木林文庫コラム

  • 樹海の底へ

    二十代の頃、富士青木ケ原樹海近くの廃校に十日間ほど泊まったことがある。日毎ウィスキーの氷を取りにいった風穴へ至る樹海は倒木が多くて歩きにくかったが、噂の雰囲気を感じることはなかった。どのような物語がこの場所に件の徴を付けたのかを改めて知りたくなり、松本清張の本を手に取った。富士樹海を有名にしてしまった小説は、そのタイトルから『黒い樹海』だと思い込んでいた。『波の塔』だったのか。

    富士樹海と風穴を舞台にしたコミックが諸星大二郎の『天孫降臨』。三章に分かれた各タイトルが「大樹伝説」「樹海にて」「若彦復活」となっており、ここでの風穴は太古の魑魅魍魎がうごめく魔界への裂け目として描かれている。諸星の作品としては、この作品が含まれる「妖怪ハンター」のシリーズよりも、『暗黒神話』や、今なお続く『西遊妖猿伝』のほうが好みだけれど、『天孫降臨』でも記紀神話や伝承、民俗学の知見がダイナミックに取り込まれて、はじまりの因縁が噴出する「伝奇」の面白さを堪能できる。「非時(ときじく)の香菓(かぐのみ)」という言葉が好きなので、「多遅摩毛理(たじまのもり)が辿り着いた常世の国は富士の裾野あたりだったかもしれない」、と書かれただけで喜んでしまう。

    青木ケ原は平安時代の噴火の溶岩流でつくられた地質だから、樹の海といいながら成育環境は劣悪で、樹齢の平均は300年前後だという。林学や生態系の観点からは興味深い森なのだろうが、ブナや桜、巨樹や果樹の四季などを追う写真家たちと並んで富士樹海に魅せられるカメラマンも少なくないようだ。磁石が効かなくなると噂される地で、レンズが磁力を察知するのだろうか。縁を歩き回った経験と写真集(『富士 樹海』:写真・大山行男)を併せても、私は青木ケ原に「また来ゆべし」とは思はないが。

    そして青木ケ原を舞台とした米映画「THE  SEA  OF TREES」(邦題「追憶の森」)のノベライズを読む。なぜ富士樹海なのか、さっぱりわからん。ノベライズと映画は別物としても、渡辺謙の存在感に最高の加点を上程してもフィルムには大いなる「?」が。

    樹の海は熱帯にもシベリアにも、そして光年の果てにも存在する。星間の彼方にある深い森で出会う異人を描いたSF小説に『樹海伝説』(マイクル・ビショップ)がある。

    日に日を重ねて飛びきたった惑星と云われても、このSFの森の描写はどうみても地球上の熱帯雨林そのものだ。天空をよぎるものが地球と異なるとはいえ、クルーは顔を晒し酸素を吸っている。設定はパッとしないな、と斜め読みになりかかる。

    異人たちは林間の空き地に集って儀式じみた行動を繰り返すだけで、観察者には敵意も関心も示さない。言葉はもっていないらしいが、伝達に関わるのか虹彩が時に激しく変化する。彼らは何者なのか。もどかしい探索の歩みに付き合った甲斐は充分あった。開示される謎は思いもかけない不気味さで、吐息も凍りつく。進化、変異の道筋、因子は無限にあったにもかかわらず、異人たちはここに至った。読者は人類の運命を予言するアポカリプスの前に逆らいようもなく立たされる。

    フィリピンの反政府ゲリラ組織に身代金目的で誘拐された十一歳の少年の物語『樹海旅団』(内山安雄)を読んだ。父親はリゾート開発を推進する現地社長。少年の言動振舞いは彼の地を札束で蹂躙する父親世代の縮小版、うんざりするほど嫌味な子供なので、ああ、これは成長物語の亜種だなと思ったが、想像は大きく外れた。人質とはいえ、丁重に扱われるわけではなく、死なない程度に容赦なくいたぶられる。少年は時に卑屈に、ある時は蔑みを糧に、しぶとく這いつくばっていく。少年は学ぶのではない。生身に現実を刻まれてゆくのだ。過酷な熱帯林の彷徨の日々。政府、反政府の両陣営にはびこる反目と裏切りの絡み合いが生む間断のない戦闘で吹き飛ぶ肉片と血しぶき。人間と土地の樹海は合わせ鏡となって、途方もなく広がり続ける。

    そして最後に少年は怒りによって知るのだ、自分にも守るべきものがあったのだと。

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  • 君知るや南の国 ―― 実を見て、木を見ず

    ― オレンジを踊れ。誰がそれを忘れ得よう?
    自らに溺れつつ、自らの甘さに
    逆らうその姿を。
    (リルケ『オルフォイスに寄せるソネット』)

    ― 君知るや南の国
    レモンの木は花咲き くらき林の中に
    こがね色したる柑子は枝もたわわに実り
    (ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』の「ミニヨンの歌」)

    ― 伊木力というところから蜜柑が送られてきた
    伊木力蜜柑というのだ
    (小池昌代「伊木力という地名に導かれて」)

    ― かへりこぬ昔を今と思ひねの夢の枕に匂ふたちばな
    (式子内親王)

    ― 大地は蒼い一個のオレンジだ
    …………
    それはおまえの芳醇さをもつ路々の上に降りそそぐ
    そしておまえがもつ太陽の悦びのすべて、地上のすべての日射し
    (エリュアール)

    柑橘類を歌った詩に惹かれる。オレンジ、レモン、蜜柑、橘、爽やかに匂いたつ詩は多々あるけれど、林檎に比べると柑橘系の本はずっと少ない。林檎本は「実」が主人公であっても、ほぼ「木」とセットで絵や話が進んでいくのに、どういうわけか柑橘本では、果実が独り立ちし、主導し、締めくくることが多いようだ。『檸檬』『蜜柑』のごとく。

    数少ない柑橘本の中で、気に入りの三冊をまず。
    『聖エウダイモンとオレンジの樹』(ヴァーノン・リー/『短編小説日和 英国異色傑作選』所収)は、ありふれたように思えるタイトルが、実は小さな物語の風味を端的に表わしている。もの言わぬ彫像のキュートないたずらと微笑みの聖者の諭し。久生十蘭を思わせる味わいで、短編傑作選として並べられていることに得心がいく。

    高松雄一の絢爛たる訳文に酔ってロレンス・ダレルの『アレクサンドリア・カルテット』を繰り返し読んだ。かつてパリで会ったエジプト人は「カルテットのアレクサンドリアなど、どこにもないよ」とにべもなかったが、場所も人も経年劣化は致しかたないことだ。作品は色褪せない。いつもはじめてのものとして現れる。
    『にがいレモン キプロス島滞在記』はダレルがそのアレクサンドリア四重奏を発表する前の一時期を過ごしたキプロスでの日々を記述したものである。彼は島の一軒家を借り受け、島人に助けられながら手を入れ、教師のかたわら執筆に勤んだ。
    「そよとの風もない静かな涼しい空気のなかを、村の物音や空気が伝わってくる。後日、わたしはそのひとつひとつを正確に聞き分け、友人たちの名前をそれにあてはめることもできるようになった。――花にむらがるミハエリスの蜜蜂の羽音、アンズレアスの鳩たちの鳴き声、大工のリジスが、その狭い仕事場で釘を打ったり鉋をかけたりしている鋭い音、バスを待っているところまで、アンセモスがオリーブを詰めた樽をゴロゴロころがして行く音」
    しかし伏流していた深刻な政治状況の噴出で、この牧歌的な風景を味わうのも短い間のことだった。宗主国イギリスに対する反旗はテロを生み、ダレルのギリシャ人の友も標的となって斃されてしまう。苦い別れに至る本書の後半に比べ、ワインとコーヒーと花々と大地が香りたち、壮大な歴史を醸成してきた海原が光る前半はとりわけ晴れやかだ。地主一家(というより一族というべきか)とのやり取りと追いかけは、さながらキートンの映画の如くで抱腹ものである。カルテットにかかる下地はすでに充分だったのだ。

    そして、『真穴みかん』(写真・広川泰士/企画・佐藤卓)
    この写真集では、もの、ひと、ところ、何もかもが輝いている。「旅人レポーター」がお約束コードに従って巡り歩くTV番組では捉えきれない空気が流れていて、気分が豊かになる。被写体と写真家との間になごやかな共感があるからだろう。企画の佐藤卓の熱意に導かれて、みかんの村に入り込んだ広川のレンズは緑と黄に染まっている。
    まことに遅ればせながら今年の初夏、私たちは林檎の花を見てきだが、みかんの花咲くときと、実のなる頃、どちらも愛媛を訪ねてみたくなった。

    柑橘etc.を少々。
    『みかんのくにの17のものがたり』は蜜柑の里、静岡県の言い伝えや民話の集成。
    「ねこみかん」と題されたお話は「花咲じいさん」の同工とも云えるが、遥かに恐ろしい展開のホラーである。
    …… あんまりだ。

    『柑橘類の文化誌 歴史と人との関わり』(ピエール・ラスロー)を読んで、クリスマスツリーや大航海時代の壊血病、米国のオレンジ産業の盛衰など等、成る程とひたすら頷くばかり。モネの「睡蓮」連作が展示されているオランジュリー美術館が「オレンジ温室」だったことも知らなかった。

    webの紹介文3行で手に取る気が失せたという私に、「もう3行読み進んでください。私はこの作家の翻訳書すべてが気に入っています」とのブックショップカスパール店主、青木さんに薦められて『オレンジだけが果物じゃない』(ジャネット・ウィンターソン)を読んだ。
    この本の骨子、娘と母の確執ドロドロは戯画化され、ある程度希釈されている。皮肉、軽口、警句に筆が走り、時に疾走してまことにもって痛快。ゴリゴリのキリスト教原理主義者である(義)母がことあるごとに取り出すのがオレンジで、この小説も、あくまで「実」のみ。

    それにしても、柑橘本のタイトルにははぐらかされる。「ルパンとレモン」(豊島ミホ『檸檬のころ』所収)はレモンの香りのリップクリーム、コミックの『orange』(高野苺)はパック入りのオレンジジュース。本の側からすれば、それがどうした、ということだろうけれど。

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  • 宇宙の青で — ライラック

    逢瀬の一瞬一瞬を
    僕らは祝福した、まるで神の顕現のように、
    世界にただ二人きりで。君は
    鳥の羽よりも大胆で軽やかだった、
    階段を、まるでめまいのように、
    一段飛ばしで駆けおり、そして導いてくれたのだ、
    濡れたライラックの茂みを抜け、自らの領地へと、
    鏡のガラスの向こう側の。

    これはアンドレイ・タルコフスキー監督の作品「鏡」で朗読された、監督の父アルセーニイの詩「はじめの頃の逢瀬」だ。この詩の朗読とともに画面は「まるでめまいのように」躍動し、重力の法則が消滅し、この身は眼差しだけとなって水の鏡に分け入っていくように感じられた。
    宇宙の青で瞼に触れようと
    テーブルのライラックが君の方へ身を伸ばした、
    「鏡」「ストーカー」「ノスタルジア」で引用朗読された詩に心打たれて、エクリは2011年にアルセーニイの詩集『白い、白い日』を前田和泉さんの翻訳で上梓した。さらに監督の死によって制作されなかったアンドレイの最後のシナリオ「ホフマニアーナ」を今年(2015年)秋に刊行する予定である。ホフマンの幻想世界への推進力なっているものに望遠鏡と鏡がある。アルセーニイは望遠鏡、そしてもちろんアンドレイは鏡に魅せられていた。蝋燭の炎を押し包んで闇が蟠り、鏡の面に魔がゆらめくホフマンの世界を監督はどんなふうに思い描いていたのだろうか。
    恋人たちの逢瀬とライラックの花房が分かちがたく結ばれている作品に、萩尾望都のコミック『ゴールデンライラック』がある。といっても、はじめの出会いはまだ幼い二人だ。
    長い長い時を経て成就する想い。私はと云えば、ラブストーリーの傍流に佇む男の思いに寄り添っている。自分が一番愛している人は、別な人を一番愛しているのを承知で求愛する大富豪。金力で強引にでは、もちろんない。
    手元の本は文庫なので絵の駒はとても混みあっているが、映画的と云われる萩尾望都の自在な場面の移り変わりはいつでも狭い格子を越え出ていく。一方、映画でありながら、運びがどこまでもぎこちなかったのが「ラフマニノフ 愛の調べ」。原題は「ライラック」だった。

    宇宙青のライラックに彩られるのは甘美な恋ばかりではない。死んだ土から生まれたリラは残酷な匂いも潜めているのだろう。
    『試みの岸』『或る聖書』『逸民』、小川国夫は私が最も好んで読んできた作家だ。『青銅時代』『流域』『王歌』、どれも彫琢の鑿音が聞こえそうな硬質な書名が多い小川国夫にあって、『リラの頃、カサブランカへ』というタイトルはかなり趣が異なっている。この作品は作家自身が「捨石」と述懐しているように習作の印象は否めないが、会話や独白には紛れもなく堅固な小川の筆が宿っていると思う。
    この本の帯にはジュール・シュペルベールのロートレアモンへのオマージュ詩が載せられている。「老いたる海よ」と謳ったロートレアモンが死して波となっている詩句で小川国夫自身の翻訳である。シュペルベールは好きだし、訳詩も見事なので文句はないけれど、本文の抜粋ではなく、筆者の翻訳が帯というのは風変わりだ。この帯の地色が薄青のライラックカラー、そして函に使われているのは谷川晃一の絵である。表紙は煉瓦色の布クロス、背文字は銀箔、平は空押し。凝ってはいても厚塗りではなく、端正な存在感を滲ませる造本である。
    『ライラック通りのぼうし屋』(安房直子)は、今では花が咲かなくなって久しいライラック並木に店をかまえる年老いた帽子屋が主人公の童話である。ある晩、羊が訪ねてきて、自分の毛を刈ってできるだけたくさんの帽子をつくってもらいたいと注文するのだ。不思議な話の起こし方に黙ってついて行く。面白そうなので、どんどんついていきたくなる。羊の帽子に導かれて踏み入ったのはライラックの花盛りの町である。この町で帽子屋は青い花を集めて帽子をつくる。その帽子は……、という展開。童話なので、挿絵がたっぷり入っている。が、その挿絵、帽子屋も羊も街路もアクが強すぎているように思えて、物語を味わう妨げになってしまうのだ。しかし35年間で20刷にもなっているから、絵が邪魔になるというのは、もしかしたら私一人なのかもしれない。絵と文字を見る脳の場所は異なっているそうだから、私としては片目を閉じて、文字のみを追って再読することにしよう。

    木林文庫にある安房直子作品で挿画が素晴らしいのは『風と木の歌』だ。この本に添えられた司修の絵は個性的でありながら自己主張しない。それは作品の登場者たちそのものなのだ。カバーと表紙絵が異なっているのも得をした気分にさせてくれる。

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  • もっともっと、りんご

    パリ近郊のシャルトルで開催されているロベール・クートラスの回顧展を見るために、短期間、渡欧した。三年前にエクリから出版したクートラスの作品集『僕の夜』ではカルトと呼ばれる手札カードを原寸大で掲載したが、シャルトルの展覧会にはカルトやテラコッタとともにグワッシュが多数展示されていて、この画家の奥深さに改めて魅了された。いずれ、グワッシュ群も含めた作品集を刊行したいという思いを強くしている。

    木林文庫に洋書はほとんど入っていない。しかし、せっかくの機会なのでせっせと書店巡りもした。
    「庭師」という名のパリの書店で「木にまつわる本を探している。とくにリンゴ本が欲しい」と尋ねると「こんなのもありか」と持ってきたのが”Le Cidre”(シードル)という林檎酒の本。A4変型の上製本で400頁ほどの大著だったけれど、林檎の酒はシードルもカルヴァドスも好きなので躊躇なく購入。
    「魔の山」という名のベルリンの書店では”Äpfel fürs Volk”(直訳すると「国民のためのリンゴ」)をみつけた。こちらは小ぶりだけれど、天と小口が赤く着色され、ノンブルの位置には可愛らしい林檎が配されていて、実に美しい造りだ。

    このコラムの第1回は「りんご、リンゴ、林檎」と題して16冊のりんご本のタイトルを紹介した。
    それ以後集めたりんごの絵本は、『金のりんご』『ひとりぼっちのりんごの木』『りんご』『りんごとちょう』『りんごのたねをまいたおひめさま』『りんごのたび』。他のジャンルが『黄金の林檎』『太陽の黄金の林檎』『林檎学大全』『リンゴの木の上のおばあさん』『りんご畑の12か月』『リンゴ畑のマーティン・ピピン』『千年万年りんごの子』と増えている。たぶん、これからもリンゴの収穫は続くだろう。

    今回でコラムが18回の一括り(木=十+八)となります。
    回を改めて、「木林文庫」の紹介をいたします。

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  • 悲しい木

    木林文庫の一角に二本の悲しい木が立っている。一本は柳、そしてもう一本は栃の木である。
    コミック作家、萩尾望都の作品集『山へ行く』所収の一篇に「柳の木」がある。一頁二点ずつの絵が19頁、38枚で描かれた物語で、いわば、一幕ものの舞台である。あるいは、固定カメラで切り分けられたフルとバストショット、アップによって静かに謳われる映像詩というべきか。
    後半の5頁分までの絵はすべて川べりに生える一本の柳の木の下に佇む若い女性である。彼女はそこで堤の上を行くただ一人を見ている。晴れやかに、ときに不安げな眼差しで。
    「心を残す」という言葉が浮かぶ。人の悲しみはあるとき、あるところ、ある人に心を残すことに発しているのだろう。「柳の木」を読むたびに、この言葉を思い、いつも初めてのように悲しみが流れる。
    柳田国男の『遠野物語拾遺』にある栃の樹の言い伝えは文庫本の一頁に満たないけれど、この話もまた胸ふさがれる「恋歌」だ。
    ―― 曲栃の家には美しい一人の娘があった。いつも夕方になると家の後の大栃の樹の下に行き、幹にもたれて居り居りしたものであったが、その木が大槌の人に買われてゆくということを聞いてから、伐らせたくないといって毎日毎夜泣いていた。それがとうとう金沢川へ、伐って流して下すのを見ると、気狂いのようになって泣きながらその木の後についてゆき、いきなり壺桐の淵に飛び込んで沈んでいる木に抱きついて死んでしまった。そうして娘の亡骸はついに浮かび出でなかった。天気のよい日には今でも水の底に、羽の生えたような大木の姿が見えるということである。――
    意中のイラストレーターに挿画をお願いし、この小さな「恋歌」を冊子本にしたいと夢見ている。

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  • 森へなんか行かない

    物憂げに囁くような彼女の歌声は、数十年前の自分が漠然と思い描いていたパリに似合っていた。その声の主、フランソワーズ・アルディのアルバムに「もう森へなんか行かない」と題する曲が入っている。この曲と同名の本『もう森へなんか行かない』(E・デュジャルダン著)があるのを、那須塩原の素敵な古書店「白線文庫」に教えてもらった。
    19世紀末のパリが舞台のこの小説は「内的独白」という、発表当時には破天荒な手法によって、ジェイムズ・ジョイスに深甚な影響を与えたと云われている。1887年にパリで発表された後、35年間埋もれていたという。35年後の1922年はジョイスの『ユリシーズ』が刊行された年だ。そして『もう森へなんか行かない』共訳者の一人は『ユリシーズ』の翻訳者、柳瀬尚紀である。
    主人公の人となりはとことん軽い。「内面」というも愚かなりで、軽佻浮薄そのもの。したたかな「女優」に翻弄され、有り金をむしり取られて続けている学生である。それほどまでに「女優」に夢中になっていながら、彼は街ですれ違った女やレストランで離れたテーブルに座る亭主持ちのマダムに心乱され、どう声をかけようかと妄想を全開させるのだ。付き合ってられねぇ、なのだけれど、この目移りがミソである。「無意識に最も近い思考の表出」と云えば、深遠難解な手法のようだけれど、女性への欲望が脳内地図の全域を占めているようなこの学生の意識なれば追跡可能でわかりやすい。
    自分の内面を転写してみれば、実のところ似たりよったりであろう。ある日の私の意識は、十品目くらいの具が煮込まれているスープのようなものだ。自分では好みの肉や豆だけを選って口に入れているようでも、スープそのものも絶えず流れ込んでいて、一つ話が整然と通っているわけではない。

    森はいつでも誘惑と排除の双面神だが、「森へなんか行きたくない」と思わせる恐怖小説の一つに『入らずの森』(宇佐美まこと)がある。物語の舞台は愛媛と高知の県境。平家の落人伝説が生きる村と云うと、魑魅魍魎の気配ありありで、ホラーのお約束にはまりすぎの感だけれども、摩訶不思議な生物の粘菌を絡めていることで恐ろしさが倍化している。この粘菌研究に心血を注いだ南方熊楠の話もうまく織り込まれている。
    粘菌の写真を目にすると、極彩色のリトルワールドで、その鮮やかな色合いには大いに魅せられる。しかし植物とはいえ、こいつは時にゾワゾワと動き回るのである。そしてこの山里に漂う敗残の物の怪は、恨みを抱いている者が現れるとにわかに活性化し粘菌と一体化する。怨念を嗅ぎつけ取りつくのだ。この憑依はあり得ると納得させられてしまうから怖い。

    私にとっての怖い森の極めつけは、夏目漱石の『夢十夜』の「第三夜」だ。
    ―― 雨は最先から降っている。路はだんだん暗くなる。殆ど夢中である ……
    「此処だ、此処だ。丁度その杉の根の処だ」
    雨の中で小僧の声は判然聞えた。自分は覚えず留った。何時しか森の中へ這入っていた。一間ばかり先にある黒いものは慥に小僧の云う通り杉の木と見えた。
    「御父さん、その杉の根の処だったね」
    「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。

    過日、この「第三夜」の朗読を聞いた。語り手は能のワキの方で、その深い声音が森を現前させ聴き入る者を金縛りにした。

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  • バーナムの森の樹が

    ―― マクベスはけっして滅びはせぬ。かのバーナムの森の樹がダンシネーンの丘に立つ彼に向かってくるまでは。
    ―― だれがいったい森を召集できる? だれが大地に張った根を みずから抜けと樹に命令できる? 嬉しい予言だ、
    (『マクベス』シェイクスピア・小田島雄志訳)

    木々がみずから根を抜き動き出すことはない。バーナムの森の樹は永遠に不動だ。マクベスならずとも栄光を確信する。
    動かないものが木なのだから、木が動く話の本は少ししかない。少ししかない中で、トールキンが『指輪物語』に登場させたエントの個性は際立っている。「エント族」は動きかつ話す木ではなく「樹木」とは異なる不思議な生き物。なにしろ、男エント、女エント、と両性がいると書かれているのである。だから、挿絵や映画で現れる、幹に目鼻では余りにも味気ない。天使的なものへの憧憬によって造型されたようなエルフも魅力は尽きないが、会ってみたいのはエントの方だ。

    「大地に張った根をみずから抜く樹」の話を二冊と一冊、ご紹介しよう。

    『わたし クリスマスツリー』という絵本で佐野洋子が描いた、もみの木の走り出す様子を私は気に入っている。ヒューマンでアナーキーな佐野絵の世界。
    ―― おかを こえて、野原を つっきって、もみの木は 走った。
    わがままで一途な思い込みに駆られた「彼女」の走りぶりは健気で滑稽だ。このもみの木に目鼻はない。でも、表情はたっぷり描かれている。
    「木が動く」そのままのタイトルがついた童話が『あるきだした小さな木』(ボルクマン作/セリグ絵)。「自由と束縛と独立」と「訳者あとがき」にある。カバー袖に抜粋された新聞評には「家庭での過保護がとかく問題になる折りから、小さな木が両親のもとを離れて自分であるきだし………」と。
    「…………」。いや、ここで鼻白んでいてはならない。肝心なのは本文、ひとり歩きをはじめる幼木の成長物語の方だ。
    ―― 木はあるけないのではなく ためしにあるこうとした木が一本もなかったからです。
    ちびっこの木は、「僕は動かない木だ」と考えたのではなく「僕は動いてあの人たちのところへ行きたい」と強く願った。
    行きたい、見たい、知りたいという望みによって、木は木でないもの、木を超えたものになった。しかし、このちびっこ木が人語を喋ったとき、お話の活力が一気に萎んだように思えた。エント族が動き回り、そして話しても、彼らがむかしむかしあるところにいた、と感じ続けることができるのに、なにが違うのだろう。ちびっこ木が鳥たちと話したり、人語を聞き分けることには違和を覚えはしなかったのだが。
    エクリでは、6世紀頃のウェールズ・ケルトの吟遊詩人、タリエシンの詩画集『木の戦い』(井辻朱美・訳/華雪・書)を二月に上梓した。
    “The Battle of the Trees”
    ある本の中で、このタイトルに目がとまったときすぐに、この詩を出版したいと思ったのだ。ブナ、ハンノキ、ヒイラギ、モミ、トネリコ、多くの木々が動き出し合戦に馳せ参じるという詩で、登場する木々は軍記物語の勇将たちのように雄々しい。
    ―― 深緑色したヒイラギは
    決然として一歩もひかず
    多くの穂先で武装して
    ひとびとの手を痛めつける

    『指輪物語』のエント族たちも隊伍を組んで進軍し、オークの軍勢と果敢に渡り合うが、トールキンはタリエシンの謳った”The Battle of the Trees”に想を得たのではないだろうか。

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  • 二つの密林――翻訳長編小説(2)

    「血があり、火が、そしてヤシの煙の樹が」という言葉が旧約聖書のヨエル書にあるそうだ。『煙の樹』(デニス・ジョンソン著)もまた、木林文庫を始めてから買い求めた本である。ベトナム戦争当時の米軍兵士、在留者、ベトナム人の物語に毎夜少しずつ栞を進めていったのは、読みづらかったからではない。ハルバースタムの名著『ベスト・アンド・ブライテスト』で、米国支配層の内実は少々学んだけれど、アジアもアメリカもろくすっぽ知らぬまま、ベトナムから遠く離れてベトナム戦争反対、北爆中止と唱えていた日々がフラッシュバックされたからだ。
    (「余談ながら
    、国防長官としてベトナム戦を推進した「優等人間」マクナマラは東京空襲に際して、1500mからの低空爆撃を進言したのだ)
    泥沼と呼ばれたベトナムのことは、わずかながら映画で知った。「地獄の黙示録」「ディアハンター」「プラトーン」「フルメタルジャケット」「フォレスト・ガンプ 一期一会」(「ランボー」も?)等々。この本の主人公のCIA局員の伯父が実に不分明な存在で、「地獄の黙示録」でマーロン・ブランド演じたカーツ大佐を思わせる。いや、誰もが不分明なのだ。そもそも60年代のベトナムの地には強力な磁力場が生じていて、外からここに降り立った者たちはことごとく己の磁針を狂わせたのではなかろうか。夢遊の人々が群れているような離人症の土地で、すべての行為が空回りしていく。崇高でも醜悪でもない意味を喪った行為の連鎖。本書は大河小説ならぬ、中心の定かでない沼地小説なのだ。
    「煙の樹」、不思議な言葉だ。不分明で蜃気楼のような言葉だ。

    ラテン・アメリカ文学を手に取るようになったのは、私もまたガルシア・マルケスの『百年の孤独』の魔術に震撼興奮させられてからだ。しかし、アストゥリアスの『マヤの三つの太陽』と『グアテマラ伝説集』、ボルヘスの『ブローディの報告書』や『伝奇集』で一気に加速された熱は、プイグの『蜘蛛女のキス』で失速してしまった。映画化もされたこの小説、読み終えはしたけれど苦行に近かった。そのせいか、直後に求めたバルガス=リョサの『緑の家』は数十頁で古書店行き。とはいえ、そのリョサの『密林の語り部』を木林文庫本として俎上にしたときの、読み通せるかなという危惧は杞憂だった。8章に分かれた中の、5頁に過ぎない第1章ですっかり捉えられ、頁を繰るごとに惹かれる箇所が連なって、耳折がミルフィーユ状態となった。自伝的要素とフィクションが巧みに綯い交ぜになり、奔放な詩魂がゆらめき立つのだ。
    リョサがこの小説の舞台となるペルーアマゾンのマチゲンガ族に学生時代から魅せられてきたのは、放浪する語り部の存在ゆえだった。「昔のことや物語や冗談や作り話を集めたり、伝えたりしながら、アマゾンという海に漂うマチゲンガ族の小島から別の小島に渡るように、逆境をものともせず密林を巡礼する」語り部への畏怖である。
    厳しい生存条件に晒される人々にとって、太陽の月の樹木の蛍の雷の疫病の来歴を伝える語り部の言葉は大いなる慰めであり、よるべのない日々を生きるよすがとなるのだろう。
    マチゲンガ族が「木の流血」と呼ぶ出来事がある。それは呼び名が喚起するような神話世界の話ではない。ズボンをはいた侵入者による労働力確保の人狩りのことだ。マチゲンガ族同様、密林で弓矢を使って狩猟をおこなう民が駆り立てられる映画「アポカリプト」が思い起こされる。マヤのピラミッド神殿上での供犠をめぐる話で、舞台は中米ユカタン半島だが、もの皆みどりに染まる密林での生活や彷徨は南米にもそのまま重ねられるように思える。
    この「アポカリプト」ではマヤ語を、キリストの受難を扱った「パッション」ではアラム語とラテン語を使った監督メル・ギブスンの言語へのこだわりは興味深い。衣装器物の考証にも増して、その時その地で話されていた言葉で時空の溝を越えるのだ。マチゲンガの語り部が「人間が話すと、話していくことが出現した」と言ったように、ギブスンは言葉が時空を再現すると信じているのだろう。
    語り部のこわーい話を最後にひとつ引用する。
    「肉をめちゃくちゃにしてしまう病気は、その頃、女の形をしていた。顔を焼けただらせ、穴だらけにしてしまう病い。イエナンカ。彼女はこの病いであり、また、モリトニの母であった。イエナンカは、ほかの女と変わらないように見えた」
    天然痘出現のくだりだ。この後、子どもは鳥に変身して母から逃げ惑う。

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  • 木を植える人たち

    6,7年前のことになるが、夫婦でテレビ番組の制作をしている友人から「面白い人を撮ったので、ぜひ見て欲しい」と連絡を受けた。
    面白き人、植物生態学者宮脇昭のことをその時はじめて知った。いつも麦藁帽子を被り、目に力があってにこやかな森の人の顔は、笑顔の写真が多い牧野富太郎を髣髴とさせた。
    宮脇のキーワードは「その土地本来の木」ということである。「もったいない」のマータイ女史へのアドバイスも、ケニアに元から生えている木を植えなさい、だったという。そして、彼が広く進めているのがドングリのポット苗。「ほっこり、ほっこり」「混ぜる、混ぜる、混ぜる」と、苗づくりに際して、宮脇が繰り返し唱える言葉は誰にでも伝わるおまじないだ。著書の『苗木三〇〇〇万本 いのちの森を生む』や『いのちを守るドングリの森』に、広く遠く地球の緑を見はるかす宮脇の考え方が要約されているが、NHKの番組「日本一多くの木を植えた男」もアーカイブから見ることができるはずである。

    ジャン・ジオノが出会った(創造した)『木を植えた男』ブフィエ。この本にもドングリを選り分ける様子が書かれている。いのちを植え育てるための張りつめた時間は、計算されつくした古典絵画のような光彩を放っていて印象深い。木を植える男ブフィエの生き方には世界各国の人々が魅力を感じ、「もっとも並外れた人物」の一人だと首肯するのだろう。

    「かつて座亜謙什と名乗った人」たる宮沢賢治は、「謙什」の名を冠した童話『虔十公園林』で木を植えた男を書いた。賢治が造形したのは「でくの坊」と呼ばれ笑われ「誉められもせず」の男、すなわち理想の人の姿である。虔十がただ一つ願ったのは杉苗を植え育てること、そして一生の間のたった一つの逆らい言は、この木を「伐らなぃ」だった。
    杉葉からの雫を受け、口を大きくあけて立つ虔十のたったひとりのさいわいの姿は、数知れぬ人たちへのさいわいにつながっている。

    たくさんの木を植え続けた実在の女性の話が『ワンガリー・マータイさんとケニアの木々』(ドナ・ジョー・ナポリ)と『八〇万本の木を植えた話』(イ・ミエ)の二冊である。
    一冊は、平和のために木を植えるグリーンベルト運動を主唱し、「木の母」と呼ばれたノーベル平和賞受賞のマータイが、そしてもう一冊は、黄砂湧き出ずる不毛の地、内モンゴルのモウソ砂漠に20年をかけて木を植え増やしたイ・ウィチョンがモデルになっている。
    しかし、ここに上げた本そのものからは、余人には為し得なかった二人の業績が残念ながら読み取りにくい。巻末解説なしでも、倦まずたゆまずの気遠くなるような一日一日の積み重なりが伝わってきて欲しかった。

    たった一本の木を植え育てるのも素敵なことだ。
    『希望の木』(カレン・リン・ウィリアムズ/リンダ・サポート絵)は、子どもが生まれると臍の緒を実の生る木の種といっしょに植える習慣があるというハイチの話。少年ファシールは生まれてきた妹のために木を贈りたいと考える。自分のためにお父さんがマンゴーの木を植えてくれたように。
    お話の行方はいささか安易に思えるけれど、ヤギに食べられてしまったり、雨に流されてしまったりと何度も何度も失敗を繰り返してしまい、悄然と立ち尽くしているファシールの絵は胸に響く。
    わが家でも三人の子供たちの誕生樹を区の公園に植えてもらったが、三か所とも早いうちに無くなってしまっていた。苗木の植樹はそんなにも歩留まりが良くないものなのか。三本ともというのは愉快な話ではない。とはいえ、ファシールのように日々気にかけなかった我々も思いが足りなかったのだろう。幸い、義父が庭に植えてくれた記念樹は毎年見事な花をつけている。

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  • ロシアの森(2) 森は創造の泉

    森の詩人プリーシヴィンの作品に導かれるようにして、ロシアの自然、森を創造の泉とした作家、詩人、音楽家、画家たちの、ロシアの森への憧憬を辿ることになった。

    ロシア文学者、木村浩の『ロシアの森』は、愛するロシアの風景の中に、きら星のごとき芸術家たちへの崇敬ともいうべき思いが溢れるエッセイ集だ。
    トルストイは、みずからの領地「ヤースナヤ・ポリャーナ(明るい森の中の草地)」の森のなかで、母国の自然への畏敬の念を込めて、『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などの大作を書き、農夫として一生を終えた。「森の道を進んでいくとき、…芽をふいている自分の木の一本一本に、喜びを感ずるのだった」これは『アンナ・カレーニナ』の中の一節。中部ロシアの大自然を歌い上げたツルゲーネフのふるさと、スパスコエの森の中の散歩道は、映画『戦争と平和』の撮影に使われて、忘れがたい一シーンであった。「僕に代わって…若い樫の木によろしく
    と、故郷を焦がれ、遥かなるパリから友人に書き送っている。詩聖プーシキンの、森と湖と川の豊かなミハイロフスコエも、それなくしてはあの美しい詩が生まれなかった、創作の泉たる領地であった。
    ロシアへの思慕を奏でたチャイコフスキーと、みずからピアノを弾き、作曲もしたトルストイとの交流、チェーホフとの絆、カンディンスキー、シャガール、スーチンら、秘かなロシアへの望郷の念を描いた亡命画家たちの美的世界についても触れている。

    平凡な人々の生活に潜む人生の綾を見つめたチェーホフは「ぼくは文学者にならなかったら、園芸家になっていた気がします」と手紙に書いているほど、自分の住む領地に、嬉々としてこまめに木を植えた人であったという。
    代表作の戯曲『桜の園』は、借金のかたに入り、手放さざるをえなくなった領地の森の中の桜の樹が伐採されて幕が下りる。地主貴族の富の象徴であった桜の樹は、サクランボの樹であるということを、小林清美さんの『チェーホフの庭』で知った。自らの領地で丹精を込めて育てた白く咲き乱れる花と深紅の実のサクランボの樹を、チェーホフは他の作品で墓地の上に植えているのだ。
    チェーホフに「森の精(レーシィ)」という作品がある。後に『ワーニャ伯父さん』として改作された4幕の喜劇である。森はロシア語で「レース」、その主である森にすむ精霊は「レーシィ」として恐れられていた。深い森を切り開く者、森を通って遠くへ旅する人々は森の主に出会った。甲高く笑って人を迷わせ、青みがかった頬の緑の長い髭をたくわえたこの森の支配者は、影がなく、一番高い木の頂きまで届くかと思えば、木の葉の下に隠れることもある。第1幕で、傷つけられた森を嘆きつつ木を植え続け、村人にレーシィと呼ばれる医師はこう言う。「白樺の若木を植え付けて、それがやがて青々としげり、風にゆれているのを見ると、誇らしさで胸がいっぱいになるのだ」と。

    その「レーシィ」をはじめとする森の精霊を宥め、崇拝しながら、スラヴの人々は鋤からスプーンまで、ゆりかごから墓標まで、生活にかかわるすべてを木で作った。ロシアの諺「森に住めば飢え知らず」―森は生活の糧を得る、豊かな恵みにも満ちていたのだ。
    北方ロシアは、中世ロシアの伝統を伝える木造建築の宝庫である。『木の家』は、白海を臨むカレリア地方のオネガ湖に浮かぶ、キージという島の、300年前の木造教会や民家を訪ねた写真集である。ヤマナラシの木を使った一枚40㎝四方、3万枚に及ぶ教会の屋根瓦が銀色に光る。湖面にその容姿を映すアンサンブルは壮観である。22もの円屋根が幾重にも聳え、天に向かって偉容を誇る姿は、またはるかな地から望む人々を優しく慰める。民家の梁や窓枠、玄関や階段の精緻な木彫も見事だ。「その透かし彫りは木に刻まれたレース編みのよう」で、「樹の国、森の民」であるロシア人の繊細さが心に刻まれる一冊。本書では木とともに生きる森の国、フィンランド、ノルウエーの木造建築も楽しめる。

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  • ロシアの森(1) 自然詩人の豊かな日々

    副題の「森の詩人の生物気候学」という耳慣れない言葉を目にして、初めてプリーシヴィンの作品を手に取った。訳者が付けたタイトル、『ロシアの自然誌』の原題は「ロシアの暦」。ロシア関係の本を読むにあたって、ロシアの季節を巡る自然―樹や花や草、動物の生態を知識として持ちたい、という動機からだったが、森と水の詩人、プリーシヴィンがいざなうロシアの大自然に一気に惹きこまれ、ロシアの森の涼気のなかで、酷暑の夏をしばし忘れた。
    ミハイル・プリーシヴィンは、10代には探検のために家を出奔し、その後中学退学、革命サークルに関わり、逮捕、投獄も経験し、その後ライプツィッヒ大学で農学を学んだ。技師や教師として糊口を凌ぐが、33歳でフォークロアの研究者からおとぎ話の採話を託されて北方へ向かった。
    はるか昔、古代スラブ人は森と沼沢に覆われた地に住んでいた。初めて成った東スラブ族の国、ルーシ(ロシアの古名)の人々は、10世紀にキリスト教を受容した後も、自然界の不思議な力に神々の霊を見、崇拝し、生活の拠り所としていた。ことに、12世紀からの250年間にわたるタタールモンゴルの攻撃を免れ、中世ロシアの風俗や習慣が純粋なかたちで守り抜かれた北の地は、民衆の魂の故郷、秘境であった。森の精、水の精などが変幻自在に生活の中に生きていた。
    プリーシヴィンは、土地の古老と語らい、出会った鳥、獣、植物についてメモを取り、
    来る日も来る日も日記をつけ、歩く。
    「おお、何たる寂漠、なんというこの静けさよ!森、水、そして岩…」と海さながらの森の連なりの中、猟師、語り部や泣き女など名もなき民衆の昔語りに耳をすまし、美しい自然の中の民俗探訪の記録をつづり始める。処女作『森と水と日の照る夜-北ロシア民俗紀行』(原題「愕かざる鳥たちの国」)を世に送ったことにより、北方は作家、詩人プリーシヴィンの揺籃の地となったのである。
    心弾む春の、曙光を反射して光る木々の樹液の滴、湖の結氷の砕ける音、オオライチョウの羽根の色づき具合、白樺の浅い緑の匂い、雪どけ水の小川のささやき。森の四季折々の、朝焼けから日没までのうつりゆきに、刻々の天候の変容に、胸をときめかす。そして生物気候学者として緻密に観察し、動物や季節すべてを自分と同じ生命として愛おしみ、語りかける。詩人が描く自然の暦が『ロシアの自然誌』だ。森の住人の呟き、「死にでの準備をするがいい、ライ麦の種を蒔くがいい」これはそのまま、自然と人間の一生に思いを馳せる自然詩人プリーシヴィンの人間観であろう。ゴーリキーはプリーシヴィンについて「あれはね、生活じゃない、聖者伝そのものなんだ」と言ったという。
    晩年の、大戦前夜にまとめられた『森のしずく』は、彼の生涯の愛、永遠の女性との出会いを語る「フェツーリア」を併載した、遍歴する魂の、ロシアの自然への讃歌の集大成である。これは、ナチ収容所のロシア兵にひそかに回し読みされたのだという。
    ロシア文学者、詩人である訳者、太田正一が、プリーシヴィンへのオマージュとして膨大な日記類から編訳した『森の手帖』には、森のロシアと人々の暮らしと生涯共にした詩人のポエジーが凝縮されている。エッセイ『森のロシア 野のロシア』は、ロシアの自然を詠った作家たち8人についての物語である。ひとりひとりのロシアの自然との交感を、丹念に辿り、著者自身が深いロシアの森に、心ときめかせながら歩をすすめ、その豊かさを味わう感動が、瑞々しく伝わってくる。プリーシヴィンのみならず、森のロシアに生きることを天職とした作家たちについて知ることできる一冊だ。ちなみに表紙絵は、ドストエフスキーも讃嘆したという、風景画家クインジの、白樺の森。

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  • 口をきく木をみつけたら

    木の声を聞こう、との呼びかけはしばしば耳にするけれど、口をきく木が登場する本はあまり見当たらないようだ。
    文字通りのタイトル『口をきくカポックの木』(アフリカ民話集)には、口承・語り物の魅力に充ちた話が20篇収められている。表題はセネガル共和国のもので、間抜けで小狡いハイエナ(ブーキー)がウサギ(ルーク)にやりこめられる展開。語りもの特有の繰り返しはあるが、小話としては滅法面白い。カポックの木は自分に近づき話しかけようとする動物たちに枝(腕)を振り下ろしてぽかりぽかりと殴り倒してしまうのだ。アフリカの村々での語りは火を囲んでおこなわれたそうだ。夜闇の下でカポックの枝ぶりはいかにも殴りかかってきそうに思えただろう。
    岡本綺堂の半七捕り物帳の一篇『化け銀杏』に「ある者は暗闇で足をすくわれた。ある者は襟首を引っ掴んでほうり出された」という一節がある。夜の木はどこでも怖いのだ。
    カポックという木がよくわからない。エコロジーの教科書みたいな決まり文句の連なる『カポックの木』という絵本のサブタイトルには「南米アマゾン・熱帯雨林のお話」とある。一方、セネガルは乾いた平原の広がる国だから、カポックは乾湿にかかわりなく、暑い土地に生えるのだろうか。

    ショパンとのマジョルカ島や男装の麗人という呼び名を知る前の高校一年生のとき、初めてサンドの小説「愛の妖精」を読んだ。わが師がプルーストの「花咲く乙女たち」を評した「淡々と溶ける砂糖菓子のような」という印象で、初心な少年はけっこう感激した。
    『ジョルジュ・サンド セレクション 8』に「話をする樫の木」という物語がある。牧歌的な、それでいて子供の独立心をくすぐる話で、大昔少年だった者にも心地よい。
    豚が嫌いなのに豚番をさせられていた孤児のエミは、あるとき豚の群れの怒りをかってしまい、樫の大木の洞を住処とするようになる。人に悪さをする木と言い伝えられていて、近寄る者がいないからだ。採集と小さな狩猟、そしてときどきの畑泥棒でサバイバルするエミを樫は拒みはしないが、庇護してくれるわけでもない。この樫の木が話をするのは、話したように思えたのは、魂胆を秘めた老婆の甘言にエミがたぶらかされそうになったときただ一度である。「そこには行くな」と。
    エミはやがて幸せな結婚をし、「森番のシェフ」に選ばれ、「話をする樫の木」のそばの樹林に家を立て生涯を終える。
    「木はもう話さなくなりました。あるいは、話しても、それを分かる耳はもうないのでしょう」とは、その後の樫の木のことである。

    『おおきな木』(シルヴァスタイン作・絵)は新訳が出たくらいだから、とても人気がある絵本に違いない。レビューを覗いても「いいね、いいね」と続いている。だが私には後味がよくなかった。手元にある旧訳本には、こうある。
    「きはいった  ぼうや わたしのりんごを もぎとって まちで うったら どうだろう。そうすれば おかねも できてたのしくやれるよ」
    原題は「The giving tree」まさしく惜しみなく与え続けるのだ。一方、「ぼうや」は惜しみなく奪うだけの身勝手きわまりない男で、『おばけりんご』のワルターさんとは正反対のぼったくり野郎である。ぼうやは大地から収奪を繰り返す人類であり、脛を齧り続けたこの私でもあろうか。
    わがgiving tree たる母の推薦図書がオスカー・ワイルドの『幸福の王子』だった。
    「つばめよ、つばめ」やはり与え続ける話を、小学校二年生の学芸会で朗読した。

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  • 樹のお医者さん

    「たいていの人は、桜をみるのは1年のうちで、満開のときの3~5日とちゃいますか」と京都の植木職人、16代目の佐野藤右衛門翁は言う。「残りの360日が桜にとってはたいせつなんです」と。『桜守のはなし』(佐野藤右衛門著)の穏やかな語り口に導かれて頁を繰ると、桜の見回りに同行している気持ちになる。小学生から花見酒好きまで幅広い年代に開かれた本で、5日間しか見ない桜のことがよくわかる。
    私もまた花を見て木を見ずの方だが、たぶん十年程前から酒宴人口が増えているような気がする。家人と二人、桜の花の満開の下でひっそりと酒食をしたことが幻のようだ。今ではその公園に着くかなり前から酒の匂いが流れてくる。いいではないか、酒なくてである。だから、アルコール類の持ち込みを禁止して、持ち物検査なる暴挙までした某公苑には腹が立つ。ゴミの持ち帰りを徹底させれば済むことで、なにより5日間の賑わいを桜が喜んでくれるだろう

    『木の声が聞こえますか』(池田まき子著)は女性で初めて樹木医となった塚本こなみさんの仕事ぶりを追ったドキュメント。塚本さんは足利市のフラワーパークへ藤の大木を移植するという力業をやってのけた人だ。塚本さんが移し替えた幹の直径一メートル、三百五十畳敷(当時)と云われる藤の木の大きさ、花房の見事さは口絵写真だけでも圧倒される。まさに栄華という言葉がしっくりくる藤の原である。前例はなかった。初めて心臓移植を執刀した医師もかくやというところ。細やかに準備し大胆に動くだけでは足りず、前例を拓くためにはプラスαが不可欠となろう。木の移植では「みどりの指」たる、植物との特殊なコミュニケーション能力がそのα因子なのだ。木々は話すのだと、私も考えているが、安易にコミュニケーションを当てはめるのは妥当ではない。木は木の言葉を話すのだから。

    似たタイトルの本『木の声がきこえる 樹医の診療日記』(山野忠彦著)がある。樹木医の資格認定が始まったのが1991年、それより前の1989年の刊行。塚本さんの本が2010年だから、こちらの方が二十年程前である。樹医のパイオニア山野氏が全国の神社や寺の古木から個人の庭木まで、診断し治療した木々の蓄積は千本に至る。経験値は宝、立派な数字だ。類似した症例があるのは稀で、一本一本いつもはじめてなのだ。しかし「悲願の千本目」という数へのこだわりには違和を感じた。みどりの指もつ人が指折り数えるのは変だ。555本の骨を接ぎました、222個の盲腸をとりましたと誇る医師はいないだろう。樹木とて同じこと。

    『燃ゆる樹影』(藤田宜永著)の帯に「恋愛小説の白眉」とある。「うーん、白眉か」と二の足踏んで躓きかけたが、主人公の男が樹木医という設定なので読み進む。本書の冒頭近くで描写される、主人公の治療作業の様子は専門家に取材した手順をなぞっているような印象があるけれど、後半の枝垂桜の手当てでは息遣い手際が生き生きと伝わってきた。
    この小説の男にも女にも、そして愛のかたちにも共感できないが、もちろん、それは好みの問題で作品の良し悪しではない。アンナにもウロンスキィにもその不倫愛とやらにも惹かれはしなかったけれど、『アンナ・カレーニナ』は強力な磁場をもった小説だ。初読時に刻まれた一文は今でも胸裏に残っている。
    白眉とは云わず、私にとっての指折りの恋愛小説の一つはボリス・ヴィアンの『日々の泡』なのだけれど、樹との愛の話の白眉は『遠野物語』にある。文庫本で1頁足らずの話だ。少女と樹にコミュニケーションがあったかどうかは分からない。しかし愛があったことは疑いようがない。「天気のよい日には今でも水の底に、羽の生えたような大木の姿が見えるということである」と結ばれる悲しい愛の話だ。

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  • バオバブは夢の樹

    U2のCDアルバム「ヨシュア・ツリー」のジャケットに使われているユッカの樹の写真を目にしたとき、バオバブの樹を連想した。どちらもユーモラスでありながら悪魔的にも見える変な樹だ。
    「バオバブは私の夢の樹だ」という武満徹の文を以前引いたけれど、バオバブと云えば、『星の王子様』から知った人が多いと思う。抜くのが遅れるとどうしようもなくはびこって星を覆い、酷いときには星そのものを破裂させてしまう悪いやつ。挿画も大いにそのイメージづくりの助けとなった。サン・テグジュペリは郵便機からもバオバブを見たのだろう。
    テグジュペリの樹の言葉で気に入りをひとつ。「林檎の木の下にひろげられた卓布の上には、林檎だけしか落ちてこない。星の下にひろげられた卓布の上には、星の粉だけしか落ちてこないわけだ」
    バオバブを悪魔が引き抜いて投げたら、根と枝が逆さになった話がアラビアにあると、『バオバブの記憶』という写真集を出している本橋成一が書いている。この本こそ、バオバブを知るのにうってつけだ。本橋はセネガルの村に入り、バオバブと共に生活している人々を撮った。村の生活にカメラを向ければ、そこにバオバブがある村だ。乾いた地に生えるこの樹は65パーセントが水分だというから、バオバブは大きな水樽なのだ。ある一本は近寄りがたい神木であり、ある木の洞は吟遊詩人の墓、象の足を何本も束ねたような巨木は日陰であり遊び場でもある。1000年を生きるとも云われるバオバブだが、最近では若木が育っていないのだという。この村の樹齢400年くらいの樹が天寿まで生き通したとき、人類はそこにいるのだろうか。青い星を破裂させる胚珠を潜ませた悪い種は。

    バオバブの姿は、今ではテグジュペリの絵より、ツアーに誘う夕陽を受けた並木のシルエット写真の方がポピュラーかもしれない。そのバオバブツアーが組まれるマダガスカル島などの話を集めたのが『バオバブのお嫁さま マダガスカルのむかしばなし』(川崎奈月 編訳・絵)。彩色豊かな挿絵が楽しい本だ。
    書名の「バオバブのお嫁さま」はマダガスカル島とアフリカ大陸の間に位置するコモロ諸島の話である。昔話はしばしば木に竹を接ぐがごとく、ちぐはぐなパッチワークを思わせることがあるけれど、「バオバブのお嫁さま」も話がすとんと落ちてこない。語りだったら、たぶんそんな風には感じないのだろう。文字読みはときにナンセンスな飛躍を素通りできず、「むかしばなし」に浸れない。よろしくないことだ。で、どこが躓きの石だったか、王様と交渉するオウムか。いずれにしても、理を追ってはダメなのだ。
    バオバブにまつわる話では「イブナスゥイヤとジェンベたたきの老人」が面白い。バオバブをツリーハウスにする話だが、巧みな人がこの話を子どもたちにしてあげたら大喝采を取るだろう。

    『バオバブのきのうえで』(ジェリ・ババ・シソコ・語り/ラミン・ドロ・絵)はアフリカ・マリの昔話を絵本にしたものである。絵を描いたラミン・ドロの生まれはドゴン族の祭司だという。ドゴン族といえば、フランスの民族学者マルセル・グリオールがドゴンの賢者の言葉をまとめた『水の神 ドゴン族の神話的世界』がある。水の精霊ノンモのなせる、この世のなりたちが豊饒なイメージで語られていて忘れがたい本だ。
    画家ラミン・ドロが使ったのは黒ペンだろうか、単色の線画による絵がとりわけ力を発揮しているのは、旱魃に見舞われた地に雨が降り注いでいる場面である。バオバブの樹上で大空に放たれた嘆きの声。その呪が解かれたとき、空から猛烈な勢いで落ちてくる雨。それは一度森に捨てられた子どもの、非を悔いている村人たちの、そして乾ききった大地の歓びの歌なのだ。

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  • 和から洋へ ―翻訳長編小説

    時代小説の次は海外ものに目を向けてみたい。
    『林檎の木の下で』(アリス・マンロー著)は「木」との関わりからではなく、小池昌代さんの書評に呼ばれて読んだ一冊。「狐の書評」で知られた山村修さんと小池さんの書評が私は好きだ。二人の言葉はいつも静かな誘惑で、読みたくなる本がこんなにもあるという高揚感に導いてくれる。引用は的確で美しい。
    『林檎の木の下で』はスコットランドからカナダに移住してきた著者の一族を描いたそれぞれ独立した短編が、血のバトンによって一つながりとなり長編を構成している。マンローの小説は「日々」ということに思いを向かわせる。揺らぎも叫びも輝きもない一日一日。血はこうした日々の中を音もなく流れ著者に受け継がれているように思える。時を遡行するマンローの視線は柔らかく、彼女の深い眼差しがそのまま文に移されている。
    「読書とは一体にそういうものだが、マンローを読むとき、読者は今に至るまでの自分を総動員することになる。させられるのではなく、自然、そうなる」と小池さんは書いている。
    フランスの現代小説『火炎樹』(パトリック・グランヴィル著)は「樹」にからむタイトルから手に取った。フランボワイアン(火炎樹)と聞くと、私はゴシック教会の壁面装飾のことを思い浮かべてしまうが、深紅の花を咲かせる方の『火炎樹』は読みはじめてすぐに引きこまれた。教会の石壁のごとき硬質なものは何一つない、呪術とミサイルが同居する赤道直下のアフリカ某国が舞台となっている。この地を牛耳っているのは、土と樹液を混ぜ合わせ太古の叫びを吹きこんで捏ね上げられたかのような男トコール。野放図で滑稽なこの男には独裁者特有の永続への欲望が皆無だ。熱気と狂気が充満する奔流のようなダンスマカーブル。子どもじみた夢の追及に駆り立てられて己の王国を喰い破り、クーデタに見舞われるトコール。打ち倒された独裁者は森の中で神話的な葬儀を施され、真昼間の夢幻劇が終わりを告げる。豊饒な野生にすっかり疲れ果て、私は笹の葉音が恋しくなったのだ。

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  • 時代小説の木は何処

    前回の「柿」で、時代物を一冊取り上げたが、木が書名になっている時代小説は意外に少ないようだ。手元にあるのは『静かな木』(藤沢周平著)、『白樫の樹の下で』(青山文平著)、『椿と花水木』(津本陽著)、『樅の木は残った』(山本周五郎著)の四冊だけである。
    『静かな木』は藤沢の遺作短編集とされる単行本で表題作を含め三作が収められている。藤沢周平の書いた木と云えば『漆の実のみのる国』で、上杉鷹山が逼迫した藩財政を建て直す方策として植えさせたハゼの木だ。「静かな木」は還暦間近の主人公が見上げる欅の老木。隠居侍はその立ち姿に己の終末を見立てようとしているのだが、その穏やかな日々が俄かに波立つ。数十年前の因縁がからむ話が淡々と実に淡々と語られ、終わる。藤沢もののファンとしては唸ることなく頷き、静かに頁を閉じることになる。

    『白樫の樹の下で』は若手俳優を配したTVの青春時代劇を思わせるストーリーである。「自分さがし」などという逃げ道をあらかじめ封じられていた時代の鬱屈や縛りは感じられず、剣道場帰りの下級武士の青年たちは部活帰りの高校生みたいに見える。若者の振る舞いは爽やかで、恋路は苦い。青春物は脇目もふらず息つかず一気に読み通すのが良い。

    『椿と花水木』は中浜・ジョン万次郎の伝記小説である。万次郎の生涯を貫く日米の友情と愛の象徴として椿と花水木(ドッグウッド)の二本の花木が上げられており、作者は万次郎に「男の子ならドッグウッド。女の子ならカミーリア(椿)じゃ」と云わせて、こう書いている。「万次郎はアメリカと日本でもっともなつかしい樹の名をひとつずつ告げた」
    何人もの作家たちが万次郎の小説・評伝を書き継ぐのも当然で、彼の生き方、人となりに魅せられない人はいないだろう。際立つ個の強靭さと、彼が築く人との関係の豊かさには「人間」を全面的に肯定させる促しがある。
    天は自ら援くる者を援くというが、艱難の針孔を揺るぎない意志で通ろうとする万次郎を援けたのは天の配剤というより、後代の者たちへの伝言を天が万次郎に預けたように思える。

    『樅の木は残った』は江戸時代前期の史実「伊達騒動」において、悪玉の権化とされてきた家老の原田甲斐を主人公に据えた、400頁を超える文庫が三冊の長編。お家内の確執に矮小化されてきた事件の真は、雄藩伊達を改易させて盤石の体制を築こうとする徳川幕府中枢と仙台藩との息詰まる暗闘にあったとするのが山本周五郎の捉え方である。作家の視点を体現する原田甲斐は重厚な造形をなされているが、当然のことながら万次郎のように人好きするタイプではない。誹謗陰謀を際どくやり過ごし、巧妙極まりない奸計の縁を歩き通す者はいくつもの仮面を被ることになるからだ。「私はこういうことには向かない」と苦渋の呟きを漏らしながらも、甲斐は「身を捨つるほどの藩」を護るために末代までの汚名を引き受ける。江戸期、武士が命を懸けるとは文字通りのことであって、身を捨てるのは己一人だけではなく、一族すべての命であった。今様の「政治生命」のように舌先に乗っているものではない。自ら未来を鎖した彼が思いを託すのは、北の領地から江戸屋敷に移し植えた樅の木の成長なのである。
    四十年ほど前のNHK大河ドラマの「樅の木は残った」では、平幹二郎が甲斐を演じ、吉田直哉が演出だった。私は吉田の番組演出もエッセイも好きで、金木犀の花を食べてみたのも彼の文に誘われてのことだ。平の原田甲斐ははまり役だったように記憶している。「三匹の侍」でのニヒルな女好きの浪人より、舞台上のリア王よりキマッテいた。当時この番組も現「平清盛」同様に暗いと云われたそうだ。何故、現スタッフたちは初心を貫かないのだろう。「遊びをせんとや」は単なる飾り文句なのか。

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  • 柿の木のあった家

    父が建て直す前のわが家の庭には三本の柿の木があった。ふだんほとんど閉め切っている二階の雨戸が開け放たれていた朝の、目の前に広がったやわらかな緑の輝きをいまでも思い出す。柿の青葉の瑞々しさは根元から見上げていたのとはまったく別物で、緑光の中に屋根から身を投げ出したくなるほどだった。小学校四年生の頃のことだ。
    三本とも小ぶりながらよく実をつけたけれど、自分ではあまり食べなかった。転校してきたばかりのM君が、自分で梯子にあがってズックの肩掛けカバン一杯もいで帰ったことがある。「美味しかったよ」と笑った彼の顔も忘れられない。坊主頭でよく日焼けしていて熟柿そのままだったM君は又三郎みたいにすぐ転校してしまった。

    『柿の木のある家』は童話作家、壺井栄の短編である。代表作と云われる『二十四の瞳』も木下恵介の映画で見ただけで、壺井の作品をはじめて読んだ。ここに登場する柿が大好物のおじさんの様子はちょっとM君を髣髴させる。みかん、桃、なし、ぶどう、いちじく、あんずと、たくさんの木がこのおじさんの庭では育てられているのに、何故か柿の木が植わっていないのだ。この童話で描かれている子どもたちの心映え、家族や親族とのやりとり、そして風景などは私たちから失われて久しいことのように思われた。「お話」であって、ノスタルジーはないからだ。

    宮崎学の写真集『柿の木』は信州伊那谷にある樹齢八十年ほどの柿の木の四季を撮ったものだ。我知らず、この木のたたずまいを当てはめながら、『柿の木のある家』を読み進めていた。丘の上に一つだけ守り残されたという木は丈高く伸びやかで、季節それぞれの美しさを見せているからだろう。ここからは小声で言う「新緑はかつてのわが家の庭こそ」と。
    それにしても、柿の木の伐採が加速したのは昭和四十年代にはじまったゴルフブーム故とは知らなかった。傍らにあったものがみるみる消え去り、それが目の前のことだけではなく日本中を覆っていたという現象は数限りなくあったはずだ。しかし、気づきはいつでも仕切り直しのはじまりとなる。八年待てば、小さな実が生るだろう。「早く芽を出せ、柿の種」。

    「早く芽を出せ、柿の種」。柿の独り占めといえば、「サルカニ合戦」だが、『ざぼんじいさんのかきのき』(すとうあさえ・文/織茂恭子・絵)は独り占め爺さんと、その強欲ぶりをひらりひらりとかわすメアリー・ポピンズのごときお婆さんとの掛け合い絵本。憎めないざぼんじいさんの顔が良い。

    絵本の『あたまにかきの木』(小沢正・文/田島征三・絵)は落語の「あたま山」の同工で桜のかわりに頭から柿の木が生えてくるというストーリー。もちろん、「あたま山」の天外なオチとは違って、いたっておとなしく目出度しめでたし。

    『バッテリー』の著者あさのあつこが書いた時代小説『木練柿』。恥ずかしながらルビ(こねりがき)なしでは読めないタイトルだ。シリーズの三作目から読んでしまったせいなのか、この短編からは主人公の人物設定がつかみきれない。というより、無理にこねられたように見えてしまう。しかしそれは、第一作目を読んでから判断すべきだろう。

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  • 木にのぼる

    木にのぼると云えば、イタロ・カルヴィーノの『木のぼり男爵』、後にも先にもと言い切ってしまえそうな気がする。とは云うものの、私はカルヴィーノの著作では『マルコヴァルドさんの四季』が好きだ。とりわけ、「まちがった停留所」の章に書かれた、映画館から満天の星空へのファンタスティックな道行が大好きである。もちろん、『木のぼり男爵』は物語の活力に満ち溢れている。十二歳でかしの木に登り、再び地上に降りることなく、六十五歳で空に消えるまでの男爵の生涯を、酔いながらも酔いつぶれることなく、一気に読み通させてしまう。
    「恋も革命も木の上で」という惹句はともかく、「コジモ―樹上に生きた――つねにこの地を愛した――天にのぼった」という墓銘そのままの胸躍る男爵の日々を映画化してくれるイタリア人監督が出てきてはくれないだろうか。

    『木のぼりの詩』は画家、安野光雅の故郷津和野での少年時代を描いた画文集である。豊かな日々の最初に掲げられたのがタイトルとなった木のぼりのエピソード。
    「きがついたとき僕はうちの大時計の下にねていました。頭がぼーッとしていました」
    青桐の木にのぼっていた安野少年は枝が折れて地面に転落してしまったのだ。「僕はあのときから頭がおかしくなりました」
    このような数々の遊びや村の行事、生活の一こまが、しみじみとユーモラスに積み重ねられている。安野は懐かしい点景情景を横長の見開きページに巧みに配していて、現代に甦った巻物絵師のようだ。

    『オババの森の木登り探偵』(平野肇著)の帯に「ケータイ発・野外ミステリー小説」とあった。「木」の関連本であっても、何もかも木林文庫に入れるわけではないので、通常であれば棚に戻してしまっただろう。立ち読みして気になったのは、小説の舞台がわが町目黒、それもかなり近場に設定されていたからだ。あの場所だろうと目星のつく「オババの森」、泉公園と名を変えられた池も近しい。しかし、主人公やワキたち、姦しいオバサン連、登場する人物がおしなべて類型なのが、原住民としてはいささか不満。

    又吉栄喜著の『木登り豚』は芥川賞受賞作『豚の報い』の原点と位置づけられる作品らしい。創作ノートに記したアイデア・会話・情景を書き改めている途中の第一稿といった印象だが、粗い構成を荒々しく突き抜けて沖縄の光が漲り、白昼夢が炙り出される。
    古書店で購入したときから『木登り豚』には煙草の匂いが染みついていて、ふとした拍子に鼻をつき、集中が途切れる。すると、ガジュマルの木にひれふし、登っていく豚どもを今まで見ていたのに気づく。
    豚と木は相性が良いのか、他にも豚木本がある。「リンゴ」で挙げた『りんごのきにこぶたがなったら』と『デザイン豚よ木に登れ』。

    カエルも木にのぼる。水上勉の長編童話、『ブンナよ、木からおりてこい』は舞台で上演され、アニメーション映画にもなっているので、物語を知っている人は少なくないかもしれない。私も舞台の録画をテレビで見たのが初めだったように記憶している。
    椎の木に登ったトノサマガエルの子ブンナは、喰うもの喰われるものが隣り合わせでせめぎ合う、この世が凝縮したような小宇宙で翻弄される。ブンナは釈迦の弟子の一人の名をとったものだそうだ。生と死の実相を、身をもって学ぶ子蛙にふさわしい名だ。

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  • 私はポプラが好きなのだ

    「私はポプラの葉っぱが大好きなのだ・・・そして私はポプラの落ち葉が大好きなのだ」とシュールレアリスム運動の総帥だったアンドレ・ブルトンが「水の空気」と題する詩の中に書いている。ポプラ並木と「ゆらゆらと日まわりのようにゆらめく」と書かれたサン・ジャックの塔と、ブルトンがナジャに出会ったラファイエット街が、我がパリの巡礼地だった。若気の・・・としか言いようがないけれど、ポプラはいつでも美しかった。綿毛の頃も、「ダナエ―の金貨」のような落葉の頃も。
    手元の「ポプラ本」は『七月のポプラ』『ポプラの秋』『ひとたびはポプラに臥す』の三冊。
    『七月のポプラ』は韓国の詩人パク・ヒジンの四行詩集である。韓国の詩はほとんど知らず、かなり以前に読んだキム・ジハの抵抗詩集以来になる。書名となった「七月のポプラ」と「宇宙の旅人」という二篇の壮大で透徹とした四行詩を挙げてみよう。

    最も透明で 純粋な空の膚の奥深く/見よ 燃え上がる大地の舌 緑の炎!/シッシッ音を立て 灼熱する接吻に眼がくらみ/とまどった天使らが ぶつかり合う音もする

    星座を踏み しばし休む馬上の旅人よ/宇宙の旅人よ、いまは地球は遥か向こう/小さな緑の星の一つにすぎない。時空を超越した/旅人の顔には 行く先知らずの表情もない

    「四行詩こそ、短詩型としては、最も無理なく精製された典型的な詩型」とするパク・ヒジンは五百首に達する四行詩を書いたという。諧謔に充ちた詩、官能的な恋愛詩、皮肉な人物点描と、その世界は実に多彩だ。以前、ぱく・きょんみさんの詩の朗読をハングルで聴く機会があり、その音律に陶然となった。パク・ヒジンの四行詩の数々もハングルで聴いてみたいと思う。

    『ポプラの秋』は湯本香樹実の小説。少女とお婆さんものとなれば、すべてはお婆さんの造形、存在感にかかってくる。「千と千尋の神隠し」の湯婆婆や『西の魔女が死んだ』(梨木香歩著)のおばあさんのように、それぞれの流儀で少女たちに生きていくためのエクササイズを施すのだ。『ポプラの秋』のお助け婆さんは、ポパイのように顎のしゃくれた取っ付きの恐ろしげな、心優しいポプラ荘の大家さん。
    「ポプラの木は、行き場がないなんてことは考えない。今いるところにいるだけだ」
    長じてからの主人公のこの感慨はポパイ婆さんのことでもあろう。「私はおばあさんの洗濯石鹸と煎じ薬のにおいのする前掛けを、涙と鼻水と涎で濡らした。どのくらいの間、そうしていただろうか。ようやくおばあさんの膝から顔をあげた私に、おばあさんは栗羊羹を食べさせてくれた」
    この二人が黙々と二本もの栗羊羹を平らげるところ、その後のやり取り、ほのぼのとする。

    『ひとたびはポプラに臥す』は作家、宮本輝が中国の西安からパキスタンのイスラマバードまでの約七千キロを旅した紀行文。「ポプラは暑さ寒さに強く、旱魃に強いので、ポプラの植樹こそが砂漠の浸食に勝つ方法だという」とあるのを読み、ポプラを札幌やパリにのみ結び付けていた愚かしさに気づかされた。
    西暦三五〇年頃、現在の新疆ウイグル自治区にあったキジ国の王家に生まれた鳩摩羅什(くまらじゅう)が若年にして歩いたシルクロードを、自分もまた辿ってみると期してから二十年後に実現したという旅。鳩摩羅什は七歳で出家し、九歳で天竺に留学し、後にサンスクリット語の経典を漢訳した人である。訳といっても、彼にとって漢語は母語ではなかった。過酷な旅と峻烈な一生を踏みしめる旅に華やぎはなく、「元気を取り戻すための木陰として、ポプラ以外に豊かなものは、ほかにそうたくさんあろうとは思えない」と納得するのである。

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  • タイトルに惹かれて

    『樹の鏡、草原の鏡』(武満徹著)、『樹のうえで猫がみている』(やまだ紫著)『木々は八月に何をするのか』(レーナ・クルーン著/末延弘子訳)の三冊が書名を気に入っている本だ。
    武満徹の書名はいつでも、一つひとつ美しい一本の樹のようで、『音、沈黙と測りあえるほどに』『時間の園丁』とタイトルを目にしただけで空間がしんと静まりかえる気持ちになる。
    書名に使われた「樹の鏡、草原の鏡」はインドネシアでのガムラン体験を軸に邦楽と西欧的音楽の懸隔を論じたエッセイで、「樹」は遠い地に立つ西欧音楽の象徴として書かれている。
    武満徹の「樹」についての魅惑的な文のいくつかはエッセイ集『音楽の余白から』の中にある。たとえば「バオバブは私の夢の樹だ。厳粛さと滑稽な気分が入り交じったような、それで、廣野にひとり立ちながらも、変に深刻でないのは良い。生命の表情を最も豊かにあらわしている樹であるように思う」と「夢の樹」にある。ル・クレジオの「樹は一種の不断の非難となり、また、一種の理想となる」やフランシス・ポンジュの「動物は移動するが、植物は眼でひろがる」という言葉は共感をもって繰り返し引用される樹の言葉だ。そしてもちろん作曲もしている。タイトルは実にシンプルで「樹の曲」と「雨の樹」。

    漫画家、やまだ紫の書名もまた『性悪猫』『しんきらり』『ゆらりうす色』と、いずれ劣らず惹きが強い。『樹のうえで猫がみている』は、日々の生活を柔らかに痛切に線刻する言葉と猫の絵を中心に据えた詩画集である。子供の頃の「夢」のひとつが、猫と仲良く暮らしたいというものだった作者の手になる猫は、あるときは満ちたりた眠り猫であり、またある日は物言わぬ瞳で人のこころの移ろいをみている。書名となった猫は松の木の股に寝そべって、「おき去られて淋しい母親を 遠くからじっとみている」のである。

    『木々は八月に何をするのか』はフィンランドの現代作家クルーンの短編集で、書名を含む七つの短編で構成されている。「木々は八月に何をするのか、花の知識はどこにあるのか、時の時計は何か」と矢継ぎ早に突きつけられた質問とともにボタニカル・ガーデンを踏み迷う青年。「植物の神秘生活」を巡る探究の、異界への旅行記とも云うべき寓話だ。

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