「去年マリエンバードで」 (1961年 アラン・レネ監督・仏伊合作)
あのころ、
どうして私はあんなにも……イタリアを求めていたのだろう。
将来への不安でいっぱいだったのはずの20代の私は、
イタリアへ、どうしてもイタリアなんだと、
根拠のない夢をいだいていた。
50代になって
若い時代の甘えも過ちも、そして輝きも、
なべて俯瞰できる齢(とし)になってみると
その屈託のない一途さが、愛おしい。
そして
思いがけずその後、イタリア庭園の設計を職業として選んだ私の
最初のきっかけが、
「去年マリエンバードで」
を見た記憶にあったのではないかと……
次第に、あてどのないに思いに囚われるようになってきたのだ。
謎に満ちた男女の会話を、二十歳そこそこの私に理解できるはずもなかった。
でも、こと映像、
とくに完璧な秩序を謳う庭園美は、その後いまにいたるまで私の心から離れたことはなかった。
今年5月に久しぶりにローマを訪ね、
初めての場所、再訪の地をめぐる旅のなかで、
トラステヴェレ地区の西にひろがる、
ヴィラ・ドーリア・パンフィリ庭園に行ったとき、
そのあてどない思いは自分の中ではっきり確証となった。
この庭園は17世紀に、枢機卿ジャンバッティスタ・パンフィーリ(のちの教皇インノケンティウス10世)が
古代彫刻収集品の展示場としてカジノ(宮殿)を建てたもので、
このヴィラが単にバロック庭園の傑作というだけではなく、
この庭園とカジノは、綿密に計算された『比率』で構成されていることが知られている。
例として、
「カジノの平面図は、正面ファサードと寸法も構成もほぼ一致していること」
また、庭園の寸法は、
「カジノの北側と南側立面のたかさはそれぞれの側の庭園の奥行きと一致する」
Villa Doria Pamphili
こんな話がある。
映画「去年マリエンバードで」のなかで庭園にたたずむ男女の異様に長い影は、
じつは地面に描かれたもの、だという。
この事実を映画の記録で知って、
私のこころのなかですっと、何かが融け合うのを感じた。
ヴィラも映画の登場人物たちも、
垂直に立ち上がった建物(人物)と水平にのびる幾何学庭園(影)の『比率』に
その美の秘密が隠されていたのだ。
アラン・ルネの映像美とバロック庭園の美は、『秩序』という地下水脈でつながっていたと……
言い切ってしまっては、まだ性急だろうか。
そしてこの庭園には「花 」がない。
大鉢に配されたオレンジだけが、豊穣の色を添えている。
意図してアラン・ルネ監督がモノクロームとしたのか私にはさだかではないのだが、
たぶん、「色」は不要だったのではないか?
ああ、30年という私がヨーロッパを求め続けた時をはさんで、
いま、もう一度あの名画を見てみたい。
今の私なら、きっと「去年、マリエンバードで」の庭園の冷徹さにも、
男女の冷たさにも、計算された会話にも、たぶんたじろがないのではないか。
私はもはや、暗闇のスクリーンに投射されるヨーロッパ芸術のレトリックにひとつひとつに溺れかけていた少年では、
もうなくなっている。
ふと気がつけば、庭にはもう人も無く、午後の強い日差しが木々の濃い影を地面に落としているだけ……
そんな私の未来が見えるだけかもしれないが。