― オレンジを踊れ。誰がそれを忘れ得よう?
自らに溺れつつ、自らの甘さに
逆らうその姿を。
(リルケ『オルフォイスに寄せるソネット』)
― 君知るや南の国
レモンの木は花咲き くらき林の中に
こがね色したる柑子は枝もたわわに実り
(ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』の「ミニヨンの歌」)
― 伊木力というところから蜜柑が送られてきた
伊木力蜜柑というのだ
(小池昌代「伊木力という地名に導かれて」)
― かへりこぬ昔を今と思ひねの夢の枕に匂ふたちばな
(式子内親王)
― 大地は蒼い一個のオレンジだ
…………
それはおまえの芳醇さをもつ路々の上に降りそそぐ
そしておまえがもつ太陽の悦びのすべて、地上のすべての日射し
(エリュアール)
柑橘類を歌った詩に惹かれる。オレンジ、レモン、蜜柑、橘、爽やかに匂いたつ詩は多々あるけれど、林檎に比べると柑橘系の本はずっと少ない。林檎本は「実」が主人公であっても、ほぼ「木」とセットで絵や話が進んでいくのに、どういうわけか柑橘本では、果実が独り立ちし、主導し、締めくくることが多いようだ。『檸檬』『蜜柑』のごとく。
数少ない柑橘本の中で、気に入りの三冊をまず。
『聖エウダイモンとオレンジの樹』(ヴァーノン・リー/『短編小説日和 英国異色傑作選』所収)は、ありふれたように思えるタイトルが、実は小さな物語の風味を端的に表わしている。もの言わぬ彫像のキュートないたずらと微笑みの聖者の諭し。久生十蘭を思わせる味わいで、短編傑作選として並べられていることに得心がいく。
高松雄一の絢爛たる訳文に酔ってロレンス・ダレルの『アレクサンドリア・カルテット』を繰り返し読んだ。かつてパリで会ったエジプト人は「カルテットのアレクサンドリアなど、どこにもないよ」とにべもなかったが、場所も人も経年劣化は致しかたないことだ。作品は色褪せない。いつもはじめてのものとして現れる。
『にがいレモン キプロス島滞在記』はダレルがそのアレクサンドリア四重奏を発表する前の一時期を過ごしたキプロスでの日々を記述したものである。彼は島の一軒家を借り受け、島人に助けられながら手を入れ、教師のかたわら執筆に勤んだ。
「そよとの風もない静かな涼しい空気のなかを、村の物音や空気が伝わってくる。後日、わたしはそのひとつひとつを正確に聞き分け、友人たちの名前をそれにあてはめることもできるようになった。――花にむらがるミハエリスの蜜蜂の羽音、アンズレアスの鳩たちの鳴き声、大工のリジスが、その狭い仕事場で釘を打ったり鉋をかけたりしている鋭い音、バスを待っているところまで、アンセモスがオリーブを詰めた樽をゴロゴロころがして行く音」
しかし伏流していた深刻な政治状況の噴出で、この牧歌的な風景を味わうのも短い間のことだった。宗主国イギリスに対する反旗はテロを生み、ダレルのギリシャ人の友も標的となって斃されてしまう。苦い別れに至る本書の後半に比べ、ワインとコーヒーと花々と大地が香りたち、壮大な歴史を醸成してきた海原が光る前半はとりわけ晴れやかだ。地主一家(というより一族というべきか)とのやり取りと追いかけは、さながらキートンの映画の如くで抱腹ものである。カルテットにかかる下地はすでに充分だったのだ。
そして、『真穴みかん』(写真・広川泰士/企画・佐藤卓)
この写真集では、もの、ひと、ところ、何もかもが輝いている。「旅人レポーター」がお約束コードに従って巡り歩くTV番組では捉えきれない空気が流れていて、気分が豊かになる。被写体と写真家との間になごやかな共感があるからだろう。企画の佐藤卓の熱意に導かれて、みかんの村に入り込んだ広川のレンズは緑と黄に染まっている。
まことに遅ればせながら今年の初夏、私たちは林檎の花を見てきだが、みかんの花咲くときと、実のなる頃、どちらも愛媛を訪ねてみたくなった。
柑橘etc.を少々。
『みかんのくにの17のものがたり』は蜜柑の里、静岡県の言い伝えや民話の集成。
「ねこみかん」と題されたお話は「花咲じいさん」の同工とも云えるが、遥かに恐ろしい展開のホラーである。
…… あんまりだ。
『柑橘類の文化誌 歴史と人との関わり』(ピエール・ラスロー)を読んで、クリスマスツリーや大航海時代の壊血病、米国のオレンジ産業の盛衰など等、成る程とひたすら頷くばかり。モネの「睡蓮」連作が展示されているオランジュリー美術館が「オレンジ温室」だったことも知らなかった。
webの紹介文3行で手に取る気が失せたという私に、「もう3行読み進んでください。私はこの作家の翻訳書すべてが気に入っています」とのブックショップカスパール店主、青木さんに薦められて『オレンジだけが果物じゃない』(ジャネット・ウィンターソン)を読んだ。
この本の骨子、娘と母の確執ドロドロは戯画化され、ある程度希釈されている。皮肉、軽口、警句に筆が走り、時に疾走してまことにもって痛快。ゴリゴリのキリスト教原理主義者である(義)母がことあるごとに取り出すのがオレンジで、この小説も、あくまで「実」のみ。
それにしても、柑橘本のタイトルにははぐらかされる。「ルパンとレモン」(豊島ミホ『檸檬のころ』所収)はレモンの香りのリップクリーム、コミックの『orange』(高野苺)はパック入りのオレンジジュース。本の側からすれば、それがどうした、ということだろうけれど。