リレーコラム

  • 祥見 知生 (うつわ祥見主宰) 「名をつける」

    名付け親になるというほど大げさではないが、身の回りにあるものたちに名前をつけて名を呼ぶと、親しい気持ちがさらに高まり、よけい可愛く思えることがある。
    さいきんでは、鎌倉駅の近くの商店街「御成通り」の端っこに器を伝える常設の空間を持ち、お向かいにある「くろぬまさん」で初めて買い物をした黒色のクマのおもちゃに「くろちゃん」という名をつけた。「くろぬまさん」は大正十二年創業の紙店だが、現在は夏は花火、通年では紙風船や水鉄砲など昔ながらの素朴な玩具を売っている。子供をあたたかく見守るシンボル的な店で、わたしはたまたま見つけた空き物件から見た「くろぬまさん」の、なんともあたたかく郷愁を感じる佇まいに一目ぼれしてこの場所に店を開いたのだ。
    くろちゃんは身長7センチほど。ソフトビニール製でバットマンのいでたちをして、くるりと大きな目と丸い耳に愛嬌がある。ぜんまいを巻いてやると、足を前に繰り出して歩く姿も愛らしい。店の一周年記念のDMに石田誠さんの南蛮焼締めの杯とともに登場させたら、「どうしちゃったのですか」と手にされた多くの方に言われたが、「器ともに朗らかに」という想いは伝わったらしく評判はよかった。この写真を大きく引き伸ばして店の前に貼っていたら「このクマは売っていないのですか」と道行く人に訊ねられた。雑誌の取材でこのことを話したら、肝心の器よりも大きく取り上げられたことも可笑しかった。

    先日、うつわ祥見で初めての「器の同窓会」を開いた。「最愛の器と出席ください」と呼びかけると十数名の方にお集まりいただいた。その会に持ち寄られた器たちが想像以上に素晴らしかった。めし碗、急須、湯呑、鉢、皿。ふだんの食卓で使われて育った器はどれも経年の味わいを増し、使い手に愛されて誇らしげな顔をしていた。
    ともに暮らす器たちをわたしは親しみをこめて「うちの子」と呼んでいるが、同窓会に出席された皆さんも同じように、器をごく自然に「この子」と呼ぶので嬉しかった。

    『茶碗のみかた』は昭和51年に刊行されたポケットサイズの名著だ。鞄に入れて移動の時間に興味深く眺めている。
    李朝時代の井戸小貫入茶碗 銘「撫子」に寄せた言葉には「小貫入は井戸の貫入をそのまま縮小したような貫入と、かいらぎをもっていて、総体に小振りである。それは掌中の珠にもたとえられ、可憐にしてしかも小粋でもある茶碗であり、われら渇望おくあたわざるものではあるが、いかんせん世の中に小貫入は少なく、これは及ばぬ恋とでもいうところか。鳴呼―。」とある。著者が熱っぽく語る解説を無理なく読み進むうちに世に名だたる茶碗を知る手引書となっている。桃山時代のまだら唐津茶碗に「朝陽」、江戸後期の黒茶碗に「宝剣」。器に名をつけて尊ぶのは茶陶の文化の成熟さをものがたる。
    一方、ふだん使いの器に名はない。無名であることの美しさは雑器の誇らしさのあらわれでもある。
    しかし、器に名をつけるという行為をふだん使いの器たちにそれぞれの使い手が自由に行ったら愉しいだろうな、とふと考えた。器と人のかかわりは外に向かうものではなく、「ごはんを食べる」ことは家(うち)のなかで毎日繰り返し行われる。めし碗や湯呑み、ぐいのみが可愛がられるか否かは器と使う人との相性が大きく関係する。器を使って気分がよいかどうか、そこからあんがいユニークな名が生まれてくるかもしれない。
    ではさっそく、ためしにと、わが家の器を想像してみた。京都の陶芸家・村田森さんと運命的に出合わせてくれた染付の豆皿は「バッファロー」。村木雄児さんの三島碗は?小野哲平さんの鉄化粧のドラ鉢は?と、想像を繰り返すのは愉しかった。
    さて、わたしの最愛の器は薪窯で焼成された無釉のめし碗である。かたちといい、高台の削りの具合といい、飄々としたとぼけた味わいがあり、どんなに眺めても飽きることがない。手に包むと土のよさがじんわりと伝わり穏やかな気持ちになる。この器でごはんを食べると、よい落語を聴いたあとのように、気分が晴れる。しみじみと、わが家に来てくれたことが嬉しく、これからずっとこの器とともにありたいと願う。この器にどんな名がふさわしいだろう。

    しかし、お遊びとわかっていても、この器にはとうとう名前をつけられなかった。不思議なことに、時間をかけて見つめてもこの器に似合う名は一つも浮かばなかったのである。

    しばし考えて、もしもこの器を人に紹介することがあったなら、最高の愛情をこめて「この子」と呼ぶことにしよう、と決めた。無名の冠が似合うなんでもない碗であるからこそ、最愛なのだ。
    器好きの度合いはこのように深刻化する。器とわたしの偏愛的な蜜月は今日も続いていく。それは朗らかで、こころ愉しき、かけがえのない日々である。

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