「教師はたった一人しかいません、生きることが教師なのです」といったのは、やがて路上に神をみつけることになるヘンリー・ミラーだ。晩年になってもブタのように太ったりしないで、slimな少年っぽさをのこしていたのは、ひとえに自転車への熱中のおかげかだったかもしれない。若いときには、自転車に乗ったまま、食べたり、飲んだり、眠ったりすることができたというが、ずいぶんなジジイになってからもdrop handleの自転車に乗っていたようだ。ヨコハマのZAIMで、鳥打ち帽にサングラスという風体で、えらくシンプルなハンドルに手をおいたミラーの写真をみたとき、これこそ晩年のスタイルだ!と昂奮してしまった。水彩画をならべての展示だったが、どうしてだか一点だけ写真が掲げられていたというわけだ。どうやら、本の表紙を大きく引き伸して複写したものらしい。どうしても手に入れたくなって、訊いてみると持ち主はミラー夫人だったホキ・徳田さんとのこと。いつだったか、六本木の酒場でミラーとのことをうかがったこともあったから、たどれない縁じゃなさそうだ。
大晦日にZAIMでホキさんのライブがあるというので、そのときに直談判することにして、とりあえずMy Bike & Other Friendsという本をとりよせてみることにした。大晦日にホキさんがひと息入れたところで、声をかけてみると、いつぞやのことも憶えていてくれて、写真についても’複写して送ってあげる’とアッサリ約束してくれた。もっとも、もう本を手に入れていたので、その約束については、ホキさんの口ずさむバラードのひとくさりだと聞いておくことにした。だいたい、ホキさんの気まぐれについては、さすがのミラーもすっかりふりまわされたことだから。ホキさんはミラーのことを、比類ない文学者というよりは、あつかいに困ったdirty old manとしか思っていないようで、そんなところをミラーが気に入ったのだろう。
My Bike & Other Friendsという本は、すっかり老いぼれた作家が、日なたぼっこでもするように、友人たちのことを回想するというもので、自転車についても一章がもうけられている。そればかりか、自転車こそがmy one and only friendだとまでいっているのだ。おどろいたことに、ミラーが乗っているのはギアもブレーキもないpistで、そんなジジイが走ってきたら、そこらのアンチャンが目を丸くするだろう。ミラーが人生の秘法としてあげるのは、ひとつはハッハッハッと笑い飛ばすこと。もうひとつが、サドルに跨がること。自転車に乗ることは、憂いをふりはらうドラッグであり、精神分析にかかるようなものだと手放しだ。
ミラーの本を読みふけったのは、ずいぶん若いときのことで、もう読み返したりすることはない。けれど、捨てないでとっておいた本もあって、ボロボロになったGrove Press版のQuiet Days in Clichyがそうだ。おそらくこれからも手もとにおいて、気がふさいだときに開いたりすることで、救いの神(デウス・エキス・マキーナ)になってくれるだろう一冊だ。冬のパリへ行って、Clichyのあたりをクルマで走ったとき、闇のむこうに目をこらさずにはいられなかった。もうひとつは、ブーレーズ・サンドラールの”世界の果てにつれてって!”にミラーが寄せた滾々とわきあがるような序文だ。これを読んだとき、ヘンリー・ミラーが跪いていることに胸をうたれた。’サンドラールはぼくをひどくぶちのめした。一度ならず、何度もだ。そしてその打撃を顎に食らうとき、ぼくはかならずしも素人ではないのだ。’とまでミラーにいわしめたサンドラール! 褒めることをケチらないのが、われらのミラーのすばらしいところだ。片腕のサンドラールに、’きみが差し出す暖かい左の手を握ろう’というところで、胸にこみあがるものがある。
ほんとうのところ、作家なんかにロクな奴はいないだろうと思うし、友とするのにふさわしくない手合いだとついつい蔑んでしまうのは、ヘンリー・ミラーを読んだからだ。そのミラーが敬愛してやまないサンドラールは、述作は強いられた労働だとうそぶく、とびきりの放浪者だ。その風貌を知りたければ、ロベール・ドワノーの撮ったポルトレ(肖像)がのこされている。口にくわえた短いタバコの煙にしかめっつらをする、いかにもミリュー(界隈)に親しんできたらしい面魂。そのサンドラールが、’放浪にまさるものなし’というのだから、これは胸に銘じておかなけりゃなるまい。
NYのメッセンジャーたちは、cars r coffinsクルマは棺桶だ、とミもフタもないことをいうが、自転車好きのミラーが生きていたら、ウマいことをいうじゃないかと喝采したことだろう。ミラーの一党ともいえるブコウスキーは、クルマで走り回るニンゲンを、風に吹かれて転がっているtumble weed(転がり草)だと笑ってみせた。いずれは、ニンゲンには脚がなくなって、尻をゆすって行き来することになるだろう、とマンガみたいなことを占ってみせてくれたっけ。
生の命令には従うけれど、そのほかのことについては、不服従であること。ミラーも、サンドラールも、そしてブコウスキーも、棒のようなビルや、箱のようなクルマや、塀にかこまれた家なんぞ、クソ食らえ!ということでは盃をかわす仲間だ。それぞれの自転車に跨がって、サッサと逃(ズラ)かるに決まってる。