リレーコラム

  • 細谷 勇作 (文筆家)「思い出された忘却の丘で」

    『オデュッセイア』の書き出しを、覚えているだろうか。「ムーサよ、わたくしにかの男の物語をして下され……」この語り口は思いのほか鋭くて、「むかしむかし」というあいまいな説話的時空を超え、それは特定の過去を、ある時点において確かにありえた現実を呼び出すことに成功する。『源氏物語』の「いづれの御時にか……」と同じ構造、同じ強度である。そして明らかにされた過去において、フィクションは裏返しの現実を獲得し、散文的な調和をそこに発見する。具体的な条件というのは、もはや疑う余地がない。それは書くこと、物語ることの必然を、ぼくたちに知らせる。ジョルジュ・ペレックが言っていた、「ぼくは書く、なぜならぼくたちは一緒に生きたのだから。」(『Wあるいは子供のころの思い出』)ところで、『オデュッセイア』の冒頭において、物語を要求されるムーサとは、すなわちミューズであり、美の神であり、詩神である。彼女たちの父はゼウスだ。では、母親はといえば、それは記憶の神、ムネモシュネーであった。このことは、つねに思い出されなければならない。記憶。その直系の血縁者としての詩や美意識。忘れることと回想にふけること。物語ること。

    さて、ぼくはいま、チェーザレ・パヴェーゼのことを言おうとしている。彼が夢想した文学空間には、すでに過ぎ去った時間、忘却の海に沈みつつある追憶に対する、痛苦にも似た憧憬が、まるで通奏低音のように響き渡っている。『丘の中の家』『月と篝火』あるいは『孤独な女たちと』……それらすべてがあの印象的な小品集、『レウコーとの対話』へと帰結する。焔を失なったメレアグロスも、白い女神レウコテアーも、すべてがパヴェーゼ文学の原因であり、また結果である。パヴェーゼにとって、物語とは、もはや思い出しえぬ事柄を思い出すためにこそ、連綿と書き紡がれてゆくものであったらしい。それゆえ物語はつねに事後の世界から、ムネモシュネーの手のひらの上の世界からはじまる。女たちの去った空虚に、消えた篝火の丘に、物語がある。ただ『美しい夏』だけが、喪失の、その決定的な瞬間を、かろうじて捕捉するが、しかしそれさえもやがては神話に回収されてゆく、あとには声の嗄れたアメーリアだけが残り、燃えるジーニアはもはや「美しい夏」のなかにしか存在しない。あるいは夏が美しいのはそれゆえなのかもしれない。

    さらに言えば、パヴェーゼにとって、詩は目的ではなく、手段であった。それゆえポエジーとはスタイルよりもむしろ態度の問題であり、それは容易に散文のなかにまで浸透する。1935年10月28日、彼は自身のノートに書きつけた。「あるうすのろが、海についてこう言うときに、ついに詩は開始する—-「まるで油のようだ!」」(Il mestiere di vivere: Diario 1935-1950, Einaudi, 1962)あるいは1944年6月13日、ルソー『エミール』のなかの「習慣は想像力の息の根を止める」という記述を呼び出し、それを否定しながら、こう言った。

    ……しかしながら、生の事物から遠く隔たったところに生まれた追憶は、新たな思念の対象となって、ぼくたちのもとに帰ってくるであろう。それは習慣ではない。どこかしら壊れたものであるが、それがかえってぼくたちの想像力を煽り立てる。なぜならば、思い出される事物というのは、奇妙なことに、いつも新しく、いまだぼくたち自身の所有に委ねられているのだから。(同上)

    こうして、すでに背後に振り返るのみとなった日々は、亀裂やひび割れの目立つ残骸となりながらも、想像力によって、詩によって、ふたたび人びとの手もとに取り返されることとなる。だから、「故郷は要るのだ、たとえ立ち去る喜びのためだけにせよ」(『月と篝火』)。この点において、パヴェーゼの思考は、少しだけベルグソンのそれに似る。言語が過去をかろうじて繋ぎ止める、すべての人びとがいまこの瞬間に生きつつある現在に。そして忘却の起点として還元された過去は砂糖水よりずっと甘い。

    もうひとつ、パヴェーゼ文学に踏み入ろうとするならば、戦争について、深く考えなければならないであろう。戦争とはすなわち攻撃であり、死者であり、取り残された生者たちである。そして実際にはそのどれにも当てはまらない。『丘の中の家』において、名も知らぬ人びとによって流された夥しい血を目の前にしながら、コッラードの舌を借りてパヴェーゼは言う。「すべての戦争は、みな内戦なのだ。」ここにもぼくはひとつのパヴェーゼ文学の極点を見る。この場合の戦争とは、必ずしも実際的な戦争であるとは限らない。もしも誤解を恐れずにあえて言うならば、それはすべての闘争する精神のメタファーである。「故郷」という概念が個にして全を兼ねることは、批評的短篇「葡萄畑」のなかですっかり明らかにされている。それは「さほど特異なものではなく、むしろ共通な名称の、普遍的なもの、である」ために、「その原初の意味合いからは遠ざかって」、象徴へと知らぬ間に変容を遂げる。個々によって思い出されるものは、どれもみなたったひとつの故郷のためのヴァリアントである—-同じようにして、戦争もまた、大地に染みこんでゆくそれぞれの血の、その普遍の赤さ、古さによって、唯一的な戦争のイメージへと収斂する。

    いつかはやって来た、何かに触れるために、自分の存在を知らせるために、女を絞め殺し、眠っているまに銃を発射し、スパナで頭を打ち砕く日が。(『月と篝火』)

    この強い言葉は、人びとに戦争を促す。それは他人の血で身を洗うような戦争では、けっしてない。スパナはたしかに握られるべきなのだ、ただしおのれの頭蓋に向けて振り下ろすために。くり返すが、「すべての戦争は、みな内戦なのだ。」こうして、戦争が共同体と個人のあいだで揺らぎ、閉じられた現在の内部において循環する。たどり着くべき故郷は、数え切れぬほどの戦争を越えた先にある。そこで静寂のうちに安ろうためには、いくら血があっても足りない。みなが志半ばで斃れる、そしてまた別の男たちの血が、屍者の沈黙を新たな血で満たしてゆく。パヴェーゼはおそらくこの瞬間を渇望していた。血が大地の上で混ざり合い、ひとつに溶け合って織物の様相をなすときを。忘却のしがらみが、永い闘争の末に、ようやくほぐれて無垢を取り戻す、まさにその瞬間を――。

    つねに何かを忘れ、取り落とし、見失ない続ける定めにあるぼくたちにとって—-あるいは、少なくともぼくには—-パヴェーゼの文学はひとつの啓示めいた響きを持つ。宿命は、それに服従するためにあるのではない。抗うからこそ、それは宿命として、初めてみなに認識されるのではなかったか。そして、いずれにせよ失ない続けるのであれば、ぼくはあえて抵抗を選択する。ここに現在のぼくの最大の関心事がある。パヴェーゼとは音叉だ。彼のテクストは、孤独な個人を越えて全体に響き渡り、「かの男の物語をして下され……」という願いを忘却のうちに呼び出す。そう、たとえば、プリーモ・レーヴィを思い出してもいいかもしれない。彼が自らの著書に掲げたあのフレーズ、ゲダーレが壊れかけのヴァイオリンの調べに乗せて歌った、あのあまりにも印象的な言葉までもが、ぼくにとっては、パヴェーゼという希有な知性に呼応する谺のように聞こえるからふしぎだ—- Se non ora, quando ? 「いまでなければ、いつ?」

    *本文中のパヴェーゼ作品からの引用は、日記を除き、すべて河島英昭訳『パヴェーゼ文学集成』(岩波書店、2008〜2010)によった。

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