「戦争」を選んだ、とのタイトルが少し思わせぶりで、出版社が売らんかなとしたものか、と勘ぐったりもして、なんとなく逆なでされるような気持ちが先立った。なぜなら、戦争を「選んだ」ではなく「選ばさせられた」、という人が普通であり、大多数であったのが近現代の総力戦からくる戦争の性格だ、と思っていたから。で、10日ほど前にようやく気持ちを落ち着けてから、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を手に取った。
読み終わってほっとした。単に教科書を読むようでなく、先生(加藤陽子・東京大学文学部教授)が日清、日露戦争から太平洋戦争までを細心かつ綿密に再構成した近現代史を教えている。検証された事実と的確な状況把握のもとに、話す言葉はやさしくも明確で無駄口がいっさいない。学ぶ生徒同様に、身近だからこそやっかいな近現代史をあらためて納得しながら勉強できた。ただ、唐突に思うかもしれないのだが、この近現代史があみだくじに見えて、横に折れるように引かれた線のままに右へ行ったり、左に進んだり、それでもゴールは○でも×でもない同じ結果の同じ地平にわけもなく立ち尽くしている、とのわだかまりは解消しきれない。「選んだ」のか、「選ばさせられた」か、つまり同書にあるように「戦争責任をめぐる問題は十分議論されてこなかった」からによる。
そもそも戦争を知らない世代、くわえて戦争の知識に疎い。戦争か、平和か、と問われることもなく過ごした果ての平和ぼけ、といわれても致し方ない。『戦争論』(多木浩二著)も、このコラムvol.17で成相佳南さんが『絆』の関連作品として掲出していたことで知ったくらい。それでも、競争や闘争、そして闘争心こそは、人類が継承し続けているものであり、平和への関心とは裏腹に本能とし発揮されるものにちがいない。
アリストテレスに従えば、人間社会は闘技場を主宰する者、闘技する者、見物する観客によって構成される、であったか。いずれにしても、その闘技場で圧倒的に多数を占めるのは、闘技に興奮し、満足する観客。であるからか、娯楽版戦争映画を選んで映画館に行く機会も多い。古くは、戦後10年を経過したばかりの1957年(昭和32年)、映画館の中が異様な熱気とともに大人たちがあることを感じた『明治天皇と日露大戦争』から、考古学とロマンと野心を壮観な場面に心をときめかせてくれた『アラビアのロレンス』、苛立ちと恐怖の罠にはまった閉塞感とナパーム弾に焼きつくされて空しく広がる解放感で終わった『プラトーン』をはじめとするベトナム戦争ものなど、主にアメリカ製の戦争映画をたくさん観てきた。「西部戦線異状なし」や「夜と霧」などが戦争映画のほんとうの意味を表現している、というのはわかる。しかし、こどものころに大好きだったチャンバラ映画や西部劇と同様に、ヒーローとアンチヒーローが対決する活劇のような戦争映画が嫌いではない。
幸いにも戦争は全く経験していない。しかし、経験していない記憶はいくつかある。そのひとつ、子ども心に幽閉される怖さを感じた防空壕。目下、平成本堂大営繕の最中にある浅草寺裏手の広場に口を開けたままの防空壕があった。言問橋を渡ってすぐ、隅田公園に向かって下る階段の左手にも分厚くコンクリートで覆った饅頭のような防空壕があった。今は、いずれも平らに整地され、かつての異物は何事もなかったように跡形もなく消えている。東の空を見上げれば、高さ世界一の電波塔になる東京スカイツリーが一本の蝋燭のように立っていた。
3月10日、東京新聞の朝刊1面に掲載された写真が二つの防空壕の記憶を呼び覚まし、(実際に経験した人たちの記憶とは比較にもならないが)経験していない記憶へと重くのしかかってくる。『フェリーニのローマ』で古代ローマの屋敷跡のフレスコ画が外気にふれて消え行くさまは、そこに歴史のせつない宿命を感じるとともに、鮮明に描かれた男女像に適切に問いかけること、されば歴史に言い寄ることもできるはず、とあらためて実感させてくれる。歴史をつかさどるクリオは内気で控えめな女神であるそうだが、たまに地上に降りてきて顔を見せてくれることもある。
1945年(昭和20年)4月2日、午後1時16分、高度1万メートルからの写真は、焼夷弾で焼け野が原となった東京下町の一部。中央に緩やかに蛇行する隅田川、下に両国駅、旧安田庭園、慰霊堂あたりの黒い影、写真の左上に浅草寺の伝法院、奥山、瓢箪池あたりが黒く、そのほかの焼き尽くされた町と行きかう人のいない道路は表皮をはがしたように白い。仲見世の細い二本線の突き当たりが浅草寺、そして浅草寺裏手の言問通りを隅田川に向かい、言問橋を渡ると向島で隅田公園、牛島神社と周辺が黒く映っている。そこには浅草寺裏と隅田公園の防空壕がある。
3月10日の大空襲において死亡または行方不明とされた人々は、8万人とも10万人ともいわれる。
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』から、私は水野廣徳(ひろのり)という名を知った。戦後の進むべき道を予見するかのように昭和のはじめに平和思想を説いた海軍の軍人で、その「独力戦争をなすの資格に欠ける」とする前提条件が今あることを想起させてくれる。私にはそれはまた、戦争を選ぶか選ばないかの二者択一ではない、戦争をしないために戦争を選ばないことの基本をあらためて問いかけているように思える。