木林文庫コラム

  • 私はポプラが好きなのだ

    「私はポプラの葉っぱが大好きなのだ・・・そして私はポプラの落ち葉が大好きなのだ」とシュールレアリスム運動の総帥だったアンドレ・ブルトンが「水の空気」と題する詩の中に書いている。ポプラ並木と「ゆらゆらと日まわりのようにゆらめく」と書かれたサン・ジャックの塔と、ブルトンがナジャに出会ったラファイエット街が、我がパリの巡礼地だった。若気の・・・としか言いようがないけれど、ポプラはいつでも美しかった。綿毛の頃も、「ダナエ―の金貨」のような落葉の頃も。
    手元の「ポプラ本」は『七月のポプラ』『ポプラの秋』『ひとたびはポプラに臥す』の三冊。
    『七月のポプラ』は韓国の詩人パク・ヒジンの四行詩集である。韓国の詩はほとんど知らず、かなり以前に読んだキム・ジハの抵抗詩集以来になる。書名となった「七月のポプラ」と「宇宙の旅人」という二篇の壮大で透徹とした四行詩を挙げてみよう。

    最も透明で 純粋な空の膚の奥深く/見よ 燃え上がる大地の舌 緑の炎!/シッシッ音を立て 灼熱する接吻に眼がくらみ/とまどった天使らが ぶつかり合う音もする

    星座を踏み しばし休む馬上の旅人よ/宇宙の旅人よ、いまは地球は遥か向こう/小さな緑の星の一つにすぎない。時空を超越した/旅人の顔には 行く先知らずの表情もない

    「四行詩こそ、短詩型としては、最も無理なく精製された典型的な詩型」とするパク・ヒジンは五百首に達する四行詩を書いたという。諧謔に充ちた詩、官能的な恋愛詩、皮肉な人物点描と、その世界は実に多彩だ。以前、ぱく・きょんみさんの詩の朗読をハングルで聴く機会があり、その音律に陶然となった。パク・ヒジンの四行詩の数々もハングルで聴いてみたいと思う。

    『ポプラの秋』は湯本香樹実の小説。少女とお婆さんものとなれば、すべてはお婆さんの造形、存在感にかかってくる。「千と千尋の神隠し」の湯婆婆や『西の魔女が死んだ』(梨木香歩著)のおばあさんのように、それぞれの流儀で少女たちに生きていくためのエクササイズを施すのだ。『ポプラの秋』のお助け婆さんは、ポパイのように顎のしゃくれた取っ付きの恐ろしげな、心優しいポプラ荘の大家さん。
    「ポプラの木は、行き場がないなんてことは考えない。今いるところにいるだけだ」
    長じてからの主人公のこの感慨はポパイ婆さんのことでもあろう。「私はおばあさんの洗濯石鹸と煎じ薬のにおいのする前掛けを、涙と鼻水と涎で濡らした。どのくらいの間、そうしていただろうか。ようやくおばあさんの膝から顔をあげた私に、おばあさんは栗羊羹を食べさせてくれた」
    この二人が黙々と二本もの栗羊羹を平らげるところ、その後のやり取り、ほのぼのとする。

    『ひとたびはポプラに臥す』は作家、宮本輝が中国の西安からパキスタンのイスラマバードまでの約七千キロを旅した紀行文。「ポプラは暑さ寒さに強く、旱魃に強いので、ポプラの植樹こそが砂漠の浸食に勝つ方法だという」とあるのを読み、ポプラを札幌やパリにのみ結び付けていた愚かしさに気づかされた。
    西暦三五〇年頃、現在の新疆ウイグル自治区にあったキジ国の王家に生まれた鳩摩羅什(くまらじゅう)が若年にして歩いたシルクロードを、自分もまた辿ってみると期してから二十年後に実現したという旅。鳩摩羅什は七歳で出家し、九歳で天竺に留学し、後にサンスクリット語の経典を漢訳した人である。訳といっても、彼にとって漢語は母語ではなかった。過酷な旅と峻烈な一生を踏みしめる旅に華やぎはなく、「元気を取り戻すための木陰として、ポプラ以外に豊かなものは、ほかにそうたくさんあろうとは思えない」と納得するのである。

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