「膝を貸せ、ディリム」アシュがいきなり俺の腿に頭を乗せてきた。「何をしている、こういうときはお前の手を私の髪や腰におくものだ」小ばかにしたアシュの声に被さって誰何の声が聞こえ、程なく見張りの戦車兵に伴われてウッビブが現れた。ウッビブの左目尻から頬髯まで葡萄酒色の痣がひろがっている。あの晩なぜ俺は気づかなかったのだろう。こいつの痣は月の光で滲み出したり消えたりするのか。アシュと俺の姿を見ながら見まいとし誰とも目を合わせまいとするウッビブ。王宮の宴席で見せた豪放で陽気な熱は干上がっている。異邦への伝令使になった気分なのだろう。
「アシュ様、カドネツァル王子がご招命です」
皆押し黙っている。ウッビブの言は夜に溶け誰の耳にも届かなかったかのようだ。仮借ない無言。アシュの頭は変わらず俺の腿の上にある。
ウッビブは言葉を解さぬ犬となって咥えてきた言葉を吐き出した。奴はそう考えたかった。渉ではなく命なのだから自分は吐き出しただけだと。恥じるところはない。私は咥えてきた命を置き、言葉の命ずるものを咥えて帰るのだと。
キッギア戦車隊はナボポラッサル王の命にのみ従う。メディア弓兵はいま俺の命にのみ従う。アシュは誰の命にも従わない。そして俺はすでに命の及ぶ外にいる。
「夜伽でもせよと申されたか」耐えきれず踏み出しかけたウッビブを制するように、アシュは弾みもつけず立ち上がっていた。腿から頭の重みがなくなったのを感じるより先にアシュの声が聞こえた気がする。
「アーバ、供をせよ。矢は一本で良い」ウッビブには目をくれず、アシュは戦車の防柵の方へ歩き出している。アーバはアッカドの言葉を解する。奴の口元に笑みが生まれかけ左手は弓を掴んでいたのだ。俺はしかしメディアの言葉でアシュの命をなぞった。アーバは膝立ちで一礼し畏まった面持ちで箙から一本の矢を抜いた。見張りの戦車兵とアシュ、アーバが一列になってさっさと進み始めるのを使者ウッビブが大股で追いかけた。抜き放つのも難儀そうな長剣が足元の邪魔をしている。後宮門警護の衛士の剣ではないか、役に立たぬ代物だ。ウッビブは気の毒な役回りだ。恥辱の矛先が何処に向かうといえば俺しかないのだろう。
ツァルム戦車長も多才なフラシムもメディア兵も穏やかな目で暗い火を見つめている。獅子狩りの途上に罠と考えているクシオスたちは、王子率いる部隊と俺たちが何ゆえ別れて行軍しているのかまでは知らない。作戦のためでないことは瞭然だが。俺だけが怒気を扱いかねて息を荒げている。切り離されてもなお堪えて縋るような弁え、忠誠心など俺にはない。つまるところ、俺の行く先は罠が現れたところから始まるわけだ。この馬鹿げた行軍のまま罠に備えねばならない。カドネツァル王子も同じなのだ。王子たる自分に靡かず、背後から手勢を従えて付かず離れず進んでくる者に苛立ち刺々しい言葉をのぼらせているのだろう。
炎の音がした。キナムが枝を足しているところだった。交代の順に当たっていたらしいアーバの代わりを指示するクシオスに俺は自分が行こうと伝え、ツァルムの了解をもらった。アーバめ、生涯の誉れとでも言いたげだったな。まことにアスティアデスの血縁なのか。
焚火後の灰を集めるのも火を熾した者の役目だが、俺が羊皮に夢を記していたのでキナムが引き受けた。キナムの傍らで灰を入れる袋を広げていたのはアーバだった。昨夜、俺が見張り番から戻ったときにはアシュとアーバはもう炎の落ちた焚火の前に敷き皮を置き眠っていた。俺も従者キナムの用意してくれた敷き皮に横になり、夢に送られて目覚めたのだ。そして六日ぶりの夢記に導かれた。当分は粘土板ではなく羊皮を使うことになる。心得たもので、キナムは貴重な皮を束にして持ってきていた。
痩せ牛が川を渉るのを俺は見ていた。牛追いの姿はなかった。鼻づらまで水を被り、左岸から右岸へと大きく斜めに流されながらも、痩せ牛はけな気な感じで泳いでいた。血の痕のような染みが背を覆っており不吉だと目を背ける者もいれば、瑞兆とはしゃぐ声もあった。どこに俺はいたのか。顔に撥ねる水がうるさかった。血の痕のついた痩せ牛は俺だったのか。
夢底に沈みかけていた気がかりが記している途中で蘇ってきた。牛となった俺の脚を掴んできたものがあったのだ。正体がわからずもどかしかったが、あれは人間の手だった。牛の脚を捕らえていたのは俺の手だったか。牛は、牡牛はアッシリア王家の象徴だ。
「徴の読み方はひとつではない、幾通りもある。徴を読め、兆しを見逃すな」覚師ハシース・シンは繰り返し俺たちに言ったものだ。
夢の後姿は藪の棘だ。棘に気を奪われて、俺は長い間何も目に入らないまま行軍していたようだ。行く手は天空から大斧の一撃を受けたような裂け目で、尾羽というより蛇の口だ。青足鳥の尾羽の谷とはアッカドの呼び名ではないだろう。古の名をそのまま呼び変えたため、かくも言いづらい名となったにちがいない。馬一頭が精一杯かと見えた道幅は往還する荷駄が充分擦れ違える。ツァルムは王子の部隊の最後尾との隔たりを矢の距離一つに詰めている。車軸の心配をするほどの揺れはまだない。気にかかるのは伏兵ではなく街道そのものだ。青足鳥とやらは異邦の地から飛び来たって草木が根付くのを拒んでいるのか、枯れ草も見当たらない。夜営の場所には水場があり、陽を濾すほど葉を広げる木も育ち、草が朝露を乗せていた。いま振り向けば昨夜我らの傍らにあった木がまだ見えるはずだ。それが夢を跨いだように景色が一変している。言葉であればそれも珍しくはない。丘を一つ越えただけで、いきなり話されている言葉が変わり通じ合わなくなることがある。しかし一木一草生えない荒地に前触れ無く入り込むことはない。
野に魔法をかけると云ったな。岩が光っているのではない。谷の亀裂いっぱいに光が溜まっているのだ。古街道は人馬のために開かれた道とは思えず、水路にでも潜り込んだようだ。水の道、風の道だ。昨夜の焚火の火の粉は真上に立ち昇るだけだった。盛大に燃えていたはずの王子の所からも火の粉は流れ飛んでこなかった。風の道は大扉を閉め切っていたのだ。見上げた先にある灰緑色の広がりは果たして朝の空なのかさえ覚束ない。
俺の目は前方に広がっていることどもをそのまま映している。しかし目に映っているものを必ず見ているわけではない。二年前に刻んだ粘土板の文を思い出したり、夢の底を探ったり、ラズリ様の語りの最中に湧き出た荒野の様子を浮かべ直したりしているとき、俺は前方に広がっているものを見ていない。
一方この裂け目に刻まれていること、この地が思い浮かべていること、もしかしたらいずれ現れ出ることが俺の目に映りだすとき、俺はどこにいるのか。今ここにないものを見ている俺はどこにいるのか。目だけが、ただ目だけが時のなかを飛ぶのだろうか。
行軍する誰もが油断なく耳目を尖らせている。それでも奇態な道を進んでいるとは感じていないらしい。俺一人、皆と異なる景色を見ている。ベルヌスの耳が古人の歌を聴くように、身は皆と共にありながら俺の目だけが四百年を遡り、あるいは八百年先がけてこの場所を見ている。俺は時の井戸釣瓶に乗って激しく上下しているのだ。