リレーコラム

  • 蛇に咬まれた、血を吸い出せ!

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    そのラムは、たくさんの酒瓶のなかにあって、あきらかによそ者だった。葉巻色の円筒状の瓶の中に、ねっとりした混血女の肌をとかし込んだ液体。ラベルには大きな手のような樹の銅版画が印刷されていて、L’arbre du Voyageur(旅人の樹)という銘がある。おそらくは、ツバも出ないくらい渇ききった旅人が、この葉っぱを伐りとって中にたまった水を啜るのだろう。そういう樹は、アフリカにもインドにもあった。貧しい土地では、木だの花だのが、文飾のない一片のポエジーになる。
    ショットグラスの蛇に咬まれた!
    ラムをグイッと呷って、その勢いがしぼまないうちにマルティニクへ行かなけりゃ、ただの老いぼれになると思った。風にむかってマッチをするようにして、ちょうど半年後にマルティニクに降り立っていた。
    しょぼい空港には、たしかに商標っぽく旅人の樹がうわってる。雲の湧き上がった空を背にして、トンマなペンキ画だ。(いいかげん、旅人の思い込みは関税で足止めされるべきだ。)サッと雨が降り始めて急ぎ足になったが、カフェに飛び込む頃には、山のあいだにウソみたいに大きな虹が架かった。ラムを一杯、こっちのやり方で、角砂糖をひとつ落として呷ると、下っ腹あたりがカッと熱くなってきた。マルティニクの象徴は、一匹の蛇だ。そいつが、いきなり踝に咬みつきやがった!

    KALIの家は、山からの勾配を背にしていて、高見台かなにかのように立っていた。木造で、塗りつけたペンキがあらかた剥げてしまっている。大きいことは大きいのにスカスカしていて、arte povera(貧しい藝術)の作品が、いきなり熱帯林の中に放り出されたように見える。しばらくすると、鳩時計の小窓みたいに窓があいて、KALI本人が顔を出して、こっちへ来いと手招きをした。ストリートギャングの親玉のやるような、貫禄はあるのに力をぬいたしぐさだ。
    上にあがってみると、ちょっとした録音機材もあって、どうやらスタジオらしい。KALIは、顔立ちはハンサムなのに、ぜんたい浮浪者にしか見えない。おまけに前歯が欠けていて、スースー息がもれる。ははあ、こいつも安いラムに、いくつも角砂糖を沈めて飲みつづけて、あげく歯を失くしたんだろう。
    まず、その日の朝、叔父さんが亡くなったということを聞いたので、お悔やみをいった。そしたら、KALIが、C’est la vie.といってクシャッと笑った。こういうときに、そういうのかと意表をつかれた。そうこうするうちに、どうしても何かをあげたいという衝動が、突き上げてきて、鞄の中をさがして、永田耕衣の小さな句集をひっぱり出した。分からなくたって、そうでもしないとおさまらない気分だった。
    俳句についてなんとなく知っているらしく、ひとつ読んでみてくれという。
    物として我を夕焼け染めにけり
    そばにいたシチリア男のジャンフランコが、きらいなフランス語をいやいやしゃべって通訳してくれたら、思いがけないことにKALIがこういった。”分かる。夕焼けのきれいなサンピエールで、夕焼けを見ているとき、そういう気分になる。”
    サンピエールは、たしかにとびきりの夕陽をおがめるところだけれど、二十世紀の初めに火山が噴火して三万人が一瞬のうちに黒こげになった。生き残ったのは、牢獄にいた囚人だけだったという。ひょっとすると、KALIは物というコトバに記憶をよびさまされたのか?いや、もっと遡れば、フランス人はこの島の住人を根こそぎ虐殺してしまった。だから、KALIの祖先はアフリカから奴隷船で連れてこられたネグロにちがいない。花の島マルティニクには、溶岩も流れたけれど、たっぷり血も流れた。

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    パリにいた頃のことを訊くと、なんともいえない顔をして、フランス人のことかパリジャンのことか、cochon!(ブタ!)と罵った。
    そのあと、いきなりバンジョーを抱えて、テラスに出て、つま弾きながら、はな唄をうたってくれた。ami roroという唄、好きな女のことを想って、ぼんやり風に吹かれている、そんなノンキな恋唄が、いかにもマルティニクらしい。裸足のまんま、リズムをとる細っこい脛が山羊の足みたいだった。パンパンと、バンジョーの乾いた音が、ピストルを撃ち込む音のように響いた。パンパンパン!

    思い出を抱え込むのは、蛇に咬まれて、ほうっておくようなものだ。毒のまわらないうちに、血を吸い出してやらなけりゃ!

  • 林崎 徹「ウル ナナム 10」

    (不定期連載)

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    「柔らかさは強さを補うだけで、代わりになるわけではない。いずれにしても私に判断できることじゃない。ディリムはどうして二輪戦車に乗りたくなったのだ」
    「どうしてか。アシュに手ほどきしているキッギア殿が目に浮んだ」
    「私は言われた言葉をそのまま聞く」
    「俺もアシュには考えたことをそのまま言っている。続きを言えば、戦場で御している自分の姿も見えたな」
    「戦場ね。だいたいお前は勝手に時間を使えるのか」
    「自由気ままではないが、覚師の学び舎では粘土板の家の学び手たちのように机を並べて毎日教えを乞うわけではないからな」
    朔と望の月をはさむ三日間は俺たち全員が必ず覚師のもとに集まることになっている。
    その間は食事も共にし、文字だけでなく数式や星の動きも学ぶのだ。異国の学者や大使が招聘されてくることもあるが、覚師が書記塾の初心者相手のように、一本の楔から説き始めることもある。
    こんなことがあった。六本の楔を引くだけの星という簡単な文字を十個刻むように言ったあと、覚師はその場の全員で星の語を唱えさせた。ナプ、ナプと俺たちはいささか苦笑を堪えながら唱和した。そのあと三十個の文字を使い、星の語を入れて文をつくらせ、順に一人ひとり読み上げさせた。その時、俺たちは三十四人だった。十回りした後、次には一人で全員の文を暗誦させる。言葉に詰まると書いた者が助けることを繰り返し、誤りがなくなってから全員が唱和し、最後に粘土板に刻ませられる。さらに六十個の文字を使って同じ試みが続いた。三十個では十六人だったのが、この時一語も躓かずに一度で暗唱しえたのは俺と一人の異国人だけだった。上の海で難破した船に乗っていた男だが、アッカドの言葉にふれてから一年足らずというから驚く。 「撒き餌だ」と言いながらアシュがまた盃の酒を炎に垂らした。香も飛ばず炎の色も変わらなかった。
    「アシュは弓も引くのか」
    「自己流だよ。的が小さいトガリネズミを狙うのだ。訓練には鳥がいいのだろうが、空を行くものを射る気にならない。ああ、撒き餌はいらなかったな」
    覚師とキッギアの二人が壁を抜けてきたようにいきなり姿を見せた。通り雨だったのか、身体が濡れているようではない。それとも先の住民は穴掘りに長じていて、見張塔からここまで潜ってこられるのだろうか。
    「しっかりと一番旨い酒を抱えているな。わしの死出に際してはこの酒精を額に一こすりしてもらいたものだ。土鬼や汚鬼どもに邪魔されずに眠りにつけるだろうからな」と言い、覚師は腰をおろした。二人とも飲み続けていたようには見えなかった。
    盃を二つ持って戻ってきたアシュに俺は目配せした。二人は遠い音に耳を傾けるように盃に唇を浸した。キッギアは当然だが、隣り合う覚師まで巌のような神聖樹のような獅子 のような武人の気配をもっているのに俺は気づいた。語られる言葉と声をいつも追っていた俺はハシース・シンに文字の師という衣を勝手に着せていたのかもしれない。最も勲を誇れる者が最も豊かに哀歌を詠うのだと覚師が言った時、俺は何も理解せずに頷いていたのだ。
    「父上、ディリムが二輪戦車を御してみたいと申しております」
    娘ではなく、副官のように恭しく頭を垂れてアシュが言った。
    キッギアは先ほどアシュが俺にしたように盃越しにアシュを見つめた。睨むのではないが、ずいぶん長い間、父は娘から目を離さず、娘もまた静かに顔をさらしていた。やがて無言のままキッギアは覚師を見やった。
    「こやつをメディアのサームの傍らに立つ者となせるのはあなたしかおらぬ」と言った覚師の声は穏やかだった。「ディリムはこれまで通り、月の学びは欠かさずに来なければならない。筆を持つことが叶わなくとも、掌に結び付けてでも刻み続けるのだ。なまくら文字を彫るようなことあれば、二度と手綱と筆を握ることは許さぬ」と、俺に厳しい言葉を投げた声も穏やかだった。
    「アシュ、お前が持てるものをすべてディリムに伝えてみよ。拙い者についた弟子は接木をしくじった果樹に等しい。取り次いだお前が自ら育て私に差し出すのだ。九十日、待とう」
    キッギアは俺を見つめながらアシュに命じ、目を移してハシース・シンに向けて鼻の前に盃を上げた。覚師は同じように盃礼し、いつも歩きながら俺に伝えているように言った。
    「丘の上の文書倉の二階、奥から四列目の棚にミタンニ王国の粘土板が置いてある。戦車用の馬の調教書だ。本来なら自分で読みたどるべきだが、脇に積んである私の覚書を使うとよい。お主と私は明後日から一昼夜エジダ神殿に入る。その四日後が望の月の集まりだな。十日後からアシュにつくがよい」
    「ディリム、百日後に会おう。お前が眠っている間、私はハシース・シンにディリムがどんな男か訊いてみたのだ。軍紀を乱しながら、同盟国将軍の心を掴む。それは本来、王にのみなしうることだからな。ハシース・シンの言によれば、お前は使者だそうだ。それは答でもなんでもなく、謎かけのようでもある。使者たるお前は何かを携えてくるのか、あるいはお前が来ること、それがすでに何かをもたらしているのか」
    俺が使者。使者は時には良き便りを時には混乱の先触れを運ぶ者だ。俺は何と応えてよいかわからず、「百日後に」とだけ言った。俺を取り次いだ後、一言も発していないアシュを見やると、俺に戦車の手ほどきをすることになって驚いている様子はない。生まれでようとするのか、消えようとしているのか、どちらともつかないが微笑の影が炎といっしょに揺れている。
    発せられた言葉と飲み込まれた言葉、俺が選んだ脚の運び。すべてがあらかじめ刻まれている言葉をなぞらえるように俺を引いて行く。俺の肉に入ろうとしていた矛の切っ先。サームの雷撃のような鞭。瞬きひとつの間に俺は冥府と現世を往来し、お互いボルシッパの地にありながら一度も会うことがなかった父娘の前に俺はいる。そこここに走る水路で水にありつくことなく、キッギアの井戸に俺を導いたのは何だったのだろう。
    耳の奥で俺の鼓動が聞こえる。その音に身をゆだねていると、三人の鼓動もまた感じられるようだった。今、誰もが無言なのだなと、俺は改めて思った。四角い火床で俺たち四人は空に嵌め込まれた四つの星のように星座をかたちづくっているのだ。

  • 小林 エリカ (作家) 「ニューワールド」

    1942年12月2日アメリカ、シカゴ大学フットボール競技場スタッグ・フィールドの観客席の下にあるスカッシュ・コートに、原子炉シカゴ・パイル1号は作られた。
    エンリコ・フェルミら科学者たちが見まもる中、シカゴ・パイル1号は午後3時25分、史上初の臨界に達し、すぐにワシントンの計画本部ジェームス・B・コナントへ暗号文の電話がかけられた。

    Compton: The Italian navigator has landed in the New World.

    (コンプトン:イタリアの航海士が新世界へ到着した)

    Conant: How were the natives?

    (コナント:現地人の様子はどうだい?)

    Compton: Everyone landed safe and happy.

    (コンプトン:みんな無事に上陸して嬉しい)

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    東洋の国(トーヨーノクニ)と思ったコロンブス。1492年。
    クリストファー・コロンブス、アメリカ大陸を「発見」。

    2011年夏、私はクリストファー・コロンブスがかつてくらしたことがあるという島、ポルトガル、マデイラ諸島のポルト・サント島へと向かっていた。
    かつてコロンブスはその島の領主の娘フェリパ・ペレストレリョ・エ・モイスと結婚していたのだそうで、その家はCasa Colomboカーサ・コロンボ、クリストファー・コロンブス・ミュージアムとして残っているという。
    私はそこで展示とワークショップをすることになっていた。

    リスボンから飛行機でポルト・サントへと到着する。
    夜だったので空からは真っ暗な中に小さく黄色のライトがぽつりぽつりと灯っているのだけが見えた。
    TAP PORTUGAL 1739便。
    飛行機は犬をバッグに入れて抱えた人や、子ども連れやベビーカーを押した人ばかりで混み合っていた。
    夏のヴァカンス・シーズンをこの島で家族と過ごすのだろうか。

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    ポルトガルの友人マヌエル曰く、ポルト・サント島の周りの海は、潮の流れを学ぶのに絶好で、コロンブスも海の読み方をここで知ったのだとか。
    マヌエルは、リスボンでは私にヴァスコダ・ガマの子孫だという女の子を紹介してくれた。彼女は金髪のボブで細い縁の眼鏡をかけて、タイ料理店でウエイトレスのバイトをしていた。
    常に手からはタバコを離さず朝からビールとコーヒーを交互に飲み続けているマヌエルの言葉の真偽の程は果たして不明だが、ここがかつての「新世界」へと繋がる歴史を持つ場所だということには疑いがなく、目眩を覚える。
    コロンブスの家と庭は白い石造りで、鮮やかなピンク色のブーゲンビリアの花が満開だった。

    コロンブスも船を寄せたのだという船着き場を訪れる。訪れるといっても小さな島なので10分程歩いたきりだったが。
    船着き場のコンクリートの防波堤には、そこへ寄港したヨットや船のマークと名前と年号がずらりとスプレー・ペイントで並んでいた。

    USA CARIAD Nov 2004

    1998 STAVANGER Sofie

    AHES 1992 LA ROCHELLE ILF DE RE

    …….

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    年号を遡るように眺めながら、すぐわきの浜に寝そべる。砂浜は黄金色で、それは9kmも続いている。海は遠浅で青く波は静かだ。
    近くの出店で買ったBolo do cacoというピタのような重いマデイラのパンを食べる。パンにはガーリックバターがたっぷりと染み込んでいる。

    1892年、アメリカ、シカゴではコロンブスのアメリカ大陸発見400年を祝して、シカゴ万国博覧会が開かれた。
    記念のコインや卵形のグッズが作られた。
    チェコの作曲家アントニン・ドヴォルザークは新作を依頼され「新世界より」を作曲する。日本では「遠き山に日は落ちて」で知られる交響曲第九番である。
    ホワイト・シティとよばれた白一色の街並の会場は何万個もの白熱電球でライトアップされ、巨大な観覧車やオール電化のキッチンが並ぶ。
    はじめて大規模に電力が導入された万博だった。発電は蒸気エンジンで行われた。
    「コロンブスの卵」は銅で作られ、卵は割れることなく磁力でまっすぐに立てられた。

    夏が終わり、私はマデイラ酒を鞄に詰めて飛行機に乗り込み、アムステルダム経由で東京へと戻る。
    茶の葉から放射性セシウムが検出されたニュースを読む。
    成田空港へと飛行機が到着する。
    私たちの「新世界」。

  • 永井 明弘 (ガーデンデザイナー)「去年マリエンバードで」

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    「去年マリエンバードで」 (1961年 アラン・レネ監督・仏伊合作)

    あのころ、
    どうして私はあんなにも……イタリアを求めていたのだろう。
    将来への不安でいっぱいだったのはずの20代の私は、
    イタリアへ、どうしてもイタリアなんだと、
    根拠のない夢をいだいていた。
    50代になって
    若い時代の甘えも過ちも、そして輝きも、
    なべて俯瞰できる齢(とし)になってみると
    その屈託のない一途さが、愛おしい。
    そして
    思いがけずその後、イタリア庭園の設計を職業として選んだ私の
    最初のきっかけが、
    「去年マリエンバードで」
    を見た記憶にあったのではないかと……
    次第に、あてどのないに思いに囚われるようになってきたのだ。
    謎に満ちた男女の会話を、二十歳そこそこの私に理解できるはずもなかった。
    でも、こと映像、
    とくに完璧な秩序を謳う庭園美は、その後いまにいたるまで私の心から離れたことはなかった。
    今年5月に久しぶりにローマを訪ね、
    初めての場所、再訪の地をめぐる旅のなかで、
    トラステヴェレ地区の西にひろがる、
    ヴィラ・ドーリア・パンフィリ庭園に行ったとき、
    そのあてどない思いは自分の中ではっきり確証となった。
    この庭園は17世紀に、枢機卿ジャンバッティスタ・パンフィーリ(のちの教皇インノケンティウス10世)が
    古代彫刻収集品の展示場としてカジノ(宮殿)を建てたもので、
    このヴィラが単にバロック庭園の傑作というだけではなく、
    この庭園とカジノは、綿密に計算された『比率』で構成されていることが知られている。
    例として、
    「カジノの平面図は、正面ファサードと寸法も構成もほぼ一致していること」
    また、庭園の寸法は、
    「カジノの北側と南側立面のたかさはそれぞれの側の庭園の奥行きと一致する」

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    Villa Doria Pamphili

    こんな話がある。
    映画「去年マリエンバードで」のなかで庭園にたたずむ男女の異様に長い影は、
    じつは地面に描かれたもの、だという。

    この事実を映画の記録で知って、
    私のこころのなかですっと、何かが融け合うのを感じた。
    ヴィラも映画の登場人物たちも、
    垂直に立ち上がった建物(人物)と水平にのびる幾何学庭園(影)の『比率』に
    その美の秘密が隠されていたのだ。

    アラン・ルネの映像美とバロック庭園の美は、『秩序』という地下水脈でつながっていたと……
    言い切ってしまっては、まだ性急だろうか。

    そしてこの庭園には「花 」がない。
    大鉢に配されたオレンジだけが、豊穣の色を添えている。
    意図してアラン・ルネ監督がモノクロームとしたのか私にはさだかではないのだが、
    たぶん、「色」は不要だったのではないか?

    ああ、30年という私がヨーロッパを求め続けた時をはさんで、
    いま、もう一度あの名画を見てみたい。

    今の私なら、きっと「去年、マリエンバードで」の庭園の冷徹さにも、
    男女の冷たさにも、計算された会話にも、たぶんたじろがないのではないか。
    私はもはや、暗闇のスクリーンに投射されるヨーロッパ芸術のレトリックにひとつひとつに溺れかけていた少年では、
    もうなくなっている。
    ふと気がつけば、庭にはもう人も無く、午後の強い日差しが木々の濃い影を地面に落としているだけ……
    そんな私の未来が見えるだけかもしれないが。

  • 林崎 徹「ウル ナナム 9」

    (不定期連載)

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    「アシュは夢の力を信じているのか」
    「信じてはいない。恐ろしいだけだ。青い目の女が父の許にいたのは二日だけだ。父を見たその目で、その青い目で早くもウルクの取り巻きを見ていた。父の脚と顔の大きな傷跡に触れることもなく、二十一人の従者護衛とともに、さっさとウルクへ引き返してしまった。引き返すだけならよい。ウルクとボルシッパの遠い距離があの女を大胆にした。あの女の取り巻きは実に大勢だ。賛美者たちは奴隷と同じだ。違うな、奴隷は命令されたことだけを為すが、若い阿呆どもはお先走りばかりだ。青い目の女は口に出して頼んだわけではない。思いを隠さなかっただけだ。死と対峙したことのない者らがいかに死を弄ぼうと、泥の玉を投げるようなもの。片脚の男一人など、手もなく消してしまえると勝手に思い込む。安物の刺客どもは領地に入り込む前に指笛ひとつで潰された。遠からずそうした輩がうろつくのを知っていたとはいえ、父自らが弓を引くまでもないことだった」
    武人の妻が戦傷の夫を疎ましく思い、それを面に出す。青い目がしんと鎮まる。これらのことどもをアシュはどのようにして知ったのか。父キッギアからであろうはずはない。欠けた書板をつなぎ合わせるように、剥がれ落ち隠され歪められた出来事の数々から思い描いたことなのだろうか。自分の言葉に急き立てられ憎しみを募らせているけれど、アシュは自分で狭い檻に入り込み、檻の狭さに自分を歪めているのだと俺は思った。
    夢の中、青い空の下で俺には微塵も不安がなかった。熱を抑え、怖れを鎮め、疵を浄めたアシュの尖った胸。泥水から俺を引き上げたアシュの青い目。だから青い目の女を象る言葉の連なりは、アシュの口を借りて別人が語り出したのだと思いたかった。ぶつかり合う四つの青い目が空洞のように窪んで俺の足を掬い、俺はただもがくばかりだ。俺は救い手たちによって時を預けられた。
    何も持たない俺は預けられた時を捧げることでしか礼を返せないのだろう。
    アシュの身体は機敏に無駄なく動き、言葉は険しくても声は透き通って淀みがない。しかし女偉丈夫の雄々しい見かけの下に脆い土の貯水池があって、自ら生んだ言葉が沈殿して積もり積もってゆき、やがて決壊する。そんなことがあってはならない、させてはならない。本当のことであれ物狂いの果てであれ、内でも外でも一度生まれた言葉は消えない。呪は人を蝕むものだ。呪師たちの面貌はどいつも仮面が剥がれなくなったと見紛うほど尋常ではない。
    俺は籠を引き寄せ、短い乾し葡萄の枝をさらに二つに折って火にくべた。火の勢いは変わらなかった。
    「馬には乗れるか」アシュが酒の筒を抱えゆっくりと空の盃を満たしながら言った。
    「馬にも駱駝にも乗るぞ。父の隊商に連れていかれたから長い距離も厭わない。軍馬はだめだ。俺はただまっすぐ進むだけだ」俺は新たな話に飛びつくように答えた。
    「戦車も扱ったことはないのだな」
    「そうか。アシュはあれを操れるのか。父上直伝ということだな」
    「義足では踏ん張れないから戦場では役立たずだと自分では言うが、父の手綱捌きは今でも並ぶ者がいないだろう。しかし騎射となると、どうしても狂いが出るようだ」
    細かな彫を入れたメディアの将軍の箙が不意に目に浮んだ。走り去る戦車の上でサームは小揺るぎもせずに立っていた。
    「二頭立ての戦車を御するのは非力な腕ではまったく無理なのか」
    敏感な馬のようにアシュが耳を立てた。
    「腕力で御するわけではない」
    火床の縁から剣を取り出すと焚火越しに俺に手渡し「鞘をはらって肩の高さでまっすぐ構えてみろ。坐ったままでいい。私に横顔を見せるように。いいと言うまで降ろすなよ」とアシュは言った。
    「目の前に敵がいるつもりでやるのか」
    「できもしないことを言うな。構えていればよい。話を続けたければそうしろ」
    訓練というほどのことではないが、父と剣を打ち合ったことがある。十歳になる前だったろう。戦闘用の段平ではなく短刀に近いものだったが、両手で扱うのがやっとだった。腕力ではないと言いながら、アシュは俺の腕力を試しているのだろうか。かなりの時が経ったように感じられた。
    「イシュタールのような女戦士になりたいのか、アシュは」構えを崩さず、前を見据えたまま俺は訊いた。
    「女戦士が望ではない。イシュタールは男のように強い女神だ。私がなりたいのは男だ。それをよく覚えておいてくれ。お前のような華奢な体を見ると土人形のようにこね直したくなる。初めに見た時は宦官ではないかと思ったからな。鬚もないし」
    静かな声音であしらうような口調、それがアシュだ。
    「俺の父も鬚は濃くない」
    「王子も確かディリムと同じくらいの歳で鬚がない。逞しさは岩と砂ほども違うな。ところで、お前はたぶん勘違いしている。私は母のせいで女が嫌なわけではない」
    避けようもなく青い目の母のことに話が戻ってしまうと思ったとたん、アシュが命じた。
    「ゆっくりと剣を下ろせ。そして直ぐに元の高さへ、それを三度繰り返せ」
    俺は新兵のごとく意図のわからぬまま腕を動かした。
    「終わりだ」という声に俺は向き直り、刃を鞘に入れてアシュに返した。
    「お前はどう見ても非力な体つきだが、きっとけた違いに筋が柔らかいのだろうな。力のない者がこれを長く持ち上げていようとすると必ず肩に力が入りすぎて早々としこってしまうものなのだ。私には見極められないがディリムのちぐはぐなところに非凡なものが潜んでいるのかもしれない」
    「それではアシュ、お父上に頼んでもらえるか。俺にも戦車の御し方を教えてくださるように」
    アシュのこの微笑みはどこから生まれたのだろう。染み入る清々しさはここの井戸の水のようだと俺は思った。口許でも頬でも青い目からでもなく、全身からとでもいうべきか。目を落として炎を見つめるアシュの額に残光のように微笑が射している。

    (つづく)

  • ふなびき かずこ (漫画家)「ぶう太 いか人参を食べる」

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  • 千田 哲也 (カフェエチカ経営者)「楕円の濃度」

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  • 森島 章仁 (精神科医・歌人)「箱の中の自由」

    1.
    美術作家ジョゼフ・コーネル(1903-1972)は、箱の中に貝殻や瓶、ブロマイドや切手、鳥や星座を閉じこめた作品ばかりを作り続けた。この箱は、どこか悲しく高貴で、郷愁をさそう未知の趣きを宿して美しい。「コーネルの箱とは何なのだろう」という思いが頭の片隅をかすめながら、これまでその美しさの由来がよくわからないままだった。最近翻訳された伝記(デボラ・ソロモン著、林寿美、太田泰人、近藤学訳『ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア』)を読み、コーネルの生涯を知った。そしてあらためて、コーネルの人生と箱について思い返してみた。
    私はふだん精神科の臨床に携わっているので、統合失調症(精神分裂病)という精神疾患について考えることが多い。この伝記によれば、コーネルは、統合失調症親和的なパーソナリティーの持ち主であったと推測できる。好意を抱いた映画館の切符売りの少女に花束を渡すこともできないほど、内気で傷つきやすい青年だった。発病こそしていないものの、コーネルの実人生は、おそらく不自由の連続だったであろう。

    2.
    統合失調症を病んだ人は、とてつもなく不自由な状態にさらされる。根源的に「私」という主体がうまく作動しない病の故である。たとえていうなら、知らないうちに他人が自分の家に土足で上がりこんでいるようなものであろう。そのため、自らの主体はつねに他者に読まれ、先回りされてしまうという異常な体験が発生することになる。
    しかし、主体の選択に代表される「行為としての自由」というレベルより、もっと深層を見つめてみれば、統合失調症の病者は、自由の状態の極限を示していはしないか。「自由の体験」とは、自己に閉ざされた有限な人間が、裸の状態で他者を迎え入れ、無限に触れることなのだから。
    ジャン・リュック・ナンシーがいう「自由の経験」とは、そうした他性に対して自らの存在を裸で開いていくことを意味しているであろう。イヴ・ボンヌフォワなら、「真の場所」と呼ぶ。「極限的なこうした場所(真の場所)の美しさ。そこでは私はもはや私には属さず、……ついに、私は根底的に自由になる。そこではいかなるものも私にとってよそよそしくはないのである」(イヴ・ボンヌフォワ『不確定なもの』)。
    だが統合失調症の病者は、他者に根源的に開かれすぎてしまっているために、この美しい場所を味わうことができない。それどころか病者は、他人に開かれすぎた自己を防衛しなければならず、自閉する。一方、自己に縛られた人間が、他者や無限へと自己を差しだすことが「自由の体験」であるとするなら、自由を目指す人間と統合失調症の病者とは、まるで正負が入れかわった鏡像のようにそれぞれを映しだす。同時に、「不自由から自由へ」と、病者の「自由から不自由へ」とは、自由と不自由の極限的な二律背反を示してもいる。
    人は、自由と不自由とが共存したなかで生きている。あるいは、そのどちらもが折り重なっているなかで運動し、消尽していくことこそ、「生」にほかならない。ことに、「性(エロス)」の領域では、自己の蕩尽が現われやすい。だからこそ、ジョルジュ・バタイユは、この「至高性」を「恍惚」という言葉で言い換えたのだった。

    3.
    人とうまく交わることができずに閉じこもりがちだった青年コーネルは、ずっと童貞のままだった。ふくろうのような店主がいるマンハッタンの古書店で、気に入りのブロマイドや絵葉書や版画を陳列箱から捜しだし、もう一方で、マックス・エルンストのコラージュに触発されたとき、コーネルは、おそらく羽ばたく自由を得たのだ。それは、箱の中で異質なものが出会う作品となっていった。異質なものの最たる領域のひとつが「性」であれば、コーネルの箱の中にエロスが封じこめられているのも当然であろう。
    実際の人生では、不自由でぎこちない生活しか送れなかったコーネルは、箱の中では自由だった。過去を集めて未来を創造した。有限を組み合わせて、箱の中に無限を造りだした。箱という枠がそれを可能にした。箱への逃避とは防衛的な自閉であり、箱は外界を隔てる枠だった。だが、この箱の中には自由があり、コーネルはそこに「青い半島」という美しい場所を仮想した。
    私には、「生」の自由と不自由をコーネルの箱が体現しているように思える。さらに、こう言ってもよいかもしれない。「箱の中の自由」とは、けだし「人生」そのもののことなのであると。

  • 林崎 徹「ウル ナナム 8」

    (不定期連載)

    8

    走り降りてくる黒雲が稲光に縁取られ、たちまちもとの闇に戻った。吹く風は水と土の匂いがして、長衣が重く感じられる。
    「降ってくるな。この先にある穴蔵でやり過ごそう」
    土地勘があるとはいえ、アシュの足取りは闇の中でもためらいがなかった。俺はアシュの背で揺れる髪の音が聞き取れるくらいの近さでついていった。
    「父上と覚師が酒宴をしている見張塔だが雨の時はどうするのだ」
    「いつもはきっちりと覆われている。酒宴のために開いたのさ」
    「それはいい。屋根が動くのか、蓋を取るみたいに」
    「あれをつくりあげた者の骨はもうとうに土埃になっているけれど、直に教えを乞いたかったな。事あれば籠城もできるだろう。攻城槌も跳ね返せるにちがいないが、頑丈なだけではない。書板もたくさん残っているぞ。父も私も字は読めないが、ハシース・シン様は何度も長い時間を過ごしていた。読むというのは、それほど面白いことなのか」
    「覚師のように食うことを忘れてしまうことはないな。俺の力が足りないせいだろう」
    「ここで飛び降りるからな。背丈より少し高いだけだ」とアシュは言い、そのまま真下に身を落とした。
    一呼吸おいて覗くと、アシュの姿が見えなかった。やわらかな着地の音を耳にしたばかりだ。目を凝らすと、香油が匂うような気がした。すっかり星明かりがなくなっているので、夜の川に飛び込むような心地だった。俺の足が地につく前に、白い光が真横に走り、斜面を一瞬照らし出した。一面の葡萄樹が人の群れのように見えた。いや、本当に葡萄樹だろうか。
    間をおかずに、目の前で夜の獣の重い目蓋が開いたように、あたりが濁った赤い光に浸された。一本一本の葡萄樹が透き通った人の殻をまとい付かせている。目蓋がゆっくりと閉じられたように闇が戻り、すぐに風にのって雨が落ち出した。俺は次に現れるものを見逃すまいと闇を見つめた。
    「入れ」と首の後ろでアシュが言った。「そのまま横に四歩移動して屈むと入り口がある」
    言われた通りに動くと、土手に小さな穴が穿たれているのがわかった。穴の前にしゃがんで、しばらくの間待ってみたが雨音が強まっていくだけで二度と風景が開くことはなかった。目の中に残った像が俺の気持をざわめかせている。
    火打石が鳴り、木の燻る匂いがした。炎が立ち上がると、少し雨の音が遠ざかるようだった。俺は火の前に坐った。着衣は思いのほか濡れていて、湯気が感じられた。
    「ここも見張塔と同じか」
    「執拗な敵にいつも囲まれていたのだろうな。先の住民はボルシッパと違ってこの地を守ることに工夫を凝らしている。ここは段丘の真ん中あたりで見晴らしがよく街道まで見渡せる場所だ。この奥には烽火台がつくってある。葡萄の酒瓶とオリーブ油もあるぞ。もちろん、われわれが運び込んだものだ。ディリムはやはり水にしておくか」
    「やはりということもないが、水を貰うよ」
    中壁の奥に貯蔵場所があるのか、アシュが火の場所を離れたので、俺は立ち上がり拳ほどの壁穴から外を覗いてみた。目に入るものはなにもなく、煙る水の勢いが目を洗うだけだった。
    編み籠に盛られた干し葡萄と山羊をかたどった素焼きの水差しを火床の端に置き、次にアシュは雪花石膏でつくられた筒を抱えて戻ってきた。俺たちの肘丈くらいで、先端に吠える獅子の彫り物が付いている。杯に注がれた液体は黄金色で、これまで嗅いだことのない芳香がひろがった。
    「私は少しこれを飲む。ハシース・シン様によれば酒神の言伝のごとき味だそうだ」
    「香を飲むだけでも言伝がわかるな」
    「神官みたいに気味の悪い言い方をするな。そもそも書記と神官は似た物同士か」
    「どちらも文字を読むのはいっしょだが、神官が何をするのか俺は知らない。俺は文字を学び、ナブ神に遣える者だが書記ではないぞ。なるつもりもない」
    「書板の土になった言葉はいわば水のなくなった言葉ではないか。水のないものは死んだものだ」
    「刻された言葉は死んだ言葉ではない。眠っているだけだ。必ず目覚める時がくる。読むことがそのまま刻された文字の目覚めにつながっているわけではないが」
    アシュは鼻の前に上げた杯越しに俺を見つめた。そよとも動かない眼差しは水鏡と同じだ。アシュの顔に俺の顔が映りこんでいくように思えた。俺は目をはずさないよう努めながら、手にしている乾し葡萄を枝ごと火にくべた。
    「ディリム、さっき見張塔で、もっと顔をよく見せてくれと言ったのはどういうわけなのだ」裁き手のような目をしたアシュが小声で言った。
    「この炎で今よく見たよ」
    「何がわかった」
    「聞きたくないのだろう、聞かせたくないのは聞きたくないのと同じだ」
    「小理屈を言うな。お前は女のような体で神の戦士のようにふるまい、まっすぐな目をして女々しい口をきく」
    杯の縁を噛むようにしてアシュは少しだけ飲むと、残りを火に零した。炎の色が変わりアシュの顔が遠ざかった。
    「夢の中で俺は清々しい青に包まれていた。空の青みだと思っていたが、俺の背にあった者の瞳を俺は感じていたわけだ」
    「私の眸は母と同じ色だ」アシュは放り投げるように言った。
    「アシュの顔が父上と異なっているのは眸の色だけなのだな」
    我にもなく、瀬踏みする口調になった。
    「父はよく魘される」とアシュが顔を俯けて囁いた。
    「殿軍で戦ったのだから、それは惨い有様だったろうな」
    「戦の夢ではない。ここからウルクに戻る前、母は夢の種を落としていった」
    キッギアの魘される声を聞き、苦しげな顔を目にしたからといって、アシュが父の夢に忍びこめるわけではない。それに夢の指差す先に探し物が見つかることはなく、川にはまる夢を見たからといって、水辺に危険が潜むとはいえないのだ。

    (つづく)

  • 小池 昌代 (詩人)「波頭」

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  • 井上 泰信 (音楽家)「浸蝕ノ破界」

    music by Taishin Inoue
    http://www.taishininoue.com
    *この音源はパッケージされ、販売される予定です。

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  • 林崎 徹「ウル ナナム 7」

    (不定期連載)

    7

    「それだけでは終わらなかったのだ」とアシュが溜息をつくように言った。「腐兵というのを知っているか」
    「いや、初めて聞く」
    「黄泉の扉の軍兵みたいな奴らだ。薬草でも使っているのだろう、痛みをまったく感じていなかったらしい。腕を落とされても表情も変えず向かってきたそうだ。すべての敵を倒し終えた王の軍はまとい付く蝿を払う気力さえ萎えていた。死者と一緒だと見られていたのか、間近で禿鷲どもが構わず大饗宴をはじめていたくらいだ。だから、そいつら三人が跳びかかってきた時、誰も気付かなかった。身を挺したのはこの時もムシュとギルの二頭。おかげで王は左腕の怪我で済んだ。父はそいつの右手首に切りつけたが、刃こぼれと血ぬめりで斬り落とせなかった。骨が砕けて剣が垂れ下がるのを見た父が王を振り返ると、二人の戦士が王を庇い、一人が傷口を縛っていた。
    キッギア、私の剣を使え、という王の声に従って剣を手にし、立ち上がりかけた父に、左手に剣を持ち替えた腐兵が襲いかかった。大きく薙いだ王の剣は腐兵の首を飛ばしていたが、首のない腐兵の剣が父の左足に突き立てられていた。右手首もろとも自分で引きちぎったのだろう、剣の柄には二つの手首があったそうだ。ムシュとギルに阻まれたほかの二人は、自分の剣が馬の腹から抜けなくなったところを切られた。それでも吹きだす血がなくなるまで、折れかかった枝が風に弄られているように体を捩じらせて戦おうとし続けたという。そいつらに敵味方の区別はつかないのだろう。だからこそ、自軍が全滅してから湧き出てきた。近くに操った奴がいるはずだった。探索はもちろん無理で、アッシリア軍は八百十七の屍を鳥獣に喰らわせることになったが、腐兵の秘術を知る奴が少なくとも一人生き延びたということだ」
    「手首や指を切り落としてみせる見世物があると聞いたが、そんな目眩ましとは違うわけだな。腐兵という呼び名があるのは、前にも現れていたということか」
    「これまで遭遇した兵団もいないし文書の記録もない。アッシリア軍でも初めてだったらしい。知っていたのはハシース・シン様の学び舎の者だぞ。異国人がいるだろう。その者の国の言葉で腐れた兵というらしい。どこを斬られても動じないで、まるで死体が立ち上がるような連中が戦場に現れたことがあったそうだ」
    異国人は学び舎に二人いる。一人は俺たちとはまったく違う顔つきで、眸が隠れるほど瞼が厚いせいで表情が見えない。もう一人は俺たちの頭蓋骨の二倍はありそうな鉢を持った男で数式の扱いが群を抜いていた。そいつはもうバビロンの神殿建設に登用されているはずだ。
    「腐兵遣いはアッシリア人ではないかもしれない」と俺は言った。「流れ者の妖術師のような奴で、請負が成り立ってから腐兵を仕立てる」
    「四年経っているけれど、いつかまた襲ってくると父は言っている」
    「俺もそう思う。腐兵遣いは何年かけても契約を果たそうとするに違いない」
    地平の彼方が光をおびて震えた。遠い稲妻に誘われたように風が吹き香油の匂いがした。体の痛みは痛みにばかり気持が傾いて体のことを忘れる。香りは体そのものを感じさせるものだなと俺は思った。それゆえにこそ、ひと時体にまとう香のために人は重い銀を購う。憤怒と悲しみが綯い交ぜになったアシュからも香りが立ち上る。しかしアシュはいま土埃と血の臭いだけを感じているだろう。
    「麝香草の匂いがしたそうだ。ずいぶん後になって父が思い出したように言ったよ。腐兵にはそぐわないけれど、あたりに充ちていた生臭い戦場の臭いより強く麝香草が匂っていたらしい。皮肉なことに、思い出させたのは母だ。ウルクから母がバビロンにやってきたのは戦闘から百九十三日目のことだった。父が母の姿を見とめる前に、母のまとっていた香が先に届いて腐兵のことを呼び戻してしまった。母もまた足を失った父の姿を初めて目にした。先に帰還した父の兵団の戦士たちはナボポラッサル王から授かった栄誉のことだけを伝えていたようだ。戦の勲を聞くのが大好きな私にはそれでよいが、母は名誉好きの気位の高い女にすぎない。その日の戦で、わが軍は二百七十一名を喪い、ほとんどの馬が戦死した。生還したのは六十九名、父は左足を落とすことになり、王の左腕も以来、肩までしか上げられない。それがどのようなことだったのか、あの人には思い描くことができない。威風あたりを払う凱旋将軍の傍らに立っていたいだけだ」
    自分の母への仮借ない言葉がつのっていきそうなので、俺は話を移した。
    「ボルシッパの兵は頼りないと言われるのだから、襲撃隊を殲滅させるほど勇猛だった王の一行にボルシッパの守備隊は同行していなかったわけだな」
    「援軍も間に合わなかった。というより、異変に気づきようがないのだ。物見という構えがないのだからな。ボルシッパは迅速には動けないし、動かないのをアッシリアは見越していたに決まっている。ボルシッパはあまりにもバビロンに近すぎるというのが父の見方だ。危うくなれば助けが来ると踏んでいて、その計算が染み付いている。数十年前に城壁を囲まれ、餓えに餓えて屈辱を味わったのに。いつまでも兎のように臆病で、兎のように殺戮を呆然と待ちうけ、兎のようにひたすら子作りに励む」
    「キッギア殿の娘とすれば当然とはいえ、なかなか手厳しいな。その日のことでボルシッパは王から断罪を受けなかったのか」
    「王が怒りをしめしたのはボルシッパの習い性となっている惰弱さにではない。王は言うそうだからな。初陣で失禁する兵士を嗤ってはならない。怖れぬ者など一人としてなく、恥じることではない。しかし二度目は許すな、そいつはただの臆病者だ。王は元々、戦傷兵や寡婦、遺児たちに手厚い。この襲撃戦に斃れた兵、奮戦し凌ぎ生き残った兵たちにもそうだった。父もこの一帯の農園を賜った。恩賞の手配をしている中で、ボルシッパの寡婦と遺児への給付品を差配する役人の不正がみつかった。王は役人と妻の首を刎ね、四人の子どもは悉く奴隷に落とし、住まいは破却させた。ボルシッパの不名誉はこの男を飼っていたことだと言われて、王自ら剣を揮ったそうだ。王が処刑人になるなどあり得ないことだ」
    「さもしい目、汚れた手の役人が処罰されるのは納得できる。しかし敵を察知できない守備隊長たちへの咎めがないと、ますます軍紀が緩むのではないのかな」
    「城市も人と同じだ。得意、不得意があろう。戦に向かない市もある」
    「餓えた狼の鼻息がそこかしこから聞こえているこの時、得意不得意を言っていられるはずもないだろうに。俺には軍のことはよくわからない。猪に不甲斐なく蹴散らされるまで、ボルシッパ軍は見事に動いていると感心して訓練を眺めていたからな。臆病ということでは、猪の腹の横で肝が抜けていた時の俺など、きっと兎なみの目をしていたさ」

    (つづく)

  • 落合 とき代「かぐのこのみ 冬」

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  • 須山 実 (エクリ主宰)「エニシダと石の間」

    フランスに行きたしと初めて思ったのはパリにではなかった。何をおいても見に行きたかったのはブルターニュ地方に残るカルナック列石。
    低空飛行によるカメラは素早い鳥の目となって、1キロ以上続くという石の連なりを追っていた。吉田直哉演出の「未来への遺産」で見たブルターニュの巨石群の映像は胸震えるもので、文字通り「魂消て」しまった。旅心などという穏やかなものではなく、かの地で魂を拾い戻さなければならないとテレビ画面に目をこらしていた。旅への誘いは写真や映像から大量の情報を得るけれど、ひとつの画像の力によってという経験はこのカルナックだけである。
    ものの見かたは実にいろいろあるもので、この石群をムーミンに出てくる「ニョロニョロ」みたいだと言った女友達がいた。畏怖を感じさせるカルナック列石と手足のついた千歳飴みたいなニョロニョロ。人はだれでも自分の好みを透かして連想を繋いでいくわけだ。ひたすら海をめざすところが同じということなのか。
    カルナックのフランス行きのために用意したのは、1976年版ブルーガイド海外版『パリとフランス』だった。コンパクトなポケット版でありながら、小ぎれいなカラー写真を貼り合わせて表層を舐めるだけというおざなりなところがなく、建築や人物、おすすめスポットが幅広く取り上げられていて、それらの由来や解説も充実していたように思う。
    このガイドのカルナックの頁に「すいかずら」と題する「やさしききみよ、われらの身も同じ、われなくしてきみなく、きみなくてわれなし」という詩が載せられていた。12世紀の女流詩人マリ・ド・フランスの作品でトリスタンとイゾルデが主題だった。小説を読み始めて以来、いわゆる「不倫もの」を好きになれなかったけれど、トリスタンだけは例外だった。この好みの偏向を「奪う側には行かない、行けない、いやむしろ奪われる側に行くだろうという予感」と評した奴がいた。なるほど。
    ガイドを読む数年前、鎌倉雪ノ下の奥まったあたりでその花の香に出会っていた。小暗い土手から垂れ下がるその花はつややかな濃緑の葉むらの中で仄白く光っていた。ぼくは飛び上がって花の蔓をつかみ引き抜いた。長い蔓をつけたまま、花の香を味わいながら歩いていると「あらめずらしい。どこでみつけられました」と通りかかった銀髪の婦人に話しかけられた。ぼくは場所を説明し花の名を尋ねた。
    「すいかずらですよ」と聞いてびっくりしてしまった。
    都会育ちのせいもあって、とりわけ植物の知識がブッキシュだったので、すいかずらの名は荒々しいフォークナーの小説の一場面を通して知っているだけだった。古都のひんやりとした切り通しでひっそりと咲く花とアメリカ南部の庭で強い匂いを放つそれとがすぐに結びつかなかった。鎌倉のすいかずらはマリ・ド・フランスの短詩に似合っていた。

    かすかに薄日が射す夏のおわりの朝早く、ぼくはカルナックにやってきた。あたり一面が黄色い花をつけたエニシダにおおわれていた。メンヒルと呼ばれる石の大きさ高さはさまざまで、腰丈くらいの小さなものもあれば、数メートルの巨石もあった。それらが延々と西へ向かっている。すべての石は軽やかに立っていて、ニョロニョロのようにいっせいに海に向かうというイメージも的外れではないように見えた。
    「大きくなっていく石の灰色」とセーヌ川に入水自殺することになるドイツ系ユダヤ人、パウル・ツェランは「メンヒル」と題する詩を書き出している。
    「明るい翼で お前は浮んだ、朝早く、エニシダと石の間に小さなシャク蛾が」
    ぼくはエニシダと石の間をゆっくりと歩いた。いっしょにバスをおりた十人足らずの人たちの姿はいつの間にか見えなくなっていた。石器あるいは青銅時代から立ち続けている花崗岩の表面は思いのほか冷たかった。太古の人々がなにゆえにこの一帯に一本の木を植えるように石を立てたのか、いくつもの仮説があるが、まだ謎とされている。
    「カルナックにいて例のカルナックの石を見学しない法はない」と『ブルターニュ紀行』に書いているのはフローベールである。彼はそれまでに唱えられた列石の成り立ちに関する説を「この平原のために、ここにある小石の数よりも多くのばかげた文が書かれてきたのである」と皮肉り、「この私がどのように推測しているのかと尋ねられるならば、カルナックの石は大きな石である」とにべもない。なにしろ、フローベールの筆致は石について述べているときよりも、途中すれ違った農婦の姿態のほうに強い視線を送っているのだ。
    石の根元に坐ると、天と地を繋ぐ一つひとつのメンヒルは宇宙卵であり生命樹でもあるように感じられた。背骨の中を熱く立ちのぼっていくものがあって、もし恋人といっしょに来ていたら、ためらわずに抱き合っていただろう。フローベールが何と言おうと、そこは地霊に満ちた場所だった。立ち並ぶ大小さまざまな石群はレイラインをなぞるように置かれているのではないかと思われた。エニシダ茂る平原はひそかに用意された寝台のようにぼくの気持ちをざわめかせた。
    「ジュネ」と婦人は言った。西から歩いてきた中年のカップルにぼくは黄色の花の名を尋ね、持ち歩いていた辞書で「エニシダ」の名を知ったのだ。中世の英仏間の争闘の歴史を彩るプランタジュネ(英語ではプランタジネット)家がこのエニシダの枝を紋章にしていたことは後日知った。
    列石の間を行き来しているうちに、いつの間にか数時間が経っていた。半ば呆けていたのかもしれない。まだ若かったからか「また越ゆべしと思いきや」という感慨はなかった。
    数年後、ピンク・フロイドの「wish you were here」のイントロを聴くなり、ぼくは夕陽に染められて蜂蜜色に滲むメンヒルを幻視した。ひとたび焼き付けられた映像は音と分かちがたく結ばれて、その曲を聴くたびに実際に見たわけではない夕暮れのカルナックを見続けることになった。
    wish you were hereと日本語に訳さずに声に出してみるほうが、ここにいて欲しい人の不在喪失感が身に沁みる。
    ブルターニュの旅から矢の如く30数年が過ぎて、「命なりけり」が実感されてくると、カルナックで夜を過ごさなかったことが悔やまれてくる。夜の大地に横たわっていたら、ぼくは一艘の小舟になって星々のどよめきの下を石の海へ漕ぎ出していっただろうか。闇と夢のあわいで、メンヒルたちは青白く照り渡り、ぼくに誘惑の歌を聞かせ、dark side of the moonを開示しただろうか。

  • 日高 理恵子 (画家)「見ること」

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  • 林崎 徹「ウル ナナム 6」

    (不定期連載)

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    腰を屈めねばならないほど低い穴を潜り抜けると、夜気が身を浸した。井戸の底から星を見ている心地がしていたのは、俺たちが見張塔の中にいたからだった。振り仰ぐと塔の天辺の縁が夜空に触れている。
    水をもらった井戸まで塔から五十歩ほどだった。井戸の傍らの木よりもはるかに高い塔が俺の眼に入っていなかったことになる。木の下に入ると密に茂った葉で見える星は十に満たない。
    「俺は野から一番近い水路を目指しているつもりだったのに、いつの間にか、この木に呼ばれていた。覚師の言われた通り、俺は正しい道を選んだわけだ。ここはどの辺りになるのかな」
    「調練のあったリスムの野からここに辿りつくには馬でも1ベールー(2時間)近くかかる。ディリムが現れた時、日はまだ中天だったから、お前は鬼神にでも駆り立てられていたのだろうな」
    アシュは釣瓶を手繰り、零れるほどの水を満たした椀をよこした。おれは一息に飲み干し、「酒より旨いと思う、たぶん」と言った。  アシュは桶の水を少しだけ掌に受け顔をひと拭いした。
    「ハシース・シン様と父が話していたが、ディリムは多くの神に愛されているとメディアの将軍が告げたそうだな」
    「覚師の耳目はいったいどこに付いているのだろう。何もかも見えている」
    「大げさなことを言うな。お前をしっかり見守っているだけだろう。なにしろ秤の扱いを心得ぬ奴だからな」
    「見守り、手を差し伸べてくれる人たちに俺はいつでも恵まれている。メディアの将軍もアシュと父上もそうだ。皆、神々が遣わしてくださった人たちだと思える。言い訳になってしまうが、俺が自分を抑えられなかったのは猪のためだ。俺がまだ幼い頃、すぐ近くに住んでいた若者が猪に腹を突かれたことがあった。誰が見ても助かる傷ではなかった。腸が裂かれていたから叫び声で壁も空も揺れるようだった。家族の者が楽にしてやるべきだったが、誰も手をくださなかった。俺の父がいたらためらわなかっただろう。夕刻から夜明けまで命は消え残って、一帯の生き物は眠れぬ夜を明かした。リスムの野で血塗れた猪の牙を見た時、俺のすべてが煮えたぎってしまった。戦ともなれば、両軍幾千幾万の者が同じ苦しみを舐めるだろう。それが間もないことがわかっているのに、俺は今この時だけになってしまった」
    かすかに歌声が聞こえてくる。遠い空からのように思えたのは見張塔の内壁を立ちのぼってくるからだろう。意味は聞き取りにくい。
    「歩こう」とアシュが言って木の下から出た。アシュと俺は同じ香油の匂いがする。ゆっくりと流れる大きな雲の塊が星々を隠すなか木星マルドゥクの輝きがひときわ目を引いた。塔からの声が途切れ途切れについて来ていたが、やがて聞こえなくなった。
    その丘は葡萄畑だった。夜目にも手入れの行き届いているのが見て取れた。葡萄樹は夜も眠らないと俺に語ったのは誰だったか。葡萄の実は眠ったまま膨らんでいくが、葉も枝も眠ることなく伸びた身の丈を確かめつつ日に日を積んでいくと聞いたことがある。火にくべられた葡萄の枝の燻る匂いがしていた。覚師も新月の夜会では焚火に葡萄樹を使うが、その話ははるかに遠い記憶だ。
    「ウルクの戦車隊の副官だった父はこの先の街道で殿軍として戦った」
    アシュが指差した先も黒々と畑が連なっているようだ。
    「ナボポラッサル王も左腕の腱を切られるほどの敗戦の時だ。会戦の規模ではない。密かにナボポラッサル王の首級を狙うアッシリアは一気に片をつける構えの襲撃で小部隊の精鋭だった。それでも王の兵士の二倍を超える軍勢だったという。バビロンまで半日足らずのこの場所だ、長い旅程を経た王の一行にも気の緩みはあったのだろうな。囲みを破るまでに三分の一を失った親衛隊と王は先ほどの井戸まで退いて水を飲んだ。一息入れた王は皮袋に水を詰めさせ動ける全軍、三両の戦車と七十の騎兵を率いて父の許に引き返した。脱出する王に迫る部隊を一兵残らず倒したのを見届けた父の中隊は馬を外した戦車四十台を半円に配して防御陣を敷いていた。戻ってきた王を見て父は歯噛みし血の気が引いたことだろう。生き残りの殿軍が水を摂る間、王は自分の戦車からも同じように馬を外させ円の隙間を埋めた。水を飲んだ後の父は辛うじて立っているだけだったそうだ。洞窟に吹き込む冬の嵐のような風音が自分の喘ぎとは気づかなかったと言っていた」
    王の盾となる身がほんの短い間にせよ芯が抜けてしまったのだ。干しあがった喉で暴れる水の恐ろしさを知っていたからキッギアは俺に充分気をつかってくれた。渇きの只中にある者はすでに己を失っているので、水の魔を忘れて不用意に貪る。俺とて父との辛い旅を通して、水の扱いは体で教え込まれていたはずなのだ。
    「その後、不思議が起こった。王の戦車を曳いていたのは、ムシュとギルという名の黒馬だったが、二頭は王と父たちの拠っているちっぽけな陣の外を駆け回りはじめた。そして急ごしらえの防御柵を乗り越えようとしているアッシリアの騎兵に体当たりした。二頭の嘶きが合図だったかのように、辺りに散っていた乗り手のいない馬たちが集まり来たって一軍をつくった。防御の円陣が鎌付き戦車の車輪のような攻撃に転じて、近づく騎兵たちを追い払いはじめる。その様に驚いたのは両軍とも同じだったが、ムシュの蹄にアッシリアの騎兵が蹴倒された時、すべてが反転した。勢いを得た王の騎兵が大回りしてアッシリア軍を包み込んだから、小さな壷の中で朱の染料を激しくかき混ぜているような混戦になった。終にはどちらの剣も矛も血糊で武器の体をなさなくなっていた。討たれた者たちは声もなく砂に塗れる。争いは十ゲシュ(40分)程続いて終わった。勝利などではなく、わずかばかり先に相手の方が一人も動かなくなったということだ」
    滑るように奔る黒雲が星を覆い隠してゆく。息苦しさが増しているのはアシュの話のせいばかりではなかった。大気が熱い湿り気を帯びている。

    (つづく)

  • 林崎 徹「ウル ナナム 5」

    (不定期連載)

    5

    バルナムタルの酒精の香が漂い、ハシース・シン様の声がする。覚師は上機嫌だ。相手の声はくぐもっているので杯を酌み交わしているのは胴真声のバルナムタルではなさそうだ。円く切り取られた夜空の中で数え切れない星が洗い桶の葡萄みたいにひしめいている。寝藁はたっぷりと俺を包んでいる。円い空だと。しつこく絡んでいた臭いも搾りかすのような疲れもなくなっていたので、俺は時と場所を取り違えていたのだ。
    慌てて起き上がる前に覚師が言った。「お前はどうも帰るところを忘れるな。しかし着いた場所は正しい。ここの井戸の水は旨い、お前は水探しの勘もあるようだ」
    すべてが一気に甦り押し寄せ、俺は頭を垂れた。
    「すでに何もかもお聞き及びでしょう。面目ございません」
    「たしかに愚かなことをした。余計なことであり、本来であれば咎めも小さくはなかったろう。ところが愚の極みがバビロニアに朗報をもたらしたわけだ。ディリムを救った男、あれはメディアの将軍サームだ。そしてこれなるはもう一人の救い主、キッギア殿」
    二人の姿はほとんど影の中で、黒鋼のような義足だけがはっきりと見分けられる。俺は身に何一つ着けておらず、動くと仄かに香油が香った。
    「あの後、あなた様を煩わせてしまったのですね」
    「ほとんど娘の為したことだ。自分を女と思っておらん娘だから気にするな」キッギアの横顔は星明りの下で石壁に彫られた戦士のようだ。
    「同盟するという噂は耳にしましたが、メディアの将軍だったとは。」
    また会うこともあろうと言った将軍の声を思い出し、俺は我知らずヒッタイトの鋼の鞘をまさぐっていた。布一つ身につけていないのに、ふくらはぎに革紐で結わえた武器はそのままだった。
    「軍の力を測るならバビロンの王の本軍を見ればすむではありませんか。」
    「同盟を正式なものにする前に軍の編成を見たいと城市を巡察していたのだ。本心は分からん。バビロンで閲兵を受け、ニップル、シッパルを視察し、このボルシッパを最後に再びバビロンに戻った。ボルシッパ総督に、今日はいいものを見せて戴いた。出向いた甲斐があったというものと実に鄭重に礼を言ったそうだ。同盟は今やどちらにとっても欠かせない情勢だ。それを相手がより切実だと思わせてしまうところが、なかなかのものだ。丸め込まれた、言い負かされたと相手につゆ感じさせないのが交渉だ。ディリムは父御とともに商いの場に控えていたから、そのあたりの駆け引き機微も知らぬわけではなかろう」
    皮袋の揺すれる音がし、酒精がひときわ強く香った。
    「何をもたらせたにせよ愚の極みでした。アッシリア軍を躍り上がらせることになりかねなかった」
    「そう言っている今のディリムがもう一度あの場所に戻ったとしても、お前はまったく同じように振舞うだろう。それがお前の本性だ。将軍サームにはそれが分かった。そのように動くお前を気に入ったのだ。お前の本性に気づく者がその場にいたことが定めとも言える。それをして星の道が数百年に一度出会うような徴と見れば、一国の運命とまで話が広がることになる」
    「私がのこのこ出て行こうがどうしようが、もとよりメディアは同盟をなす心積もりだったにちがいありませんから一国の運命とは言えないでしょう。でも、将軍が自らの手で俺を助けてくれた、消えかけた俺の運命を黄泉の扉の前から投げ返してくれたのは数千年に一度の星の巡り合わせのようです」
    「私に言わせれば、お前はただの身のほど知らず」
    俺の真後ろで女の声がした。振り向くと寝藁の中に人影があった。
    「お前、男のくせにまともな筋肉がついていないぞ。それでは狼と呼ばれるアッシリアの矛の前で麦穂のように刈られる。武器だけは不相応にも親父様が賜った剣といい勝負だ。あまりに見事なので研ぎなおしておいた」
    「武器だけではないぞ。アシュはお前の爛れかけていた背を自分の身をもって癒してくれたのだ」と言う覚師の声は愉快そうだった。
    傷が癒えたばかりではない。俺は今までにないくらい身体が伸びやかに感じられる。
    「私の痛みを拭ってくれたということは、あなたがその身に引き受けたということになるのではないか」
    「抱きしめていたからといって、お前の傷がこの俺に貼りつくものか。お前、男のくせに酒も飲まないようだな。お前の身体には一滴の酒も入っていないぞ」
    「男、女の問題じゃない。俺の分はいつもハシース・シン様が干してくださるのだ」
    「ハシース・シン様は特別だ。この方は歩く皮袋だ」
    「アシュ、口が過ぎるぞ」キッギアの口調は咎めているのではなく、合いの手のようだ。
    「おお、四方世界のみならず、化外の地までのありとあらゆる酒神と懇意になるのが私の夢だ。言葉を知るにはまず地酒からだ。いかなる荒れ野、辺境の地であろうと、人が住む気配はまず鼻が教えてくれる。それは糞の臭いだとよく言われるが、それは違う。酒の香は日々垂れ流される糞などよりはるかに遠くまで生きている人間のことを伝えるのだ。ところでアシュ、酒一滴もないディリムの体の中には何があった」急に真顔になった覚師の様子が眼に見えるようだ。
    「大雨の時みたいだったな」アシュは獲物を手繰りよせるように、一言一言呟いた。「音が大きすぎて何も聞こえない、そんなふうだった」
    「それは俺の体というより、この天と地のことじゃないか。俺の体は天地を奔る大洪水の一滴だ。天と地の間にはこの世が始まってからの音がなにもかも残っている。風、裂ける岩、瞬き、打ち合う剣、葦笛、翼、熟れる葡萄。俺はいつもそう感じている。そういえば俺はさっき夢を見ていた。アシュ、よく顔を見せてくれ」
    アシュが不意に立ち上がった。闇の中でも彼女が素裸なのがわかった。
    「ここの井戸の水は酒よりも旨い。汲んでやるからこれを着て一緒に来い。俺たちの背丈は同じだ」
    覚師とキッギアは何も言わなかった。

    (つづく)

  • 落合 とき代「かぐのこのみ 夏」

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  • 祥見 知生 (うつわ祥見主宰) 「名をつける」

    名付け親になるというほど大げさではないが、身の回りにあるものたちに名前をつけて名を呼ぶと、親しい気持ちがさらに高まり、よけい可愛く思えることがある。
    さいきんでは、鎌倉駅の近くの商店街「御成通り」の端っこに器を伝える常設の空間を持ち、お向かいにある「くろぬまさん」で初めて買い物をした黒色のクマのおもちゃに「くろちゃん」という名をつけた。「くろぬまさん」は大正十二年創業の紙店だが、現在は夏は花火、通年では紙風船や水鉄砲など昔ながらの素朴な玩具を売っている。子供をあたたかく見守るシンボル的な店で、わたしはたまたま見つけた空き物件から見た「くろぬまさん」の、なんともあたたかく郷愁を感じる佇まいに一目ぼれしてこの場所に店を開いたのだ。
    くろちゃんは身長7センチほど。ソフトビニール製でバットマンのいでたちをして、くるりと大きな目と丸い耳に愛嬌がある。ぜんまいを巻いてやると、足を前に繰り出して歩く姿も愛らしい。店の一周年記念のDMに石田誠さんの南蛮焼締めの杯とともに登場させたら、「どうしちゃったのですか」と手にされた多くの方に言われたが、「器ともに朗らかに」という想いは伝わったらしく評判はよかった。この写真を大きく引き伸ばして店の前に貼っていたら「このクマは売っていないのですか」と道行く人に訊ねられた。雑誌の取材でこのことを話したら、肝心の器よりも大きく取り上げられたことも可笑しかった。

    先日、うつわ祥見で初めての「器の同窓会」を開いた。「最愛の器と出席ください」と呼びかけると十数名の方にお集まりいただいた。その会に持ち寄られた器たちが想像以上に素晴らしかった。めし碗、急須、湯呑、鉢、皿。ふだんの食卓で使われて育った器はどれも経年の味わいを増し、使い手に愛されて誇らしげな顔をしていた。
    ともに暮らす器たちをわたしは親しみをこめて「うちの子」と呼んでいるが、同窓会に出席された皆さんも同じように、器をごく自然に「この子」と呼ぶので嬉しかった。

    『茶碗のみかた』は昭和51年に刊行されたポケットサイズの名著だ。鞄に入れて移動の時間に興味深く眺めている。
    李朝時代の井戸小貫入茶碗 銘「撫子」に寄せた言葉には「小貫入は井戸の貫入をそのまま縮小したような貫入と、かいらぎをもっていて、総体に小振りである。それは掌中の珠にもたとえられ、可憐にしてしかも小粋でもある茶碗であり、われら渇望おくあたわざるものではあるが、いかんせん世の中に小貫入は少なく、これは及ばぬ恋とでもいうところか。鳴呼―。」とある。著者が熱っぽく語る解説を無理なく読み進むうちに世に名だたる茶碗を知る手引書となっている。桃山時代のまだら唐津茶碗に「朝陽」、江戸後期の黒茶碗に「宝剣」。器に名をつけて尊ぶのは茶陶の文化の成熟さをものがたる。
    一方、ふだん使いの器に名はない。無名であることの美しさは雑器の誇らしさのあらわれでもある。
    しかし、器に名をつけるという行為をふだん使いの器たちにそれぞれの使い手が自由に行ったら愉しいだろうな、とふと考えた。器と人のかかわりは外に向かうものではなく、「ごはんを食べる」ことは家(うち)のなかで毎日繰り返し行われる。めし碗や湯呑み、ぐいのみが可愛がられるか否かは器と使う人との相性が大きく関係する。器を使って気分がよいかどうか、そこからあんがいユニークな名が生まれてくるかもしれない。
    ではさっそく、ためしにと、わが家の器を想像してみた。京都の陶芸家・村田森さんと運命的に出合わせてくれた染付の豆皿は「バッファロー」。村木雄児さんの三島碗は?小野哲平さんの鉄化粧のドラ鉢は?と、想像を繰り返すのは愉しかった。
    さて、わたしの最愛の器は薪窯で焼成された無釉のめし碗である。かたちといい、高台の削りの具合といい、飄々としたとぼけた味わいがあり、どんなに眺めても飽きることがない。手に包むと土のよさがじんわりと伝わり穏やかな気持ちになる。この器でごはんを食べると、よい落語を聴いたあとのように、気分が晴れる。しみじみと、わが家に来てくれたことが嬉しく、これからずっとこの器とともにありたいと願う。この器にどんな名がふさわしいだろう。

    しかし、お遊びとわかっていても、この器にはとうとう名前をつけられなかった。不思議なことに、時間をかけて見つめてもこの器に似合う名は一つも浮かばなかったのである。

    しばし考えて、もしもこの器を人に紹介することがあったなら、最高の愛情をこめて「この子」と呼ぶことにしよう、と決めた。無名の冠が似合うなんでもない碗であるからこそ、最愛なのだ。
    器好きの度合いはこのように深刻化する。器とわたしの偏愛的な蜜月は今日も続いていく。それは朗らかで、こころ愉しき、かけがえのない日々である。

  • 林崎 徹「ウル ナナム 4」

    (不定期連載)

    4

    隊列を動かす兵たちの具足の音や馬のいななき、戦車の車軸の軋みにまじって負傷兵のものらしい呻き声も聞こえた。訓練を統率する部隊長たちにとっては、負傷者も幾人かの死者も見越してのことだったはずだ。学頭は命を落とす兵もいると言ったのだ。訓練で十人の命を召し上げることで、実戦では部隊の足を踏みとどめ全滅を免れることになるのだろう。見境なく飛び出した俺は今命を落とした兵たちの死を無駄にしてしまった。行きかう兵も卒長も部隊長も俺から目を逸らせているように思える。一歩一歩がたった今味わった恐怖と募り来る恥の深い足跡をつくった。荒い息をつくたびに棘の密生した茎が喉を擦る感じがした。
    血と泥がこびり付いた腕や脚には手当てのいる怪我はなかったが、猪の瘴気でも浴びたみたいに体中から鼻を刺す臭いがしていた。俺は花の色が残っている草を探して毟り取り手を擦った。脂汗と血と反吐が混ざったような臭いがかえって強まった。自分の棺とともに歩いている気分だ。大きな擦り傷でもあるのだろう、熱風が吹き付けると背中が酷く痛んだ。陽の力は俺を押し返すほどで、強い陽光の下を歩いているのに目の中は昏かった。
    漸く長衣を拾いに元の場所へ戻った時には、学頭たちの姿はなかった。振り返ると、展開していた部隊も倒れた猪も跡形なく消え、血の匂いに騒ぐ鳥の影もなかった。暑熱に焙られた黄土には血の痕も見えなかった。背後から二千五百の部隊と十八頭の巨大な猪の骸がなくなるまで気づかなかったとは、どうかしている。一気に駆け抜けた距離を引き返すのに俺はいまどれほどの時を使ったのか。声にならない底なしの自分の悲鳴と幾万の兵の進軍を促す鉦の音のような陽光が俺の耳をいっぱいにしていたのはたしかだ。
    長衣とともに放り投げた皮袋の栓がはずれ大半の水がこぼれてしまっていた。熱した水は口をすすぐほどの量しかなかった。持ってきた水をあてにした自分が間違っている。闘いの半分はいつでも水に関わることだ。絶え間なく吹く風と陽のせいで見えないが、水路まで遠すぎることはないはずだ。「坐るな。水場まで歩く」俺は声に出して言った。
    渇きを鎮め、体を洗って渡しの船に乗せてもらえるようにしなければならない。
    「恥ずべきは自分を憐れむことだ」と父は言った。それを聞いたのは何の折だったのだろう。その時は、意味するところが分からなかったけれど、自分の愚かさと思い上がりに膝折っているいまがそれだ。救われた命は自ら改めて救い直すのだ。
    俺は傲慢極まりなかった。ヒッタイトの鋼を使うところなど誰にも気付かれることはないとたかを括っていた。あの異国人は弓を使いつつ俺の手業を見届けていたのだ。そのような鋭い眼で一瞬一瞬を見切っていなければ乱戦のなかで生き延びられはしないのだろう。
    俺は父の商いに随いて多くの地を旅し、大商人の館で珍しい写本を見せてもらった。較べる者もいなかったので、そうした折に一度目にした文字を忘れないということが特別なこととは思わなかった。覚師のもとで、各地から集まった書記生と学ぶ間に、皆が新しい文字を覚えるのに多くの時を費やすのを知った。俺は密かに速さを誇っていたわけだ。他の者を侮ることと自分を憐れむことの根は一つだ。

    「七番目の櫂を取れ、櫂を取れ。八番目の櫂を取れ、櫂を取れ。九番目の櫂を取れ」
    気づかずに同じ詩句を謳い続けていた。膝の運びと韻がぴったりだったのかもしれない。
    いつからその大振りな緑の広がりに気づいていたのだろう。俺はなかなか近づいてくれない緑を見つめ、「櫂を取れ」と声を絞り出して歩いていた。
    はじめて見る木だ。灰色の幹はほぼ真直ぐで葉は一枚一枚磨きあげたみたいに光を跳ね返している。葉陰の縁にある井戸は小さく、桶をつないである柱も杖みたいに貧弱だ。住まいも大きくはないが、裏手には家畜の気配がある。
    切り揃えた葦で組んだ扉越しに声をかけようとするのを計っていたように人が現れた。片足が義足だった。俺の体は前のめりになっていたせいで、顔よりも先に足が目に入ったのだ。男の右目の縁を抉り傷が走っていた。眼が救われたのが僥倖としか言いようのない深さだ。男が黙って指さした木の根元に俺は崩折れた。水の音に体が震える。汲み上げた水桶から男は小さな椀に水を入れ俺に差し出した。椀の底に唇を湿らすほどの水があるだけだった。男と俺は数回椀をやり取りした。俺の体を気づかって水の量を抑えているのだと分かるまで、ずいぶんと恨みがましく浅ましい目つきをしていたにちがいない。
    体の隅々まで水が行きわたった安堵はつかの間で、膝を引き寄せ立ち上がる気力もなくなっていた。水を恵んでくれた男は、礼を言う前に家の中へ戻ってしまっていた。男の体つきは戦士、静まりかえった眼差しは俺の知っている医師と同じものだ。父は大きな隊商を組むときは必ず医師を伴った。バビロニア人ではなかったが、腕のたつ医師は商いの地でも大いに重宝がられたから出自など問う者はいない。その医師は畏敬をこめた渾名で疫病の見者バルナムタルと呼ばれていた。強い酒精があれば怪我人の半分は救えると幾つもの皮袋を用意させていたけれど、半分は自分で呑むのだと言われていた。俺が覚師と出立することになった時、はじめの二日間は父の隊商と共に移動した。二晩ともハシース・シンとバルナムタルは酒神が寝込んで後も呑み続けたという。
    戻ってきた男はもう一度椀に水を入れ掌の木の実のような褐色の粒を見せた。
    「もうすぐお前は熱が出はじめる。これを飲んでおけばひどくならずに済む」
    やはりバルナムタルの眼だ。俺は言われるとおりにした。水を飲み終えたらすぐに歩きなおすと心決めしていたのに、背の幹を支えに上向くのが精一杯だ。俺は萎れた花だ。風が吹くたびに葉陰の網に揺すられるようだった。俺は漁られた魚だ。糞の大玉にしがみついた糞ころがしが俺の足元をゆっくりと回転してゆく。ご苦労なことだ。聖なる甲虫と崇める国もあるという。光の方へ。甲虫は爪に力をこめ、すべての脚爪に力をこめ光の方へ回転する。体が揺れる。俺の行く先は光の方だ。そうすればこの寒さは収まる。震えを抑えようと俺は爪に力をこめた。

    (つづく)

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