木林文庫コラム

  • タイトルに惹かれて

    『樹の鏡、草原の鏡』(武満徹著)、『樹のうえで猫がみている』(やまだ紫著)『木々は八月に何をするのか』(レーナ・クルーン著/末延弘子訳)の三冊が書名を気に入っている本だ。
    武満徹の書名はいつでも、一つひとつ美しい一本の樹のようで、『音、沈黙と測りあえるほどに』『時間の園丁』とタイトルを目にしただけで空間がしんと静まりかえる気持ちになる。
    書名に使われた「樹の鏡、草原の鏡」はインドネシアでのガムラン体験を軸に邦楽と西欧的音楽の懸隔を論じたエッセイで、「樹」は遠い地に立つ西欧音楽の象徴として書かれている。
    武満徹の「樹」についての魅惑的な文のいくつかはエッセイ集『音楽の余白から』の中にある。たとえば「バオバブは私の夢の樹だ。厳粛さと滑稽な気分が入り交じったような、それで、廣野にひとり立ちながらも、変に深刻でないのは良い。生命の表情を最も豊かにあらわしている樹であるように思う」と「夢の樹」にある。ル・クレジオの「樹は一種の不断の非難となり、また、一種の理想となる」やフランシス・ポンジュの「動物は移動するが、植物は眼でひろがる」という言葉は共感をもって繰り返し引用される樹の言葉だ。そしてもちろん作曲もしている。タイトルは実にシンプルで「樹の曲」と「雨の樹」。

    漫画家、やまだ紫の書名もまた『性悪猫』『しんきらり』『ゆらりうす色』と、いずれ劣らず惹きが強い。『樹のうえで猫がみている』は、日々の生活を柔らかに痛切に線刻する言葉と猫の絵を中心に据えた詩画集である。子供の頃の「夢」のひとつが、猫と仲良く暮らしたいというものだった作者の手になる猫は、あるときは満ちたりた眠り猫であり、またある日は物言わぬ瞳で人のこころの移ろいをみている。書名となった猫は松の木の股に寝そべって、「おき去られて淋しい母親を 遠くからじっとみている」のである。

    『木々は八月に何をするのか』はフィンランドの現代作家クルーンの短編集で、書名を含む七つの短編で構成されている。「木々は八月に何をするのか、花の知識はどこにあるのか、時の時計は何か」と矢継ぎ早に突きつけられた質問とともにボタニカル・ガーデンを踏み迷う青年。「植物の神秘生活」を巡る探究の、異界への旅行記とも云うべき寓話だ。

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