リレーコラム

  • 村山匡 一郎 (映画評論家)「映画の記憶」

    いつだったか、幼い頃に見たうちで記憶にもっとも古く刻まれている映画は何だろうか、と思いついたことがあった。映画を生業にしていると、新作を消費する日々に追われるが、そのほとんどの映画が記憶から薄れていくような状態への一種の反動だったのかもしれない。そのとき脳裏に浮かんだのは、和船の舳先に立って前方を凝視する若武者の姿を描いたシーンである。おそらく昭和35年頃、小学校の4年生か5年生に見たものだったろうか。当時は東映時代劇の全盛期であり、中村錦之助や東千代之介ら若手スターが子供たちの人気を集めていたときだ。そう思って調べてみると、どうやら昭和31年の『風雲黒潮丸』のようだ。主演は、記憶では里見浩太郎と何となく思っていたが、里見のデビューは翌年であり、伏見扇太郎ということが判明した。見たのは渋谷東映であり、おそらく封切のとき。そうだとすれば、小学2年生のときである。
    不思議なのだが、映画の記憶は若い頃に見たときほど鮮明に刻まれていることが多い。それは決して作品全体というのではなく、ひとつのシーンだったり、物語の一部だったりするが、それでもかなり鮮やかに残っている。今年も街中で不意に昔の記憶が蘇ってくるのを体験した。この9月に開催されたアジアフォーカス・福岡映画祭に呼ばれて行ったときのことだ。仕事の合間に天神の繁華街を徘徊していたとき、あるレコード店の店先にDVDの棚があり、何気なく目をやると飛び込んできたのが『エノケンの天国と地獄』。昭和29年の新東宝の作品である。これを見たのは封切ではなく、おそらく小学6年生の頃、テレビ放映されたときだったと思う。エノケン扮する父親が死後に幽霊になって、現世に残された若山セツ子扮する妻と子供に会いにくるという話であるが、当時、感情的にかなり衝撃を受けたことを憶えている。
    こうした映画の記憶は、年齢を重ねるごとにあまり鮮明には残らなくなるような気がする。『エノケンの天国と地獄』も、もしいま初めて見たとしたら、これほど鮮やかに記憶に刻み込まれるかどうかはわからない。そのわけは、おそらく年齢とともに個人の記憶に残る体験の範囲が広がったり、深まったりして、映画を見た体験にはほんのささやかな記憶の容量しかあてがわれなくなるからだろう。それでも大人になってから不意に幼い頃に見た映画の記憶が蘇ってくるのは、映画館の暗闇に浮かび上がるスクリーンの光の世界が幾らか記憶の世界に似ていることからくるのかもしれない。実際、ビデオやDVDで映画を見たときの印象が映画館のスクリーンで見たときの印象よりも薄く、記憶に残りにくいのは、体験的に知れるところだ。福岡で『エノケンの天国と地獄』のDVDを思わず買ってしまったが、記憶が裏切られるのを恐れて未だ見るのを控えている。
    もっとも次のような体験もある。年齢を重ねるごとに見るのと違った印象を抱くような映画があることだ。たとえば、小津安二郎の映画がそうだ。10代で見た印象と30代、あるいは50代で見たときの印象はそれぞれまるで異なる。それというのも、小津の映画は見る側の感情におもねることのない独特の美学を貫いているため、見る側の感情や思いによって大きく変容してしまうからだ。そこから、たとえば『晩春』で原節子扮する娘を嫁にやる笠智衆の父親の思いと姿を描いたシーンなど、10代の若者の見方と50代の人生体験の蓄積からくる見方とでは大きな違いが生まれることになる。こうした小津のような映画は世界でも稀なものであり、それは記憶に鮮やかに残ると同時に記憶にとどまることを拒んでいる映画といえなくもない
    映画の記憶ということがいえるなら、記憶の映画というのもありえるだろう。つまり、作り手が記憶やその流れを映画にすることだ。すぐに思い出されるのは、アラン・レネの『二十四時間の情事』や『去年マリエンバートで』だろうか。両者ともに記憶をテーマにドラマ化されたものだ。もっとも映画は、小説に似て、過去の思い出や出来事をプロットに仕立てやすいメディアであり、その意味では映画、つまり劇映画は何らかの形で記憶の世界を取り込んでいるとはいえる。そうしたなかで、個人映画というジャンルではもっと大胆に記憶そのものを描き出している映画もある。たとえば、記憶の映像作家と呼ぶにふさわしい、かわなかのぶひろの『私小説』。これは自らが撮りためた映像を使って意識の波間にたゆたうような記憶の流れを作り上げている映画であり、まるで作り手の記憶の流れをそのまま見ているような、きわめて刺激的な映画である。
    映画を見るとは、一種の出会いのような気がする。もちろんそれは小説や絵画などほかのものにもいえることだが、そのとき、記憶に残るに足る何かと出会えるかどうか、そこにかかっていると思う。民間の映画学校で一緒に教えている友人の映画作家が学生によくいうのは、どんなに一生懸命に作った作品でも観客の記憶に残らなければ無に等しいということ。記憶に残らなければ、忘れられてしまう。忘れられたら、存在しないのと同じである。『風雲黒潮丸』も『エノケンの天国と地獄』も日本映画史のなかでは忘れられた映画であるが、「私」のなかには確かに存在する。見知らぬ誰かの心に刻まれていることこそ、映画であれ何であれ、創造された作品の存在意義があるといえるだろう。現在、映画館の暗闇に身を沈めてスクリーンの光の世界を覗き見ることが年々薄れている。とくに小学生や中学生はほとんど映画館に足を運ばなくなったという。彼らの幼い記憶にとどまるのはいまや何だろうか。

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