新宿西口の大学前の広場に続く植え込みの石段によじ上り、足をぶらつかせながら、さっきコンビニで買った缶に入ったウイスキーの水割りを飲む。ナッツ入りチョコレートを時々齧りながら、バスがやって来るのを待つ。辺りにはリュックサックを背負った同年代らしき男の人、洋服の入った紙袋をいくつも持って少し高い声色で話し続ける若い女の子達、背広を来て神妙な顔つきでじっと立つ男の人、バスの受付の列へ静かに話しながらゆっくりと歩いて行く老夫婦、老若男女とはこんな様子を言うのだろう。脈略のない人々が、夜中の新宿の路上でバスを待っている。
地方で展示をやるようになってから、年に何度も長距離バスに乗るようになった。夜中のバス、昼間のバス、週に2度3度と乗っていると国内を移動しているのに時差ボケになったりもする。知らない人と肩や腕が触れ合ったまま半日ちかい時間を過ごすことに慣れるまで随分時間が掛かった。30歳を越えて、友人にはいい加減にバスはやめて、新幹線に乗ればと勧められるようになったけれど、バスに乗っている時間には何か惹かれるものがあった。そうしている内に、一人分の座席の空間で、足を立て膝にし、身体を丸めて、頭を座席と窓の間の隙間に詰め込むようにすると落ち着くことが出来るようになっていった。眠ることが出来ればいいのだが、そうやっていても眠ることの出来る時もあれば、うとうとと浅い眠りが続くこともある。眠らなければいけないと思っていたのをあきらめて、うまく眠ることが出来ても全く眠ることが出来なくてもどちらでもいいと思うようになったら、知らない人々の中の狭い座席にいることも、8時間の移動時間も気にならなくなっていた。
バスはたいてい3時間おきにサービスエリアで休憩を取るために停まる。バスが
サービスエリアに入ると小さく電灯が点き、出発時間を書いた札が置かれる。それを横目に、うとうととした頭のままバスの外へ、とにかく降り立つ。出入り口の階段を2段降りると、どこであろうと正面に建物があって、白い看板にはサービスエリアの名前、その場所の地名が書かれている。そんな風に突然現れる地名は、わたしにはただの文字の並びでしかなく、一体自分の立っている場所がどこなのかは全く分からない。分からないまま、自分の足が踏みしめている一面の雪に驚いて、その向こうでぼんやりと明るい灯りを灯しているガソリンスタンドに、なぜか息が詰まりそうなほど目を見張る。クーラーで冷えた身体がむっと真夏の熱気に囲まれ見上げた雲のない青い空に見とれる。ベンチでコーヒーを飲み
ながら、頭の上に翻る日の丸の旗を見て、前に同じ場所に座ったことを思い出す。続く山並みから漂って来る空気を吸い込む。どこにいるのかわからなくても、目の前に確かにあるものがあるのだと、目は思う。心に沈み込んで来るものがある。
バスに乗っている間は、目に映るものに目を凝らしている。ただじっと見ている。新宿から行き先へ運ばれていく、その間に途中下車はもちろん出来ない。目の前を、ここでも、行き先でもない、その間を繋ぐ道行きの中にある場所が次々と現れて過ぎて行く。わたしが生きていると思っている時間とは別の、膨大な時間が散りばめられている景色を見ている。そこにたくさんの別の人生があることを想像して見ている。それらから何を思う訳でもなくただ見ている。見ても見ても、バスの時間は続く。そんな目の前を過ぎ続けていく景色を見ていると自分のことがだんだん淡くなって来る気がする。
そうやって地面の上を順を追うように移動していくバスがわたしはきっと好きなのだ。狭い座席にじっと座って、ここから行き先までの間の道のりを知らされないままに運ばれる時間の中では、日々傍にある時間も場所も人も少しずつ遠ざかって、ひとりきりになって行く心地がする。そして、そんな心が解かれるようなひとりきりの心地が過ぎ去った後には、急にどこだかわからないここは月がとても美しく明るいと伝えたい人がいることに気が付いて心が揺すられる。
幾重にも言葉の重なる心が埋まったひとつだけの身体を抱えて、ひとつの場所からひとつの場所に向かうしかないのだと、ある日ふいに思ったのだった。『一帰
何処 ー ひとつ、いずれのところにか帰する』。禅語句集のページをめくっていて、ひとつの場所に落ち着く、そのひとつの場所はどこなのかと書かれたページで指先が止まった。最初、それを読んで、仰々しいと思ったのだった。それでも、なぜかそのまま読み飛ばすことが出来ず、手元の紙切れに鉛筆で書き写して、机の前に貼った。毎日、その紙切れの前を行ったり来たりしながら、読むでもなく、けれどその書かれた字は目に入っていた。
ある日、身体はひとつなのに、その心の中には、たくさんの言葉が、温かい言葉も刃物の言葉も、毒の言葉も柔らかな言葉も甘い言葉も呪う言葉も愛おしむ言葉も、混ざり合って重なり合ってぎっしりと詰まっているのだと思い知った。数日後の夜中、紙の上に、バスでの時間を思い出しながら文章にもまだならないメモ書きのような文章を鉛筆で殴り書きしていたら、そのひとつの身体を帰す場所を、わたしは長距離バスの道行きの中でいつも気付かされていたのだと思った。
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