木林文庫コラム

  • ロシアの森(1) 自然詩人の豊かな日々

    副題の「森の詩人の生物気候学」という耳慣れない言葉を目にして、初めてプリーシヴィンの作品を手に取った。訳者が付けたタイトル、『ロシアの自然誌』の原題は「ロシアの暦」。ロシア関係の本を読むにあたって、ロシアの季節を巡る自然―樹や花や草、動物の生態を知識として持ちたい、という動機からだったが、森と水の詩人、プリーシヴィンがいざなうロシアの大自然に一気に惹きこまれ、ロシアの森の涼気のなかで、酷暑の夏をしばし忘れた。
    ミハイル・プリーシヴィンは、10代には探検のために家を出奔し、その後中学退学、革命サークルに関わり、逮捕、投獄も経験し、その後ライプツィッヒ大学で農学を学んだ。技師や教師として糊口を凌ぐが、33歳でフォークロアの研究者からおとぎ話の採話を託されて北方へ向かった。
    はるか昔、古代スラブ人は森と沼沢に覆われた地に住んでいた。初めて成った東スラブ族の国、ルーシ(ロシアの古名)の人々は、10世紀にキリスト教を受容した後も、自然界の不思議な力に神々の霊を見、崇拝し、生活の拠り所としていた。ことに、12世紀からの250年間にわたるタタールモンゴルの攻撃を免れ、中世ロシアの風俗や習慣が純粋なかたちで守り抜かれた北の地は、民衆の魂の故郷、秘境であった。森の精、水の精などが変幻自在に生活の中に生きていた。
    プリーシヴィンは、土地の古老と語らい、出会った鳥、獣、植物についてメモを取り、
    来る日も来る日も日記をつけ、歩く。
    「おお、何たる寂漠、なんというこの静けさよ!森、水、そして岩…」と海さながらの森の連なりの中、猟師、語り部や泣き女など名もなき民衆の昔語りに耳をすまし、美しい自然の中の民俗探訪の記録をつづり始める。処女作『森と水と日の照る夜-北ロシア民俗紀行』(原題「愕かざる鳥たちの国」)を世に送ったことにより、北方は作家、詩人プリーシヴィンの揺籃の地となったのである。
    心弾む春の、曙光を反射して光る木々の樹液の滴、湖の結氷の砕ける音、オオライチョウの羽根の色づき具合、白樺の浅い緑の匂い、雪どけ水の小川のささやき。森の四季折々の、朝焼けから日没までのうつりゆきに、刻々の天候の変容に、胸をときめかす。そして生物気候学者として緻密に観察し、動物や季節すべてを自分と同じ生命として愛おしみ、語りかける。詩人が描く自然の暦が『ロシアの自然誌』だ。森の住人の呟き、「死にでの準備をするがいい、ライ麦の種を蒔くがいい」これはそのまま、自然と人間の一生に思いを馳せる自然詩人プリーシヴィンの人間観であろう。ゴーリキーはプリーシヴィンについて「あれはね、生活じゃない、聖者伝そのものなんだ」と言ったという。
    晩年の、大戦前夜にまとめられた『森のしずく』は、彼の生涯の愛、永遠の女性との出会いを語る「フェツーリア」を併載した、遍歴する魂の、ロシアの自然への讃歌の集大成である。これは、ナチ収容所のロシア兵にひそかに回し読みされたのだという。
    ロシア文学者、詩人である訳者、太田正一が、プリーシヴィンへのオマージュとして膨大な日記類から編訳した『森の手帖』には、森のロシアと人々の暮らしと生涯共にした詩人のポエジーが凝縮されている。エッセイ『森のロシア 野のロシア』は、ロシアの自然を詠った作家たち8人についての物語である。ひとりひとりのロシアの自然との交感を、丹念に辿り、著者自身が深いロシアの森に、心ときめかせながら歩をすすめ、その豊かさを味わう感動が、瑞々しく伝わってくる。プリーシヴィンのみならず、森のロシアに生きることを天職とした作家たちについて知ることできる一冊だ。ちなみに表紙絵は、ドストエフスキーも讃嘆したという、風景画家クインジの、白樺の森。

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