ペレジェルキノ―この地と、かつてそこに住んだ人に憧れて、ロシアに旅立った。
ペレジェルキノは、1936年に、芸術家たちの創作の場として作られた作家村である。現在もモスクワ郊外の「作家の家」として、小川や広々とした公園、並木道や林に囲まれて別荘のような家々が点在する。時代に翻弄されながらも、ここで多くの作家や詩人が創造の道を歩んできた。
教会に隣接する墓地の澄み切った空気と辺りの静寂。木の十字架や、欠けた墓石、白い十字の墓碑などが,それぞれ緑や黒などに塗られた低い柵に囲まれて続いている。楓の落葉が積もる墓に沿う小道を、墓標を確かめつつずいぶん歩いたけれど、探す詩人の墓は見つからない。掃除に来ていた男性に聞くと、パステルナークの墓はすぐ指し示してくれたが、アルセーニー・タルコフスキーは、と尋ねてもわからない。『ドクトル・ジバゴ』、ノーベル賞を受けた(ソ連当局により辞退を余儀なくされ、後に遺族が受賞)この作品によって世界的に名の知られたパステルナークに比べて、アルセーニー・タルコフスキーは、ロシアでも詣でる人はそれほど多くはないようだ。しかしパステルナークの墓から20数歩と聞いたことがあって、その横顔が彫られた白い大理石の墓から、詩人の墓にはたやすく辿りつくことができた。長いこと想い描いてきた墓、長細い黒い大理石に十字架が刻まれた、上部が教会の入り口のように半円の詩人アルセーニーの墓。そこに寄り添うように息子アンドレイの木の十字架が、白樺の落葉にうずもれている。
詩人の息子である映画監督アンドレイ・タルコフスキーは、ソ連体制との確執の末、イタリアに亡命し、8本の映画を残してパリで夭折した。その哲学的抒情性、精神性、宗教性に満ちた作品は、今もなお世界の人々を捉えてやまない。「鏡」「ストーカー」「ノスタルジア」などの作品のなかで、父、アルセーニー・タルコフスキーの詩が読まれ、映像にいっそうの深みを与えている。その真摯で硬質な、しかも生命感に満ちた詩に私はずっと惹かれてきた。1907年に生まれた詩人が、初めて詩集を出すことができたのは55歳のときだった。その間、スターリン時代を生き延び、ひっそりと詩を書き続けながら、アルメニア、グルジアなどの詩の翻訳で暮らしをたてていたという。ロシアの母なる大地への愛と、大切な人々との別離と喪失の痛みを秘めてなお、開かれると信じた扉を見つめ続けた孤高の詩人。 詩人が歩いたように歩きたい。松の並木道に木洩れ日がちらちら映る。セツン川という小川をわたる。のぞきこむと、青い藻が川底にゆれている。アンドレイの映画によく見られるシーンだ。映画の中のように、野原を波打たせる風が落葉を散らす。このペレジェルキノの、「羊の毛が絡まっているような草の道」と彼が形容した小道や、丈高い樅やから松の続く村道を散歩し、時に、尊敬するパステルナークや友と語り合い、教会の鐘の音を聞きながら、あの静謐にして軽やかな詩句を書きつけたのだろうか。
ジャスミンの木のかたわらに石。
石の下には宝もの。
小道に立つ父。
白い、白い日。
これは、アルセーニーが、あのときほど幸福だったことはない、と子ども時代の至福を謳った詩である。息子アンドレイも、父が母を置いて、別の女性のもとへ去ってしまった幼年時代を、森の小さな村に母と住んだ比類なく幸福に満ちたとき、と回想している。アンドレイの「鏡」のシナリオの題は、最初、ロシア語で「光に満ちて輝かしい」という意味をふくむ「白い日」であったという。ここにも父と子の感情が響き合っている。
アンドレイには、映画叙事詩ともいうべき「アンドレイ・ルブリョフ」という、中世のイコン画家を通して創造と人生の和合が探求された作品がある。イコンは、ロシア正教において天国を映し出す鏡といわれ、板に聖人や、マリア、キリストなどを、修道士が祈りのなかで描いてきた聖像画である。ロシアを旅し、多くのイコンに接したアンリ・マチスは、「これこそ真の民衆芸術であり、芸術探求の源泉である」と絶賛した。
ロシア美術の殿堂、トレチャコフ美術館で、何より再会を願っていた中世ロシアのイコンの部屋を訪れた。静けさに満ちた展示室に、アンドレイ・ルブリョフの「聖三位一体」が収められている。聖杯を中心にうつむく3人の天使、瑠璃の青と透き通る薔薇色の衣。以前翻訳した『イコンの画家 アンドレーイ・ルブリョーフ』の中でひときわ心に残る作品だ。この画僧は、ロシアのフラ・アンジェリコともいわれ、その霊感にみちたフォルムと高雅な色彩で、異彩を放っている。ロシアにおいてイコンは、貧しくもささやかな暮らしを紡ぐ民衆にとって、恩寵を待ち望む崇敬の対象であった。ろうそくが点る、薄暗い聖堂内に架けられたイコンの前で祈る人々の姿は、今も変わらぬ日々の営みだ。
この世に奇蹟はない、
ただ奇蹟を待ち望むだけ。
この渇き、どこからともなく現れるこの渇望にこそ
詩人は支えられている。
アルセーニーの詩句は、戦争や革命の困難な生活のなかで、時流にくみすることなく、くもりない心で求め続けた魂と宇宙の調和への希求として、アンドレイの作品に深く刻印されていると思う。
地下鉄、トロリーバスと乗り継ぎ、道行く人々に尋ね続けて、古いアパートにたどり着く。出発前に、詩人の娘であるマリーナさんに手紙を書き、返事の電話をいただき、お訪ねする幸運に恵まれたのだ。迎えてくれたのは、柔和で端整な婦人マリーナさんとアンドレイの映画大学の同級生でもある夫のガルドンさん。慎ましくととのえられた居間は父と兄の肖像画や写真など、マリーナ夫妻が敬愛する父子の追憶に包まれている。
エクリ主宰の須山実も、ロシア語はわからないが、ロシア語の音感、イントネーションに、映像と音楽とがあいまってアンドレイの映画のなかの詩の朗読に魅了された一人だ。将来、アルセーニーの詩に、それらにふさわしい挿画を添えて、詩画集を編みたいという夢を抱いている。タルコフスキー父子の思い出が詰まった部屋で、その願いをマリーナさんに話すと、「すばらしいですね、ぜひ実現させてください」と答えてくださった。マリーナさんが語るアルセーニーは、心優しい父親であり、美しい世界の創造者であるが、同時に子どものものを買うために持ってでたお金で、目にした美しい花瓶を買ってしまうような、子どものような人でもある。編集者であったマリーナさんは、父の作品を数冊の詩集にまとめるとともに、回想記も出版している。差し上げたエクリの『空と樹と』の頁を丁寧に繰って「このような本になるのでしょうか」と微笑まれた。
ペレジェルキノの庭でもいでもらった小さい青林檎と、幾冊もの詩集を鞄に詰めた。明日、タルコフスキーが訳したアルメニアの詩人、サヤト・ノヴァの地、初めてのエレバンに赴く。