ファナティックな、あるいはペダントリックな映画鑑賞家ではないのだが、それでも映画は好きなほうだと自分で思う。
「アニエスの浜辺」というアニエス・ヴァルダ作品を見た。80歳で作ったドキュメンタリーである。といっても映画という虚構性と真実を知りつくし、もう一つのリアリティを設計するヴァルダなのだから、パリの街の一角にトラック6台分の砂を撒き浜辺を造ってしまい、路上のオフィスが設けられる。そこでアニエスは銀行と電話のやり取りをしたりする。「浜辺」という映画を制作するのだけれど、無利子で金を借りたいといったり、コンピュータで仕事をする助手のいるところへ雨が降ってきたりする。ビニールシートをかけるスタッフたち、この雨は多分人工的な雨なのだろう。映画を作るプロジェクトをいかにも映画という道具立てで、しかもシュールな風景の中に設定する。
アニエスは生まれてからの記憶が残っている土地や人物の記録からこの映画を始める。もちろん映画作家になるきっかけや、作った映画に関する記憶、エピソードなどが作品の映像を交えて記述されていく。
「ヌーベルヴァーグ」について語る断片も面白い。「安い制作費で集客率の良い映画を作ろう。そしてその発想でゴダールの『勝手にしやがれ』が出来上がった。続いてその同じ発想でわたしは『5時から7時までのクレオ』を撮った」といっているのである。
ヌーベルヴァーグも映画の前衛として、文学的に、あるいは思想方法論的に語られることが多い中で、この発言は異色でもう一つの真実でもあるのであろう。
ぼくは、アニエスの全作品を観てはいないのだけれど、「5時から7時までのクレオ」「幸福」「歌う女・歌わない女」「冬の旅」「アニエスv.によるジェーンb.」「ジャック・ドゥミの少年期」「百一夜」「落穂拾い」といったそれぞれリアルタイムで観た映画、そして、それに夫であるジャック・ドゥミのいくつかの作品が、映像に重ねてアニエス自身のナレーションで回顧されていく。
ビジュアルを連帯したドゥミの二時間にわたる回顧録は、これらの映画を観ていたぼく自身の青年期、壮年期、そして現在に至る人生の早回しの回想もうながされてもいたのであった。
映画を観ながらちょっと別の位置で個人のセンチメンタルな旅を体験させてくれる映画なのであった。
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