とされたとき、荷車に火が廻った。周りの荷へのもらい火を防ぐためにアッシリア兵はその場に人を集めざるをえなかった。たちまち友軍の矢が集中した。
街道の反対側では駱駝を使おうとしていた。駱駝の背は火の先より高い。できるかぎり身軽になるためだろう、甲冑を着けていない兵が駱駝の瘤の前に立った。幾本もの槍がわが軍のはるか手前に投げ落とされていたのは、身一つで火を飛び越えた兵が使うためのものだった。男の身のこなしは見事で、足場になりそうもない駱駝の背から巧みに飛び出し、火を越え、槍を掴み、わが陣営に三本まで投げおおせた。もう一人はうまく飛ぶことができず、火の中に落ち、松明のようになって燃え崩れた。
ますます興奮し苛立ち暴れているのは荷駄の馬や驢馬たちのようだった。急拵えの防御陣を築くため荷車から放されたらしい馬が六頭ほど、こちらに向って駆けてくる。目を凝らしたが脇腹に隠れ乗っている兵は見当たらなかった。
「上から矢がくる」とキッギアが言った。
砂地を抉る音が聞こえるまで俺には矢筋が見えなかった。煙が中空を蔽いはじめているのだ。矢唸りは大きくなかったので、前方に展開している射手は大勢ではないようだ。一列目の戦車陣に遮られて横に逸れていった馬が二頭、残りの四頭は火の匂いを振りまきながら戦車の間を抜けていった。泡をふく赤黒い馬の口許を見たとき、アッシリアの馬はアッシリアの兵と同じだと思った。一頭の尻にはいま主側から放たれた矢が刺さっていた。
黒煙に気づくと、目と喉が酷く沁みているのがわかった。道の中では熱風と目鼻を襲う煙の匂いが耐えがたくなっているだろう。火は初戦の脅しで、しばらく凌ぎきれば火勢は弱まると奴らは考えたにちがいないが、業火で二方を塞いでしまうための用意は周到で火種は途切れなかった。
もう一度、空馬が走り出し矢が降ってきた。さらに三度目に走り出してきた馬群は九頭で、少なくとも四頭の背にアッシリア兵が身を這わせていた。キッギアが短く二度指笛を鳴らし「左に大きく開いてあいつらを通せ。そして一気に前へ駆けろ」と命じた。
手綱をさばき馬たちが脚を踏み出して戦車の底板の揺れを足裏に受けたとき、俺にはそれが初めてのことのように感じられた。夜闇は炎と黒煙で濁っていて、不意に動くものを察知するのは無理だ。命の危険をかわすのは目によってではない。見えない敵の前面に出て行くのだ。司令官というものは味方はもちろん敵からもたちどころに所在を知られる。黒い男をはじめとして、生き残りのアッシリア兵全員がキッギアだけを狙っているだろう。背後で怒声とも悲鳴ともつかない声が響き、馬の倒れる音がした。少し前に進んだだけで熱風の勢いが強まった。火の川の両岸からいっせいに矢が走り、三度それが続いたあと「行け」とキッギアが言った。俺は火の門を潜った。キッギアの馬たちは迸り迫る火の粉にも怯まない。火の列柱道路となった街道は明るかった。矢と槍の飛来は一本もないので、アッシリア兵は反対側に血路を開こうとしているのかもしれなかった。並足で戦車を走らせる俺たちの脇を徒歩の兵が行く。道を塞いで死んでいるアッシリア兵は火の縁へ転がし、馬や駱駝は大盾に守られた六人の兵が除けて戦車道をつくった。荷車に繋がれたままじっと立っている驢馬もいた。矢傷で立つことができず、もがいている馬が少なくなかったけれど、腹が裂けおびただしい臓物の溢れ出している馬が一頭あった。負傷してまだ生きているアッシリア兵は見当たらなかった。この連中を率いた者、父の役割を担った奴はすでに倒れたのだろうか。
馬を横倒しに寝かせていたのだろう、起き上がった馬に跨る黒い男の姿は暗雲が覆いかぶさってくるように見えた。
「放て」と叫んで俺は戦車を発進させた。男の放った槍と、胸をキッギアの短槍で貫かれた黒い男の身体が、間をおかずにキッギアと俺の頭上を飛んで行った。
「二の槍はなかったな」とキッギアがこともなげに言った。
「偽者ですから。父の隊にいる者と同じほどの腕前でしたら、私どもは骸でした」虚を衝かれたばかりの俺の声は甲高く昂ぶっていた。
「それがわかっていればよい。あそこで間をおかずに踏み込んだのは誤りではない。よほどの腕でも死は免れただろう。アッシリア軍の方は二の槍を使っているな」
「この隊はやはり囮なのですか」
「囮ではない。一本目の槍だ。おそらくもう一本もっているということだ。こいつらは百卒隊ではない。残りの三十人が待っているのではなく、もう一隊いる」
前方の遠くない場所から刃と刃、刃と盾のぶつかる音がした。骨の砕かれる鈍い響きも聞こえた。戦車の横を徒歩の兵が駆けて行く。
「キッギア様、今ほど通り過ぎた処にあった馬の死体を調べてください。腹をやられていたやつです」大声で言ったつもりだったが自分の声が遠かった。キッギアの指示に二人の兵が引き返した。切り結ぶ音と絶叫が不意に途絶え、友軍同士の掛けあう声が重く澱んだ血と煙を吹き払うように弾けている。喉の渇きが耐えがたかった。夜空を穿つような声で駱駝が唸った。二の槍のことを思い巡らせていた俺にキッギアが訊いた。
「ディリム、どうしてわかった。腹の中に一人いたそうだ」
「あれは剣で切った傷でした。われらのつくったものではあり得ません。それに、父から教えられました。いざというときの身の潜めかたです」そう答えながら俺は、いま血に塗れていたのは俺になりすましていた奴かもしれないと思い、気が滅入った。
俺の思いを見通していたにちがいない、キッギアの言葉は励ましに満ちていた。
「夜明けまでに、この街道を元に戻さねばならん。アッシリア兵を屠るよりよほど骨のおれる仕事だ。二の槍の様子見には二十騎だけで向う。ディリム、しっかり穴を掘れよ。明後日、いつもの場所で待っていろ。新しい跳躍をおしえることになろう」
ウル ナナム
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