リレーコラム

  • 清水 コア (編集者)「ザジに大迷惑?」

    新宿武蔵野館でルイ・マルの名作「地下鉄のザジ」(1960年)がニュープリントカラーで上映された。スラップスティック映画といえばザジにつきる。しかしおかっぱ頭の少女ザジが巻き起こすただのドタバタコメディと思ったら大間違いで、映像的にも飛躍に富んださまざまな仕掛けがあって、息が抜けない。大通りを走るクルマをピラミッドのように積み重ねたり、パサージュのガラス屋根やエッフェル塔の上で軽業よろしく本気で追いかけっこ、レストランで大暴れして店の壁をぶち壊したり。ナンセンスとはらはらドキドキの連続で、この種の映画のボキャブラリーを生み出した作品ともいえる。
    「プレイタイム」(1967年)のジャック・タチ演じるユロ氏は、ザジのアダルト版ともいえるし、「美しき獲物たち」(1985年)のロジャー・ムーアのエッフェル塔のシーンは脚力不足で腰砕け、ポランスキーの「フランティック」(1987年)でハリソン・フォードは空港からタクシーでパリ市内に向かい、事件に巻き込まれたあげく、パリを去ってタクシーで空港へ。ポップ調とブルースという差はあるが、冒頭とエンディングはまるっきりザジへのオマージュだ。ザジは列車でリヨン駅だったけれど。
    ザジが屋上をすっ飛んだのはパサージュ・デュ・グラン=セールで、そこでザジはムール貝を食べた。
    ムール貝といえばベルギーが本場。ブリュッセルにあるギャラリー・サン・チュベールは、1847年につくられた直線300メートルの大パサージュで、そこに一軒の名画座がある。シネマ・アーレンベルグ。今年の夏、そこでジャック・ドゥミの「ローラ」(1960年)をみた。なぜか日本でみたときには文芸作品のような印象をもったけれど、これは単なる尻軽おんなの話で、ときどきくすくす笑いがした。踊り子を演じるアヌーク・エーメの美しさは比類のないもので、その魅力をモノクロームで引き出したジャック・ドゥミは作品の舞台である港町ナントの出身。夫人のアニエス・ヴァルダの「ジャック・ドゥミの少年期」(1991)をみたら、「ローラ」にも出てきたパサージュ・ポムレーにあるカメラ店で8ミリカメラを買ったのがジャック少年の映画づくりのスタートだと知った。
    どうやら現実とイメージのパサージュが入れ子状態になってきた。ザジのうしろ姿を追ってジグザグするうちに、レコード針が飛ぶように、話も急展開。

    ブリュッセルから国鉄で30分ほどの距離に中世の都市ゲントがある。品川から横浜に行く感覚だ。ゲント駅から2両連結の路面電車に揺られて旧市街に入る。フランドル地方特有の階段式切妻が連なる広場はあいにく石畳の工事中でホコリだらけ。あたりを見回すとひときわ目立つ鐘楼がシント・バース大聖堂。
    そこに北方ルネッサンスを代表する名画、ヤン・ファン・アイクの「神秘の小羊」がある。
    高さ3,7メートル、幅5,2メートルの三連式祭壇画で、全20面。板に油彩。1432年完成。受胎告知の描かれた観音開きの扉を開くと画面は上下2列になっており、上段は御座のキリストを中心に左に聖母マリア、合唱者たち、アダムが、右に洗礼者ヨハネ、奏楽者たち、イブ。下段は神秘の小羊の画面がひときわ大きく、その両翼に正しき裁き人、キリストの騎士、聖隠修士、聖巡礼者が集団をなしている。それらの画面が一体となり、キリストによる人類の贖罪というテーマをあらわしている。
    横向きに立つ純白の小羊は、目を見開いたまま胸元から一筋の血を聖杯に注いでいる。周囲を天使が取り囲み、少し離れて四方から使徒たち、預言者、族長、聖職者、聖女、女性の殉教者たちが、それぞれのアトリビュート(象徴物)を伴って整然と小羊礼拝にはせ参じている。その舞台は灌木や木立、針葉樹にまじって椰子などが並ぶ緑の丘のある花咲く楽園である。すみずみまで光が降りそそぎ、空気にも色があるかのようだ。花々は32種が識別できるという。水平線が画面上辺にとられ、遠方にどこかの町の塔や建物が点在する。全体の印象はのどかな牧歌的風景に繰り広げられる野外劇の趣だ。200名をこえる登場人物は、一人ひとりの表情も衣服も身振りも克明に描きわけられ、木の葉の一枚一枚まで細密描写されている。遠景にいたるまでかたちも色もクリアーで、どこにも曖昧なものはない。聖者の襟や袖口をトリミングした毛皮の毛の一本一本が実物の数分の一の大きさで浮き上がってくる。
    中世ゴシックのミニアチュールを引き継ぐファン・アイクの写実的態度は、たとえば着地は絹なのか羊毛なのかモスリンか、岩は大理石か花崗岩かといった対象の材質を精確に判別できる画家の視覚がもたらしたものだ。それは博物学的な視線ではない。もっと現実的で生なましい。15世紀のフランドルは織物交易で栄え、巨万の富を築いた市民階級も誕生した。そうした商人たちの日常感覚と表裏のものだった。彼らはそこに一枚の布があれば、指先でこすって品質を確かめ、原産地から輸入業者までたちどころに言い当てたという。人物にたいして、ガラス瓶や静物にたいして、町や自然にたいしての驚くべき注意力。絵画は成熟した彼らの世界観の反映でもあった。
    人びとの関心事は宗教の問題が主であったが、キリストや聖母の物語を現実のものとして実感することを願った。過去ではなく進行形のドラマとしてとらえようとした。画家たちの才能がそれに答えた。受胎告知は市民の居室での出来事となり、窓からは日ごろ見慣れた町や自然が望まれる。磔刑の背景に中世の城郭がそびえ、後期ゴシックの教会が建ち、階段式切妻の民家が軒を連ねる。
    ゲントの祭壇画は、当地の有力者が寄進したもので、いまも寄進された教会にある。扉の両翼に、寄進者ヨース・フェイトとその妻の両手をあわせて祈りを捧げる姿が大きく描かれている。絵の中にちゃっかり自分を参加させてしまうというのは、大儲けした罪滅ぼしなのか。画家もけして手をぬかず、堂々と画面におさめて、その技量と現実感覚を発揮した。その後、祭壇画は偶像破壊や大国との駆け引き、戦乱などの荒波を乗り越えて現在に受け継がれてきた。

    20世紀のベルギー美術にもファン・アイクを筆頭にしたフランドル絵画の余光を感じることができる。アンソールの群衆表現、マグリットのフェティシズム、デルボーの裸婦の背景などだ。それは描かれたモチーフの類似にとどまらない。画面全体をおおう北ヨーロッパ特有の静かな、物の内面にしみ通るような光があるということ。
    8月のある日。聖堂の一室でいくら目を凝らしてみても、小羊の草むらには、M・アントニオーニの垣間見た横たわる男のボディは見つからない。そのかわり、眠りから目を覚ました虫たちが、艶々の甲冑のようなまばゆい羽をいっせいにひろげて飛び立った。すると号令一下、あっという間に何千と寄せ集まって一個の巨大な球体となり、ブリュッセル王立美術館の中心におさまった。題して「地球儀」(ヤン・ファーブル作)という。

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