木林文庫コラム

  • 和から洋へ ―翻訳長編小説

    時代小説の次は海外ものに目を向けてみたい。
    『林檎の木の下で』(アリス・マンロー著)は「木」との関わりからではなく、小池昌代さんの書評に呼ばれて読んだ一冊。「狐の書評」で知られた山村修さんと小池さんの書評が私は好きだ。二人の言葉はいつも静かな誘惑で、読みたくなる本がこんなにもあるという高揚感に導いてくれる。引用は的確で美しい。
    『林檎の木の下で』はスコットランドからカナダに移住してきた著者の一族を描いたそれぞれ独立した短編が、血のバトンによって一つながりとなり長編を構成している。マンローの小説は「日々」ということに思いを向かわせる。揺らぎも叫びも輝きもない一日一日。血はこうした日々の中を音もなく流れ著者に受け継がれているように思える。時を遡行するマンローの視線は柔らかく、彼女の深い眼差しがそのまま文に移されている。
    「読書とは一体にそういうものだが、マンローを読むとき、読者は今に至るまでの自分を総動員することになる。させられるのではなく、自然、そうなる」と小池さんは書いている。
    フランスの現代小説『火炎樹』(パトリック・グランヴィル著)は「樹」にからむタイトルから手に取った。フランボワイアン(火炎樹)と聞くと、私はゴシック教会の壁面装飾のことを思い浮かべてしまうが、深紅の花を咲かせる方の『火炎樹』は読みはじめてすぐに引きこまれた。教会の石壁のごとき硬質なものは何一つない、呪術とミサイルが同居する赤道直下のアフリカ某国が舞台となっている。この地を牛耳っているのは、土と樹液を混ぜ合わせ太古の叫びを吹きこんで捏ね上げられたかのような男トコール。野放図で滑稽なこの男には独裁者特有の永続への欲望が皆無だ。熱気と狂気が充満する奔流のようなダンスマカーブル。子どもじみた夢の追及に駆り立てられて己の王国を喰い破り、クーデタに見舞われるトコール。打ち倒された独裁者は森の中で神話的な葬儀を施され、真昼間の夢幻劇が終わりを告げる。豊饒な野生にすっかり疲れ果て、私は笹の葉音が恋しくなったのだ。

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