そのラムは、たくさんの酒瓶のなかにあって、あきらかによそ者だった。葉巻色の円筒状の瓶の中に、ねっとりした混血女の肌をとかし込んだ液体。ラベルには大きな手のような樹の銅版画が印刷されていて、L’arbre du Voyageur(旅人の樹)という銘がある。おそらくは、ツバも出ないくらい渇ききった旅人が、この葉っぱを伐りとって中にたまった水を啜るのだろう。そういう樹は、アフリカにもインドにもあった。貧しい土地では、木だの花だのが、文飾のない一片のポエジーになる。
ショットグラスの蛇に咬まれた!
ラムをグイッと呷って、その勢いがしぼまないうちにマルティニクへ行かなけりゃ、ただの老いぼれになると思った。風にむかってマッチをするようにして、ちょうど半年後にマルティニクに降り立っていた。
しょぼい空港には、たしかに商標っぽく旅人の樹がうわってる。雲の湧き上がった空を背にして、トンマなペンキ画だ。(いいかげん、旅人の思い込みは関税で足止めされるべきだ。)サッと雨が降り始めて急ぎ足になったが、カフェに飛び込む頃には、山のあいだにウソみたいに大きな虹が架かった。ラムを一杯、こっちのやり方で、角砂糖をひとつ落として呷ると、下っ腹あたりがカッと熱くなってきた。マルティニクの象徴は、一匹の蛇だ。そいつが、いきなり踝に咬みつきやがった!
KALIの家は、山からの勾配を背にしていて、高見台かなにかのように立っていた。木造で、塗りつけたペンキがあらかた剥げてしまっている。大きいことは大きいのにスカスカしていて、arte povera(貧しい藝術)の作品が、いきなり熱帯林の中に放り出されたように見える。しばらくすると、鳩時計の小窓みたいに窓があいて、KALI本人が顔を出して、こっちへ来いと手招きをした。ストリートギャングの親玉のやるような、貫禄はあるのに力をぬいたしぐさだ。
上にあがってみると、ちょっとした録音機材もあって、どうやらスタジオらしい。KALIは、顔立ちはハンサムなのに、ぜんたい浮浪者にしか見えない。おまけに前歯が欠けていて、スースー息がもれる。ははあ、こいつも安いラムに、いくつも角砂糖を沈めて飲みつづけて、あげく歯を失くしたんだろう。
まず、その日の朝、叔父さんが亡くなったということを聞いたので、お悔やみをいった。そしたら、KALIが、C’est la vie.といってクシャッと笑った。こういうときに、そういうのかと意表をつかれた。そうこうするうちに、どうしても何かをあげたいという衝動が、突き上げてきて、鞄の中をさがして、永田耕衣の小さな句集をひっぱり出した。分からなくたって、そうでもしないとおさまらない気分だった。
俳句についてなんとなく知っているらしく、ひとつ読んでみてくれという。
物として我を夕焼け染めにけり
そばにいたシチリア男のジャンフランコが、きらいなフランス語をいやいやしゃべって通訳してくれたら、思いがけないことにKALIがこういった。”分かる。夕焼けのきれいなサンピエールで、夕焼けを見ているとき、そういう気分になる。”
サンピエールは、たしかにとびきりの夕陽をおがめるところだけれど、二十世紀の初めに火山が噴火して三万人が一瞬のうちに黒こげになった。生き残ったのは、牢獄にいた囚人だけだったという。ひょっとすると、KALIは物というコトバに記憶をよびさまされたのか?いや、もっと遡れば、フランス人はこの島の住人を根こそぎ虐殺してしまった。だから、KALIの祖先はアフリカから奴隷船で連れてこられたネグロにちがいない。花の島マルティニクには、溶岩も流れたけれど、たっぷり血も流れた。
パリにいた頃のことを訊くと、なんともいえない顔をして、フランス人のことかパリジャンのことか、cochon!(ブタ!)と罵った。
そのあと、いきなりバンジョーを抱えて、テラスに出て、つま弾きながら、はな唄をうたってくれた。ami roroという唄、好きな女のことを想って、ぼんやり風に吹かれている、そんなノンキな恋唄が、いかにもマルティニクらしい。裸足のまんま、リズムをとる細っこい脛が山羊の足みたいだった。パンパンと、バンジョーの乾いた音が、ピストルを撃ち込む音のように響いた。パンパンパン!
思い出を抱え込むのは、蛇に咬まれて、ほうっておくようなものだ。毒のまわらないうちに、血を吸い出してやらなけりゃ!