「鍛冶は辛い仕事だ」と苦いものを嚥み下すように覚師は続けた。「とにかく粘り強くなければならない。火花や欠片で腕や顔が傷つく。片目を失い、さらには両目をやられる者もいる。エピヌーのように僻遠の地まで響く腕を持つほどの者であれば、その天分のない者を簡単に見分ける。だからエピヌーはハムリに別な道を示してやるべきだったのだよ。今となっては間に合わない。あれは不平と恨みを腹から戻してはまた口中で捏ねくり回している痩せ牛なのだ。餓えたまま冥府まで行く命だ」
「なぜこんな奴が人の顔をして生きているのかと思うことはあります。それにしても覚師、人は変われないものでしょうか」ハムリに同情する気持はまったくないが、覚師の断をそのまま納得できず俺は訊いた。
「本性というものは動かしがたい。ほとんどの罪はその者の本性から出ている。ナボポラッサル王は寛大なお人だ。一度目の罪を赦すという。だが私は別な考えを持っている。ディリムにも言ったように人は自分のしたことを繰り返してしまう。本性がそうさせるのだ」
人の在りように希を託す寛やかな心。キッギアを救うために死地に駆け戻ったナボポラッサル王は一国の王の在りようを踏み外しているのだろうが、それゆえにこそ家臣も愛馬も進んで王に命を捧げようとした。
「ハシース・シン様はハムリが別の道を歩んでいればとおっしゃいました。家族一族は顔、体つき、身のこなしから話し方まで似ていますね。ラズリ様がいて、言葉はめったに発しないけれど誰もが仕事ぶりを称えるエピヌー、可愛いグラ、そしてよくは知りませんがグラの一番上の兄も気骨ある工人と聞いています。その家族の中で何故ハムリだけがあのような目つきでうろついているのでしょうか」
「揉めごと争いごとの多くは家族一族、隣人との間で起きている。血がつながっているのに何故争うのかとよく言うが、血がつながっているから争うのだ。見かけなどまさに見かけにすぎない。その上、三代隔てれば元の血は薄まる。ボルシッパで唯一ナブ神像が見えていたラズリと一代隔てたハムリは聖なる雄牛と驢馬を較べるよりも遠いと云える」
俺はエピヌーの連れ合いに会ったことがないし、係累もほとんど知らない。ハムリはラズリやグラ、エピヌーに少しも似たところがないが、見かけは見かけにすぎないことは俺にもわかる。一本の麦穂にも様々な籾がつく。初めから実の入らないものもある。
「いつであれば、間に合ったのでしょう」
「グラの一番上の兄ニンマルとハムリだが、エピヌーは二人がそれぞれ五歳になった時、鍛冶場に入れ、自分に次ぐ親方を傍につけて仕事を見せた。鍛冶場に入れば幼子でも自分の父がいかに工人たちに敬されているかを察する。当然誇りに思う。そこからなのだ。家族一族という糸が目蓋を蔽い縫いつけ、自分を失わせるのは。二年の間をおいて兄と弟は同じ物を見、大いに火の粉を浴びて火傷もし、水や道具を運んだ。ニンマルも幼い時分特に才を示したわけではなく、大雑把に括れば二人とも同じように凡庸だったのだろう」
「万能の鶴嘴を継ぐ者と云われ、四方世界数百人の鍛冶頭たちの頂にあるようなエピヌーからすれば、誰もが凡庸ということになってしまうのではありませんか」と俺は食い下がった。俺にしてからがそうだ。わが父は商隊の長として、率いる者たちはもちろん、馬や驢馬たちにも慕われている。動物たちは明らかに父と旅するのを喜んでいた。父のように大きな瞳を持つ者が見る天地は広大で深いにちがいないし、覚師のように三十を超える言葉を聞き分ける耳を持つ者が知りうる人の世は汲み尽くせない驚きに満ちているのだろう。嬉々として父に従う驢馬たちと同様、天分ある人の影を追う日々の吐息のなかに凡庸な己の輝きがある。
「凡庸であることに耐え続ければ、ありふれた積み重ねも時のなかで才に変わる。われらには何の足しにもならない荒れ地の草が羊の毛と肉に変わる不思議と同じだ。悪い井戸からの水は何度漉し布を通しても良い井戸の水になることはない。良い井戸で汲んだ水も放っておけば無風の候でもいつの間にか砂含みの水になる。人もまた、この井戸の水になぞらえることができるが、もちろんそっくり重なるわけではない。その湧き出た場所によってのみ評価定まるのなら、われらは夜を徹して明日をつくる気にはなれないだろう」
二つの大きな拳で卓を擦り叩くようにしながらハシース・シンは続けた。葦筆と葦笛を操る指の一つに見たことのない紅玉髄の指輪が嵌められていて、紅い石が星の滴りを集めたみたいに濡れ光っている。この手はきっと戦車も操るにちがいないと、俺は理由もなく考えた。
「いずれにせよ今後お前はハムリをラズリ、グラと血のつながっている者として見てはならない。小悪党も梃子の石となって大いなる禍を転がすことがある」
ハシース・シンがこれほどまでに人を悪し様に言うのを俺は初めて聞いた。理由あってのことなのだろうが、ハムリの振舞いは小悪党という割れ瓶からはみ出るようには見えない。汗するのを厭い力を惜しむ。身内が築いた名の高さを自分のものとして誇示したがる。そんな燃え滓みたいな目をした輩はどこにでもいて、小さな禍を振りまいて行く。人はこのしつこい雨泥から逃れられない。
「自分に引き寄せてお恥ずかしいことですが、血のつながりとは何なのでしょう」とナディンが訊いた。「本性が生まれながらのものであって、本性から逃れられないのが私たちなら、悪い井戸の水として生きるほかないのでしょうか。誰からも飲んでもらえず、己自身何故顔をしかめて吐き出されてしまうのかもわからずに」
「エピヌーは己の名が何の力も持たない地へハムリ捨て置き、孤児のように生きてゆかせねばならなかった。工人の世界で父の名の輝きなど次の代に何の力も持ちえない。それがわかっていながら、五歳にして力を惜しむ本性の息子、父の名声を冠のごとく引き継ごうとする息子を身近に残してしまった。そこでだ、ナディンにはっきり言っておくが、お前の父と義母も同じだ。エピヌーとは逆だがな。お前が王国で指折りの書記官になる才があることに気づかなかったことは致し方ないとしても、あの者たちはお前の芽を悉く踏み荒らそうとしたのだ。お前は自分を悪い水だと考えているようだな。わしの言う本性ではないが、自分をことさら低く見るのがお前の悪いところだ。親の目から本来の自分を隠さねばならなかったお前を気弱だと決め付けるのはいささか憚られるが、今のナディンの力であれば誰やらの推挙など持たずとも数多の都市で枢要な官を難なく得ることができよう。書記生たちが単調な繰り返しに歯噛みし、面妖な決まりごとを丸呑みして腸を痛めるのは安穏を約束するその官につくためだ。しかし新しいバビロニアが必要としているのは猟官のために文字を学ぶ徒輩ではないのだ。ナディン、首を立てよ。わしはもちろん、このディリムもお前の力が見えている。お前の前を行く者はいないのだ。誰に随いていく必要もない」
ウル ナナム
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