木林文庫コラム

  • バオバブは夢の樹

    U2のCDアルバム「ヨシュア・ツリー」のジャケットに使われているユッカの樹の写真を目にしたとき、バオバブの樹を連想した。どちらもユーモラスでありながら悪魔的にも見える変な樹だ。
    「バオバブは私の夢の樹だ」という武満徹の文を以前引いたけれど、バオバブと云えば、『星の王子様』から知った人が多いと思う。抜くのが遅れるとどうしようもなくはびこって星を覆い、酷いときには星そのものを破裂させてしまう悪いやつ。挿画も大いにそのイメージづくりの助けとなった。サン・テグジュペリは郵便機からもバオバブを見たのだろう。
    テグジュペリの樹の言葉で気に入りをひとつ。「林檎の木の下にひろげられた卓布の上には、林檎だけしか落ちてこない。星の下にひろげられた卓布の上には、星の粉だけしか落ちてこないわけだ」
    バオバブを悪魔が引き抜いて投げたら、根と枝が逆さになった話がアラビアにあると、『バオバブの記憶』という写真集を出している本橋成一が書いている。この本こそ、バオバブを知るのにうってつけだ。本橋はセネガルの村に入り、バオバブと共に生活している人々を撮った。村の生活にカメラを向ければ、そこにバオバブがある村だ。乾いた地に生えるこの樹は65パーセントが水分だというから、バオバブは大きな水樽なのだ。ある一本は近寄りがたい神木であり、ある木の洞は吟遊詩人の墓、象の足を何本も束ねたような巨木は日陰であり遊び場でもある。1000年を生きるとも云われるバオバブだが、最近では若木が育っていないのだという。この村の樹齢400年くらいの樹が天寿まで生き通したとき、人類はそこにいるのだろうか。青い星を破裂させる胚珠を潜ませた悪い種は。

    バオバブの姿は、今ではテグジュペリの絵より、ツアーに誘う夕陽を受けた並木のシルエット写真の方がポピュラーかもしれない。そのバオバブツアーが組まれるマダガスカル島などの話を集めたのが『バオバブのお嫁さま マダガスカルのむかしばなし』(川崎奈月 編訳・絵)。彩色豊かな挿絵が楽しい本だ。
    書名の「バオバブのお嫁さま」はマダガスカル島とアフリカ大陸の間に位置するコモロ諸島の話である。昔話はしばしば木に竹を接ぐがごとく、ちぐはぐなパッチワークを思わせることがあるけれど、「バオバブのお嫁さま」も話がすとんと落ちてこない。語りだったら、たぶんそんな風には感じないのだろう。文字読みはときにナンセンスな飛躍を素通りできず、「むかしばなし」に浸れない。よろしくないことだ。で、どこが躓きの石だったか、王様と交渉するオウムか。いずれにしても、理を追ってはダメなのだ。
    バオバブにまつわる話では「イブナスゥイヤとジェンベたたきの老人」が面白い。バオバブをツリーハウスにする話だが、巧みな人がこの話を子どもたちにしてあげたら大喝采を取るだろう。

    『バオバブのきのうえで』(ジェリ・ババ・シソコ・語り/ラミン・ドロ・絵)はアフリカ・マリの昔話を絵本にしたものである。絵を描いたラミン・ドロの生まれはドゴン族の祭司だという。ドゴン族といえば、フランスの民族学者マルセル・グリオールがドゴンの賢者の言葉をまとめた『水の神 ドゴン族の神話的世界』がある。水の精霊ノンモのなせる、この世のなりたちが豊饒なイメージで語られていて忘れがたい本だ。
    画家ラミン・ドロが使ったのは黒ペンだろうか、単色の線画による絵がとりわけ力を発揮しているのは、旱魃に見舞われた地に雨が降り注いでいる場面である。バオバブの樹上で大空に放たれた嘆きの声。その呪が解かれたとき、空から猛烈な勢いで落ちてくる雨。それは一度森に捨てられた子どもの、非を悔いている村人たちの、そして乾ききった大地の歓びの歌なのだ。

    kirin_08