リレーコラム

  • 竹谷内 桜子 (文筆家)「奇妙な椅子」

    日常の生活の中で、ちょっとした不思議な出来事や奇妙なものに出会うのが大好きです。先日も面白いことがひとつ。
    坂の上から友人が歩いて来るのが見えたので大声でその人の名前を呼んだところ、呼び終わるか終わらないかのところで全くの人違いであったことに気がつきました。
    「しまった!」と思うより早く、その見知らぬ人に「はーい」と返事をされて驚いたのですが、偶然にも同じ名前の方だったのですね。
    偶然と言えば、何気なく入った展覧会場で、陳列してある本をぱらぱらめくっていたら何かが本の中から飛び出して頭の上をかすめてゆきました。とっさに「何かの仕掛け絵本を壊してしまったのか」と不安に思ったのですが、よく見ればその頁の中から飛び出した黒い物体は蝶で、ひらひらと部屋の中を飛び回っています。ふとしたはずみで頁と頁の間に挟まったのでしょう。いつまでも呑気に天井近くでゆれていました。それにしてもよく潰れずにいたものだなぁ………。一体どうやって挟まったのかしら?
    家の近所にある街灯も不思議な奴です。立ち並んでいる街灯の中の、いつも同じ一本だけが傍らを通り過ぎる時に消えてしまうのです。おそらく配線の不具合だとか、そんな理由だと思いますが、何かいたずらをされている気分になりそこに一つの物語をこしらえてみたくなります。
    ある時雑貨屋さんのBGMでオールディーズの音楽がかかっておりました。そのうちに「ONLY YOU」のあの有名なイントロが流れ出しました。そして男性の甘い歌声で「ONLY TWO~」と歌われた時は自分の耳を疑ってしまいましたが。あれは私の聞き間違いだったのか、それとも二人の女性を愛した男の歌だったのでしょうか。今でも謎なんです。
    近頃はあまり無いことですが、古本屋さんの本には持ち主の書き込みがあったりします。メモの切れ端が挟まれていたりもして、そういったものを見つけるとこの本を読んでいた人はどんな人だったのかしらと、ここにもまた物語が生まれます。手紙が挟まっていた時は大当たりですね。大手の古本屋さんは書き込みのあるものは買い取らないし、中に挟んであるものは抜き取ってしまうので、近頃は面白いものに出会えず少し寂しいです。
    不思議なものの多くは理由が判明してしまえば合点がいくけれど、「あれは一体何だったんだろう」と謎がとけないままのものもあり、いつまでも心にひっかかったままになっています。その宙ぶらりんとした奇妙な感覚が、私はとても好きなのです。
    半年ほど前、旅先で一目惚れをしました。ふらっと立ち寄ったアンティーク家具屋さんにあった椅子にです。それは大昔の英国製の家具がひしめきあう店の中で、静かにガラスケースに収まっていました。私を虜にしたのはその形です。片側の背もたれは斜めに傾き、腰をかける部分も不自然に歪み、とても坐るために作られた椅子には思えません。
    何のための椅子なのかと店主に尋ねたところ、長い時の流れで素材の木が縮んだのですとのこと。一体どれだけの時をへたらこんな形になるのでしょうか。その変形の様に圧倒され、しばらく椅子を眺めておりました。
    値段を記すプレートにはただ「ASK」とだけ。恐る恐るいくらなんですかと聞くと、「まぁ……応相談ということです」とはぐらかされた。うーん、きっとよほどのお値段なのですね。
    それにしても何十万円何百万円の家具が居並ぶ中でのこの扱い。この椅子は何百万円?何千万円?いやまさか。どうしても価格が気になったけれど「ASK」の文字に反してその椅子は「何も聞くな」と言っているように思えました。
    見れば見るほど、その歪んだ椅子が気になってしまう。骨董品にのめり込む人には、こんな出会いは日常茶飯事なのでしょうね。
    時間の流れをいびつに体に刻み込んでガラスケースの中で沈黙している椅子は、ただただ美しく、後ろ髪を引かれながら帰りました。あの椅子にはもう会わないだろうけれど、そっと心にしまっておこう………。
    日常からほんの少しズレた物事は時に優しく、時に哀しく、時に愛らしく私を楽しませてくれます。今でも何処か遠くのお店の片隅や路地裏で、風変わりな物たちが待ってくれているのだと思います。  彼らの愛すべき姿を何とか素敵な物語にしていきたいと、いつも思っています。
    それにしても、あの椅子………いいなぁ。どんな人が買ってゆくのでしょうか。つらつらと思いめぐらせていたら居てもたってもいられず、再度見に行くことにしました。見たからってどうにかなる訳じゃないけれど、とにかく会いたい!
    車をとばし再び椅子と対面しました。
    何度見てもいいなぁ。若い店員さんが居たので、思い切って聞いてみることにしました。
    「あああ、あの椅子、おいくらなんでしょう」
    店員さん、笑顔で答えていわく、
    「ああ、あれっスか。一万八千円っス」
    ななな、なんともはや。
    聞けば珍しいものなので、ああやって展示しているとのこと。想像していた価格とのあまりの落差にショックをうけて、その日はそのまま帰りましたが、翌日しっかり注文の電話を入れました。
    明日、椅子が届きます。

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