リレーコラム

  • 永井 友美恵 (テキスタイル作家)「ライラックの咲く頃」

    目の前で小さなコマが回っている。ドイツの友人エリックが持ってきてくれたものだ。知り合いの木工職人が作ったという直径2センチにも満たないそのコマは、一本の木から削りだされ、木目の半分が濃くなって美しい模様になっている。
    「ライラックの木で作ったんだ。」とエリックが言った。
    そのとたん、回り続けるコマから香りの記憶が漂い出てきた。
    場所は札幌、長い冬が終わっていっせいに花々が咲きみだれる5月、フィンランド人の園長ピーライネン先生に見守られて、5歳の私が幼稚園の園庭でブランコをこいでいる。ブランコの後ろには、枝の先に淡い赤紫色の大きな花房をいくつも付けたライラックの木があって、こぐ度に後ろから甘い香りが近づいては遠ざかった。もっと香りに近づきたくて白いタイツをはいた足に力を込めて思い切り、ブランコをこぐ。ほとんど背中が葉や花房に付く程なのに、背を向けているので香りだけが背後からやってきて、イメージの中のライラックは輝きを増していった。
    香りの記憶、かたちはないのに、確かに存在するもの。それは案外かたちあるものより深く心に刻まれているのかもしれない。それはふいに現れ、そのときの情景をあざやかに再現してくれる。
    数年前に見た「ラフマニノフ ある愛の調べ」の冒頭で、両側にライラックの生い茂る小径を、男の子がかけ抜けていくシーンがあった。香りの存在を確かめるように両手をひろげて花房に触れながらいくので、その度に左から右から花房がゆれて男の子に降りかかる。思わず自分の幼い日と重なって私は深く息を吸い込んだ。この映画でライラックは最後まで重要なキーワードになっている。度重なる試練に、ラフマニノフもまたこの香りに癒されたのだ。度々コンサートホールに届けられるライラックの花束、誰が送ってくるのかも分からないまま、季節外れの時にさえ届く花束の訳は最後に明かされる。
    今年のecritの年賀状に添えられた詩にもライラックの一節があった。

    あなたはやってくる
    露に輝くライラックの花群をぬけて
    鏡の向こうから
    後日、ecritの落合佐喜世さんに詩の題名と作者を教えてもらった。タイトルは「 初めの頃の逢瀬」 作者はやはりロシア出身の詩人アルセーニー・タルコフスキーで、映画監督アンドレイ・タルコフスキーの父であることもそのとき知った。今ecritが詩画集を計画しているらしい。
    小さなコマはまだなめらかに回っている。私はそっと顔を近づけてみる、記憶の中のライラックの香りをかぐために………

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    (左)織/永井友美恵・木彫/久住朋子
    書見台・掛布 “音楽と祈り” ギャラリーおかりや (2009年)
    (右)織/永井友美恵
    マフラー(部分)グレゴリオ聖歌 ”Graduale”

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