木林文庫コラム

  • 木にのぼる

    木にのぼると云えば、イタロ・カルヴィーノの『木のぼり男爵』、後にも先にもと言い切ってしまえそうな気がする。とは云うものの、私はカルヴィーノの著作では『マルコヴァルドさんの四季』が好きだ。とりわけ、「まちがった停留所」の章に書かれた、映画館から満天の星空へのファンタスティックな道行が大好きである。もちろん、『木のぼり男爵』は物語の活力に満ち溢れている。十二歳でかしの木に登り、再び地上に降りることなく、六十五歳で空に消えるまでの男爵の生涯を、酔いながらも酔いつぶれることなく、一気に読み通させてしまう。
    「恋も革命も木の上で」という惹句はともかく、「コジモ―樹上に生きた――つねにこの地を愛した――天にのぼった」という墓銘そのままの胸躍る男爵の日々を映画化してくれるイタリア人監督が出てきてはくれないだろうか。

    『木のぼりの詩』は画家、安野光雅の故郷津和野での少年時代を描いた画文集である。豊かな日々の最初に掲げられたのがタイトルとなった木のぼりのエピソード。
    「きがついたとき僕はうちの大時計の下にねていました。頭がぼーッとしていました」
    青桐の木にのぼっていた安野少年は枝が折れて地面に転落してしまったのだ。「僕はあのときから頭がおかしくなりました」
    このような数々の遊びや村の行事、生活の一こまが、しみじみとユーモラスに積み重ねられている。安野は懐かしい点景情景を横長の見開きページに巧みに配していて、現代に甦った巻物絵師のようだ。

    『オババの森の木登り探偵』(平野肇著)の帯に「ケータイ発・野外ミステリー小説」とあった。「木」の関連本であっても、何もかも木林文庫に入れるわけではないので、通常であれば棚に戻してしまっただろう。立ち読みして気になったのは、小説の舞台がわが町目黒、それもかなり近場に設定されていたからだ。あの場所だろうと目星のつく「オババの森」、泉公園と名を変えられた池も近しい。しかし、主人公やワキたち、姦しいオバサン連、登場する人物がおしなべて類型なのが、原住民としてはいささか不満。

    又吉栄喜著の『木登り豚』は芥川賞受賞作『豚の報い』の原点と位置づけられる作品らしい。創作ノートに記したアイデア・会話・情景を書き改めている途中の第一稿といった印象だが、粗い構成を荒々しく突き抜けて沖縄の光が漲り、白昼夢が炙り出される。
    古書店で購入したときから『木登り豚』には煙草の匂いが染みついていて、ふとした拍子に鼻をつき、集中が途切れる。すると、ガジュマルの木にひれふし、登っていく豚どもを今まで見ていたのに気づく。
    豚と木は相性が良いのか、他にも豚木本がある。「リンゴ」で挙げた『りんごのきにこぶたがなったら』と『デザイン豚よ木に登れ』。

    カエルも木にのぼる。水上勉の長編童話、『ブンナよ、木からおりてこい』は舞台で上演され、アニメーション映画にもなっているので、物語を知っている人は少なくないかもしれない。私も舞台の録画をテレビで見たのが初めだったように記憶している。
    椎の木に登ったトノサマガエルの子ブンナは、喰うもの喰われるものが隣り合わせでせめぎ合う、この世が凝縮したような小宇宙で翻弄される。ブンナは釈迦の弟子の一人の名をとったものだそうだ。生と死の実相を、身をもって学ぶ子蛙にふさわしい名だ。

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