木林文庫コラム

  • 木を植える人たち

    6,7年前のことになるが、夫婦でテレビ番組の制作をしている友人から「面白い人を撮ったので、ぜひ見て欲しい」と連絡を受けた。
    面白き人、植物生態学者宮脇昭のことをその時はじめて知った。いつも麦藁帽子を被り、目に力があってにこやかな森の人の顔は、笑顔の写真が多い牧野富太郎を髣髴とさせた。
    宮脇のキーワードは「その土地本来の木」ということである。「もったいない」のマータイ女史へのアドバイスも、ケニアに元から生えている木を植えなさい、だったという。そして、彼が広く進めているのがドングリのポット苗。「ほっこり、ほっこり」「混ぜる、混ぜる、混ぜる」と、苗づくりに際して、宮脇が繰り返し唱える言葉は誰にでも伝わるおまじないだ。著書の『苗木三〇〇〇万本 いのちの森を生む』や『いのちを守るドングリの森』に、広く遠く地球の緑を見はるかす宮脇の考え方が要約されているが、NHKの番組「日本一多くの木を植えた男」もアーカイブから見ることができるはずである。

    ジャン・ジオノが出会った(創造した)『木を植えた男』ブフィエ。この本にもドングリを選り分ける様子が書かれている。いのちを植え育てるための張りつめた時間は、計算されつくした古典絵画のような光彩を放っていて印象深い。木を植える男ブフィエの生き方には世界各国の人々が魅力を感じ、「もっとも並外れた人物」の一人だと首肯するのだろう。

    「かつて座亜謙什と名乗った人」たる宮沢賢治は、「謙什」の名を冠した童話『虔十公園林』で木を植えた男を書いた。賢治が造形したのは「でくの坊」と呼ばれ笑われ「誉められもせず」の男、すなわち理想の人の姿である。虔十がただ一つ願ったのは杉苗を植え育てること、そして一生の間のたった一つの逆らい言は、この木を「伐らなぃ」だった。
    杉葉からの雫を受け、口を大きくあけて立つ虔十のたったひとりのさいわいの姿は、数知れぬ人たちへのさいわいにつながっている。

    たくさんの木を植え続けた実在の女性の話が『ワンガリー・マータイさんとケニアの木々』(ドナ・ジョー・ナポリ)と『八〇万本の木を植えた話』(イ・ミエ)の二冊である。
    一冊は、平和のために木を植えるグリーンベルト運動を主唱し、「木の母」と呼ばれたノーベル平和賞受賞のマータイが、そしてもう一冊は、黄砂湧き出ずる不毛の地、内モンゴルのモウソ砂漠に20年をかけて木を植え増やしたイ・ウィチョンがモデルになっている。
    しかし、ここに上げた本そのものからは、余人には為し得なかった二人の業績が残念ながら読み取りにくい。巻末解説なしでも、倦まずたゆまずの気遠くなるような一日一日の積み重なりが伝わってきて欲しかった。

    たった一本の木を植え育てるのも素敵なことだ。
    『希望の木』(カレン・リン・ウィリアムズ/リンダ・サポート絵)は、子どもが生まれると臍の緒を実の生る木の種といっしょに植える習慣があるというハイチの話。少年ファシールは生まれてきた妹のために木を贈りたいと考える。自分のためにお父さんがマンゴーの木を植えてくれたように。
    お話の行方はいささか安易に思えるけれど、ヤギに食べられてしまったり、雨に流されてしまったりと何度も何度も失敗を繰り返してしまい、悄然と立ち尽くしているファシールの絵は胸に響く。
    わが家でも三人の子供たちの誕生樹を区の公園に植えてもらったが、三か所とも早いうちに無くなってしまっていた。苗木の植樹はそんなにも歩留まりが良くないものなのか。三本ともというのは愉快な話ではない。とはいえ、ファシールのように日々気にかけなかった我々も思いが足りなかったのだろう。幸い、義父が庭に植えてくれた記念樹は毎年見事な花をつけている。

    kirin_13