ウル ナナム

  • 原田 直子 (信愛書店、高円寺文庫センター運営)「春の庭」

    年があらたまって七草のころにいつもなつかしく思い出すかたがあります。

    知り合ってまもなくのお正月に、遠出のできないそのかたに、と 干支のちいさなお人形を浅草で求めて差し上げたことがあったのです。
    そのことから干支がいっしょだということがわかっていっきに親しみを 覚えるようになりました。
    そのかたとは4回りちがい、私が48歳でそのかたは96歳のお正月でした。

    うすでの杯でとても上等なお屠蘇を進めてくださるので、それではと 薫り高いお神酒をいただいていると、そのあいだをずっと両の手を 合わせてなにか小さくつぶやきながら拝んでくださるのです。

    それまでの私の人生の2倍をはるかに生きてこられた、それだけで 十分に仙女のような風格をお持ちだというのに、古風なしぐさで 客人をもてなすとはこういうことだ、と身をもって教えてくださいました。

    「あなた、100年なんてあっというまですよ」
    そういわれたのは99歳になられたころでした。

    故郷米澤の名君上杉鷹山公の一代記を語って聞かせてくださった ときのことです。
    質素倹約を徹底したために、嫁入りの衣裳でさえも黒い木綿の着物を 仕立てるのが慣わしであったけれど、それではあまりに娘がふびんだと 裏地にそっと紅絹を忍ばせたそうです、と。
    そのおはなしはおばあさまからじかに聞いたことです、といわれたときに 100年そして200年という時の流れを一気にさかのぼるような 驚きをかんじました。
    江戸時代、といえばよその国のことのようにかんじていたものが 急に身近な暮らしのように思えてきたのもふしぎでした。

    また、どこでもお屋敷のまわりには有用な木を生垣にすることが 奨励された、というお話もあったのですが、その木はなんという名前 か思い出せなくてあとで調べてみたことがあります。
    足軽の家などではそうでもなかったようでしたが、といわれるように 武家の家ではとくに食用になるような樹木を身近に生垣などに したとのことです。
    いまどきの便利な検索システムですぐわかるはず、とおもったのですが いわゆる公式の上杉鷹山物語の中で語り伝えられているのはどれも 「ウコギ」というもので、たしかに新芽がおいしいとも書かれています。
    けれど私がお聞きしたのは”赤い実がなって、甘酸っぱいその実を おやつに食べるのが楽しみでした”というように「ウコギ」では なかったのです。

    生垣になって、しかも食べられる赤い実がつくもの、を探してみると みつかりました。
    「イチイ」または「アララギ」とよばれるもので、以前は都内のふつうの 家にも生垣で見かけることもありました。

    なるほど便利な世の中です。
    ウコギもイチイもアララギも、きれいな画像とともにすぐに目の前に 浮かんでくれるのです。

    そうしてなんだかわかったような気分に浸らせてくれるし、手軽で この上なく便利です。
    けれどweb上に氾濫する情報というのは、いったい誰がどこで 発信しているものやら、ほんとうのことは誰にもわかりません。
    上杉鷹山公が生垣に、と奨励したのはウコギである、ということを だれも疑いもせずに引用しているようにみえます。

    でも私はその土地の人たちがこころから鷹山公を敬愛し、誇りに 思っていつまでも語り伝えているという生きた姿にふれて 尊敬できる名君を戴いて暮らすことの幸せ、をうらやましくおもいました。

    100歳になる直前の暮れに静かに旅立って行かれたそのかたは 俳句を作られる方でしたが、なかでも一度聞いただけで忘れられない 作品があるので、ここにご紹介させていただこうとおもいます。

    山茶花やどなたに会いしほほ染めて

    庵を結んで、といった趣きの離れに続く庭にはちいさな花が絶える ことなく、なかでもみごとな福寿草の群生は主のいなくなった庭で 黄金色に輝いているのでした。

    てふ、蝶といううつくしい響きのお名前をもっていらしたそのかたは 重荷からときはなたれて軽やかに故郷に向かって羽を広げて旅に 出かけられたのだ、そうおもうとさびしさもやわらぎます。

    生き方名人、といいたいような風格のあるてふさんでした。
    小鳥が鳴いてくれるし、すきな花がいつも咲いてくれるので さびしいことはありません、といわれたその笑顔と温かな声が なつかしく思い出されます。
    ふと立ち止まって、足が前に進まなくなってしまった、そのようにかんじるときに 浮かぶのがてふさんの面影です。

    そして長生きもわるくない、新しい年を迎えるたびにそうおもえるのも やはりてふさんのおかげかもしれません。